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「私も犬飼いたいなあ」程度の興味で子供を持った【小島慶子のパイな人生】

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恋のこと、仕事のこと、家族のこと、友達のこと……オンナの人生って結局、 割り切れないことばかり。3.14159265……と永遠に割り切れない円周率(π)みたいな人生を生き抜く術を、エッセイストの小島慶子さんに教えていただきます。

前回と、第12回となる今回は小島慶子さんの最新著書『幸せな結婚』(新潮社)の刊行を記念して、結婚にまつわる罠について書いていただくことに。今回は「私には母性がないかも……?」と感じている女性に向けたメッセージです。

正直「私も犬飼いたいなあ」程度の興味だった

ウートピ世代は、周囲に出産する人も多いはず。しかし密かに母性の欠落におののいている人もいるのでは? 友達の赤ちゃんを見に行ったけど、正直あんまり可愛いと思えなかった……新幹線の中で子供が声をあげたりするとイラっとしてしまう……など。女ならみんな幼な子を見たらジュワッと母性汁が湧いて出るはず、なんて神話です。そんなわけないですよ。男が新生児見てもパパ汁分泌しないのと同じです。

私が最近書いた小説『幸せな結婚』(新潮社)には、自分は子育てに向いてないのだと気づいてしまった、美紅という女性が出てきます。

彼女は野心的で、したたかな女性。スタイリストやショップ経営の仕事に忙しく、産後1ヶ月で仕事に復帰。生まれたばかりの娘は、自分探しで会社を辞めた夫に任せっぱなしです。夫は彼女と違ってまめまめしく子供の世話もするし、娘を思う気持ちも強い。だけど「育児は母親がするもの」という強固な思い込みがあり、次第に妻への不満を募らせていきます。そして美紅も、母性神話に抵抗する気持ちと、女のくせにひどい母親だと自分を責める気持ちとで引き裂かれるのです。

美紅ほど極端ではなくても、自分はいわゆる母性的なタイプじゃないのかもと悩んでいる女性は少なくないと思います。

実は私も、かつては子供ギライでした。独身の頃は、子供なんてうるさいしなんか汚いし、やたらかまってもらいたがるのも鬱陶しいんですけど!などと母性どころか人としての優しさのかけらもないことを思っておりました。

初めて新生児を見たのは、学生時代の友達の出産見舞い。その小ささと精巧さに、うわ、よくできてる〜と感心しました。そしてもっとびっくりだったのは、友達がいきなり胸をはだけて授乳したこと。マジか、おっぱいって出産すると人に見せても平気な部位になるのか、とその意味の変容ぶりに驚愕しました。

しばらくはおっぱいのことばかり考えていた私ですが、一人また一人と周囲に出産する友人が増えるにつれ、なんだか面白そうだと思うように。私も犬飼いたいなあ、程度の興味です。

エンタテインメントとしての妊娠

やがて、友達が赤子連れで家に遊びに来るようになりました。すると、夫が異常に子供の扱いが上手いことが発覚したのです。みんなが飲み食いしながらワーワー喋っていても、夫は一人せっせと赤ん坊の相手をしています。

こ、これは……私が産んだら、もれなく優秀なシッターがついて来るということか! 何しろ犬だって満足に世話することができなかった自分が、小さな人間をちゃんと世話できるはずがありません。でも、こんなに赤ん坊扱いに慣れている男がそばにいれば、育てられるんじゃないか?と、ここで子産みのハードルがぐっと下がりました。

だったら欲しいな、面白そうだな、妊娠も出産もやったことないし、自分と彼が混ざってどんな人間が出て来るのか見たい見たい!と盛り上がる実験魂。

そこで早速、会社の近くの産婦人科に行きました。人生で初めてエコー検査器を体内に挿入され、子宮の断面画像を見てびっくり。ええっ、風船みたいに中に空洞があるのかと思ったら、畳んだ布団か中華料理の花巻みたいじゃん! 自分の身体ながら、知らなかった〜と発見の連続でした。

