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酒井美紀と再タッグ! “どんくさかった私”がマネージャーという天職を見つけるまで

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俳優の向井理さん、波瑠さんらを見いだした敏腕マネージャーとして知られる田島未来(たじま・みき)さんは、現在42歳。3人の子育てに追われながら、湘南で芸能プロダクションを経営しています。『向井理を捨てた理由』(マイナビ)の著書もある田島さんですが、29歳のとき結婚・出産を機に仕事を辞め、その後10年間、キャリアとしては空白の期間を持ちました。

再び芸能の世界に戻った現在は、10代から共に過ごした俳優・酒井美紀さんを中心に、さまざまなタレントをマネージメントしながら、キッズタレントの育成にも力を入れています。

田島さんとは、どんな人物なのか。第一線でバリバリ働いて築いたキャリアを、若くして手放したのはなぜなのか。そして再始動した理由は?

「今の私だからできる仕事をするために」――情熱的に、かつ軽やかに毎日を生きる田島未来さんのインタビューを全4回でお届けします。

【第1回】向井理に背中を押されて、私はマネージャーという仕事を辞めた。

とにかく子供の頃から芸能が好きだった

——数々の才能を発掘し、売れるタレントを作り上げる。伝説のマネージャーとまで呼ばれるようになった田島さんですが、ご自身をどう分析されていますか?

田島未来さん(以下、田島):見た目や雰囲気からは意外に思われるかもしれませんが、私は、ものすごくどんくさい人間なんです。子どもの頃から、不器用で臆病な性格でした。今も営業は苦手意識が強いですし。新人の頃なんて、もう大変(笑)。苦手なプロデューサーに話しかけたり、テレビ局や制作会社に足を踏み入れることがすっごく怖かった。なんとか自分を奮い立たせて、あの手この手で頑張りましたね。20年前は、今では考えられないくらい、もっとガテンな世界だったとも思います。

——マネージャーという仕事を目指したきっかけは?

田島:小学生の頃から芸能が好きで、よくTV番組の観覧に連れていってもらったりしていて。スタジオ独特の雰囲気に憧れましたね。タレントさんを見るのも楽しかったですし。でも、何よりもスタッフの人たちの動きに興味津々でした。自分が憧れから芸能人になりたいと思ったことはなくて、はじめから裏方志望。

マネージャーになろうと決めたのは、中学生の時で、もう365日、マネージャーになることばかり考えてました。芸能事務所名鑑みたいなものを手に入れて、入りたい事務所に付箋をつけたりして。芸能事務所と、誰が所属しているかとか、全部知ってました。でも、どうやったらなれるのか、よくわからなかった。今みたいにネットもありませんし、情報があまりなかったので。だからこそ、夢中で目指すことができたような気がします。逆に現代は、情報はたくさんあって、すぐになんでも手に入るからこそ、本当に夢中になれるものを見つけることが難しいんじゃないかな。

——専門学校でマネージメントを学び、在学中からマネージャーとしての活動を始めていますね。

田島:1年は座学で学び、2年目からは、自分で雇ってくれる事務所を探して、実践で勉強しろ、とかなり放任主義(笑)。今でいうインターンみたいな感じですね。当時はそういう言葉もあまり耳にはしなかったので、丁稚奉公みたいな感じでしたけど。でも、必死で芸能プロダクション宛てに手紙を書いて、就職活動をしました。そこでオフィスジュニアという、私にとって最初のキャリアとなる事務所に入れてもらいました。電話番から始まったんですが、ちょっとでも相手の会社名を間違えて伝えたりすると怒鳴られたりしてました(笑)。カルチャーショックの連続。怖くて厳しい先輩にしごかれて、目で盗みながら仕事を覚えて……本当に、修行のような日々でした。

——今では考えられないくらい、体育会系というか昭和の業界と想像するのですが、それでも続けられたのは、なぜですか?

