いや、気のせいだと思うんですが、私の思い込みだと思うんですが、職場の後輩が私の服装や髪形の真似をしている気がして気になってしまいます。最近は言動も似てきた気がして会議で「あの子、なかなかいいこと言ってるなー」と思ったら以前私が言ってたことと酷似していて、それが分かった途端、ちょっとイラっとしてしまいました。
多分周りは気づいていないし、私の勘違いの可能性もあるのですが、新しい服を着ていった日などは「また真似されるんじゃないか」とビクビクしている自分がいます。とはいえファッションは世の中のトレンドもあるので「真似するな」と言うほうが酷かなとも思うのですが……。私も悪気なく誰かの真似しちゃうことってあるし……。
嫌なのは言動とか考えを真似されることで少しは自分で考えなさいよってイラっとしてしまいます。私が神経質になりすぎでしょうか?
他人の真似をする人の二つのパターン
他者の真似をする人には二つのパターンがありますね。
ひとつは好感が元になっている同一視。
憧れの対象や尊敬の対象になりきることによって欠落した自尊心を満たす行為です。
そしてもうひとつは恐怖心が元になっている同一視。
脅威と感じる相手の脅威の部分を真似ることによって恐怖心を払拭しようとする行為です。
実は同一視は誰もが持っている心理作用で、私たちは尊敬や脅威を感じる人から真似て学び、そして自我を確立させて「自分」という存在を作っているわけですね。
ある程度人格が固まってくると同一視もしなくなり「私は私、あなたはあなた」という自他境界ができて、他者と自分との相違を許容できるようになるのですが、まだ成長過程にある場合、他者と同一化しないと不安になってしまうのですよ。
他者の真似をすることは学ぶことでもあり、それは決して悪いことではなくて、まだ幼い子どもに真似をされるのなら「可愛いなぁ」とも思うのですが、ほぼ同年代の人に真似をされると、その薄気味悪さは否めませんよね。
真似ることは悪いことではないとわかっていても、どうしてもアレルギー反応を起こしてしまう気持ちはよくわかります。
薄気味悪いと感じてしまうのはなぜ?
何が薄気味悪いかって、依存心が透けて見えるのが薄気味悪いんですよ。
もういい加減いい歳をぶら下げた大人同士ですから、今さら「私たちは一緒だよ!」なんてイチャイチャ依存し合う中二女子のような関係なんてめんどくさいじゃないですか。
「自分」という存在が確立した者同士として、さっぱり低カロリーな大人のお付き合いをしたいじゃないですか。
そこら辺の大きく乖離(かいり)したギャップがどうしても理性で補完することができないのです。
かといって「真似するな!」なんて言ったら自分のオトナゲなさに自己嫌悪してしまいそうだし、腹を立てている自分を他者にお披露目するのも大人としてのプライドが許さないし、どうにも厄介な問題で、結局は笑顔(苦笑い)と礼儀で一定の距離を置いて自分の気持ちをなだめるしか手段はないんですよ。
誰かの教材になる大人の試練だと思って、上から目線で許してあげるしかないですね。
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