妊娠中もそんな調子で、人体の神秘に大興奮。自分で何もコントロールできないまま体がどんどん変化するなんて第二次性徴以来です。「よし今日は背骨を作ろう」などと思わなくても、腹のなかに人間が着々と出来上がっていくのは若干ホラーでもあり、ワクワクする体験でもありました。

で、予想をはるかに超える無茶振りの痛みの末にめでたく出てきた我が子を見たときの第一印象は「わ、見たことない人が出てきた」。ドラマで見るような、湧き上がる母性と慈愛!って感じじゃなく、なんだかポカンとして、ただただ呆気にとられていたのです。

10ヶ月の妊娠中に身体の一部だった胎児への愛着がわき、出してしまったら寂しくて寂しくて。それを母性と呼ぶこともできるのかもしれないけど、仲間の喪失という感覚でした。これからは別々の体で生きるのか、私を一人にしないでくれよ、一緒に妊娠頑張ったじゃんか、という感じ。

生みたての子供は小さくてふにゃふにゃで、やばい、内臓出ちゃった!乾かしたら死んじゃう!という焦りでいっぱい。この「死なせてはならない、絶対に」こそは原初の母性であったと今は思います。昼夜なく半裸で授乳し続けて2ヶ月ほど経った頃、子供が反射で笑うようになりました。そのとき初めて、赤ん坊が人間であることを、つまり自分とは違う脳みそを持った他者であることを実感して、じわっと何か温かな感情が生まれました。ここでようやく原初の母性に、社会的な関係にもとづく親愛の情が加わったのだと思います。

結局、母性は持てなかったかもしれないけど

それから15年。二人の息子の親となった私ですが、自分の中の父性的な面と母性的な面をどちらも感じます。夫を見ていても、母性的な時と父性的な時があって、どういう局面で父性的になるかは夫婦で違っています。共通するのは、母性は状態で父性は機能であることかも。子供との関係のベースになっているのは母性的な面で、時折、付加機能としての父性が発動するのです。

子供たちが幼い頃は「何よりも愛おしいのに、一緒に生活するのはたまらなく苦痛」と思ったことが何度もありました。言葉が通じないし、通じるようになっても話が通じないし、話が通じるようになっても道理が通じないので、ものすごくエネルギーを使うのです。それまでのどんなめんどくさい後輩よりも手がかかり、どんな頑固な上司よりも聞きわけがないのが、子供という種族。

彼らを初めからすべて許して包み込むような母性は持ち得なかった代わりに、私は人間というものがいかにして人間たり得るかということを、息子達に徹底的に教えて貰いました。今は彼らを自立させるために全力でサポートする気持ちと、誰よりも尊敬する気持ちでいっぱいです。

私にとっては、自分の人生よりも彼らの人生の方がはるかに大事。これを母性というのか、なんというのかわかりません。でもそう思えるような関係を持てたのは、幸福なことであったと思います。

そして夫との関係も、夫婦としては色々思うところもあるものの、人間育成事業のパートナーとしては掛け替えのない存在であるという認識です。もしかしたら互いを好きになる関係よりも、第三者を同じくらい熱烈に好きになる関係の方が豊かなのかも。第三者ってつまり、息子たちのことですが。

子供は欲しいけど、母性があるかどうか不安に思う人に、一つお伝えするとしたら、母性は特別なものではなく、人と人の間に生まれる様々な繋がりの一つであるということ。それは子供を産む前から、家族や友人との間で発揮されている包摂的な心持ちのことで、出産するとその心持ちが非常に強く発揮される上に、養育責任が伴うので、特別な事業のように感じられるのだということです。

我が子という続柄は特別な関係ですが、他者であることは他の人と同じですから。むしろ母性の名の下にそのことを忘れてしまう方が、子供にとっては災難なのかもしれません。

【新刊情報】
小島慶子さんの最新著書『幸せな結婚』(新潮社)が刊行されました。

情報元リンク: ウートピ
「私も犬飼いたいなあ」程度の興味で子供を持った【小島慶子のパイな人生】

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