田島:マネージャーになりたいという夢をかなえようと必死でしたね。ただそれだけです。今ではもうあまり考えられない世界でしょうけど、不器用ながらも根性でかじりついていたら、だんだん周りも認めてくれるようになったという感じです。いや、こんなことを言うと、この職業が敬遠されてしまうからよくないんですが、かつては、そういうスポ根命みたいなことが当たり前の業界でした。鍛えられたからこそ、少しでもできることが積み重なっていくと、大きな自信につながっていくという面もありました。今は、ずいぶんと働き方については会社からの配慮がありますし、自由になっていると思いますね。

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酒井美紀さんと再タッグを組むことになった理由

——現在、田島さんが経営されている「muaプロダクション」の看板俳優である酒井美紀さんとは、この頃に出会ったそうですね。

田島:私が19歳、酒井が20歳。酒井美紀がとても忙しかった時期に担当になり、1年のうち360日くらいを一緒に過ごしていたように思います。若かったなあ(笑)。酒井はすでに代表作もあり、スポンサーさんも多数ついている女優さんでしたし、たくさんのことを教えてくれましたね。

——酒井さんとのお仕事の中で、一番印象に残っていることは何ですか?

田島:いろいろあるんですが、やっぱり『世界ウルルン滞在記』というTV旅番組で、タイの山岳民族を訪ねて行ったことでしょうか。酒井はウルルンのMCを務めていたんですが、満を持して本人が旅に出ることになり、電気も水道もない村に同行したんです。トイレは野外、虫やカエルを食べる日々(笑)。酒井の裏で、私もほぼ同じ生活をしたのですが、これが強烈な思い出として残っています。あの体験をしたからこそ、酒井との距離もグッと縮まった気がしますね。もちろん、タレントとマネージャーは、友達関係とは異なります。そうですね、例えるなら、部活の先輩後輩のような感じでしょうか。一定の距離を保ちながら共に試合に臨む、というような。

——その後田島さんはいったん酒井さん所属の事務所を離れ、セカンドキャリアとしてホリエージェンシーに転職します。酒井さんは、この件について、どんな反応だったのでしょうか?

田島:ちょうど酒井も、人生のステップについていろいろと考えている最中でした。留学したいという希望も持っていましたし、私にも「あなたの道を選んで。私も私の道を選べるように努力する。それぞれが頑張った先に、また何か一緒にできたらいいね」と言ってくれて。この時の酒井の言葉は、私のターニングポイントになっています。やはり大きな決断をするときは一番そばにいるパートナーの言葉が背中を押してくれますね。それから20年近く時間が流れて、2年前、酒井から事務所移籍についての相談を受けた時、ハッと、「私がやるべきだな」と。生意気なんですけどね。とても自然な流れで、もう一度、再タッグを組むことになったんです。

「自分自身の直感を信じて疑わない」のが私の才能

——田島さんのように仕事を極めたい、という人は多いと思います。自分に適した仕事を見つけるためには、どんなことが必要だと思いますか? 

田島:不器用な私がここまで続けてこられた理由は、とにかく芸能が好きであるということ。だから情熱を傾けられるんだと思います。たくさん映画やドラマを見たり、その時々の芸能情報を得て、知識を蓄えて臨む。営業は下手でも、ああ、好きなんだな、よく考えているな、一生懸命やっているな、と思えば、だんだんとと心を許して話を聞いてくれる人は必ずいるものです。これは、マネージャーという仕事に限らないと思いますね。どんなことでも、好きなら勉強も苦ではないし、邁(まい)進できるんじゃないでしょうか。

——タレントの原石を見つける才能はどこで磨いたのですか?

田島:磨いたというよりも、「直感」なんです、私の場合は本当に。直感と同時に、その人に合った仕事のプランがばあっと湧いてきます。向井君の時もそうなんですが、その人がスターになった妄想ができるかどうか、ですね。例えば、今活躍している波瑠さんも、会社で企画したオーディションで発掘したのですが、パッと見た途端に、「この子はとびきりきれいになる」と思いました。今彼女は、思い描いた以上の活躍をしています。たくさんの人の愛情を受けて、きっとみんなが努力して頑張ったんだと思います。その自分自身の直感を信じて疑わない、強いて言えば、これが私の才能かもしれません(笑)

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※第3回は2021年3月4日(木)公開です。

(取材・文:山野井春絵)

情報元リンク: ウートピ
酒井美紀と再タッグ! “どんくさかった私”がマネージャーという天職を見つけるまで

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