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人生は努力でなんとかなると思っていた私が、34歳でがん宣告されて思ったこと

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初めましての方も、お久しぶりですの方も、改めましてこんにちは。海野優子です。と、自己紹介しても「誰や?」って感じですよね。かつてプロデューサーとしてウートピに在籍し(社畜の海野Pと呼ばれていました)、六本木にあるIT企業に転職した海野です。

ウートピでは度々連載にも登場(「産むことにメリットって、本当にあるんですか?」「日本一ちっちゃな働きかた改革」)させてもらいましたが、転職直後に妊娠が発覚し、出産と同時に原発不明がんも見つかって死にかけるという、なんとも濃ゆい2年を過ごしておりました。そのことをつづったのが、「34歳OL、がん宣告から復活までの1年間。」です。

振り返ってみれば壮絶な2年間を過ごしたのだけれど、結局戻ってきたのはここ東京のど真ん中、六本木。いつもと変わらない職場であくせく働いている自分がいます(まあ、まさか自分が車椅子生活になるなんて、かなり想定外だったんですけど)。

病気を経験したからといって誰かの悩み相談にズバッと答えられるスーパーウーマンにもなっていないし、普通に子育てと仕事の両立に奔走される日々。せっかく生きのびて、わざわざ生きてる、のに!(笑)

そんな私の様子をみていたウートピ編集部から連載依頼が届いたのは去年の11月のことでした。病気になる前とあとのことを書いてみませんか、と。まぁウートピの頼みなら断れないでしょう。

ということで、35歳OL、せっかく生き残ったので、わざわざ生きてるのに——と思う日々についてつづっていきたいと思います。

現在は育児と仕事に追われる日々

現在は育児と仕事に追われる日々

人生って、努力と成長でなんとかなると思ってた

思えば昨年の1月。私はまだ死にかけていました。「死にかけていた」とはつまり、その時までの私は死ぬ運命にあったということです。「原発不明の硬膜外悪性腫瘍」と診断されてから5ヶ月、当時の主治医から「背骨への浸潤があり手術で取り除くことは不可能」「腫瘍が大きすぎて放射線治療はできない」「あなたにできることは、体力が持つまで抗がん剤を打つことだけ」と伝えられました。

私はそのときまで、普段生きていて、どうにもならないことなんて、本当にちょっとしかないと思っていました。頑張って働けば、ほしいものは買えるし、食べたいものだって食べられる。出世したいなら、今よりもっと仕事と向き合って成長すればいいだけのこと。

努力は報われる。何かがうまく行かなくっても、きっとなにかしら突破口があるに違いない。

人生ってそんなものだと、疑うことなく生きていました。

社畜の海野Pと呼ばれていた頃

社畜の海野Pと呼ばれていた頃

やるべきことさえあればあとはひたすら頑張るだけ。 ToDoリストさえ見つかれば乗り越えられるはずなのに、医師は無情にもそれが「ない」と言います。やれることはただひとつ、効果があるかもわからない抗がん剤を投与することだけ。髪は抜け落ち、食欲は減退。だけれども、私にできること、抗がん剤、だたそれだけ。その唯一のToDoを握りしめて、毎日がんと戦うしかありませんでした。

しかし皮肉にも、私の身体の中で大きく膨らんだ癌細胞は、小さくなるどころか、日に日に大きくなるばかりでした。これが「死にかけていた」の所以です。ものすごく近いところに、死というものを感じていました。

「死ぬまでにしたいこと」なんてない

死を間近に感じるという感覚。それは、自分の未来が消えるということ。経験したことのない人には理解しがたい感覚だと思います。

たとえば「どんな服を着て出かけるか」を考えるとき、素敵な出会いがあるかもしれないし、それをキッカケに付き合うことになって、めでたくゴールイン!なんてこともあるかもしれません。これが、未来があるということ。(たとえがコンサバなのは片目をつぶってください)

未来がないというは、その逆。今日着る服も、今日食べるものも、今日自分が発する言葉も、何もかも、意味がないもの。どうでもいい。どうせ私は死ぬんだから。

だいぶ昔に「死ぬまでにしたい10のこと」って洋画を観たけれど、あんなの大ウソだなと思いました。やりたいことなんて、ねーよ。死んでしまったら、何もかも消えてしまうんだから。今日この私が何をしようが、未来は何も変わらないんだから。

そんなことを考えていたある日、テレビから清涼飲料水のCMが流れてきました。「私は今日も生きている〜♪」。世の中のものが、未来がある前提でできている。当たり前のことなんですが、そんな些細なことが私の心を突き刺し、切り刻みました。

また、そのころは友人たちとの連絡も絶っていました。未来のない私と話してもしかたないだろうと思っていたのです。

夫がくれた新たなToDoリスト

孤独の壁を作っていく私を支えてくれて、私に新しいToDoリストを作ってくれたのは、夫でした。「こんな新しい治療があってね、ネットで調べて、今日先生に会って話を聞いてきたんだ。」夫が私にイラスト付きのかわいい冊子を見せてくれました。

夫が優しく、わかりやすく、丁寧に説明してくれた治療法は(私にはもちろん難しくてよくわからなかったのだけれど)とにかく私の病気に効果があるかもしれないということでした。

治療法が目の前にあるということを知ったとき、本当に嬉しかった。抗がん剤以外に、生きるためのToDoリストができた! 頑張れること、やれることがあるってなんて幸せなことなんだろう。がんを宣告されてからずっと絶望の中にいた私にとって、それはまさに希望でした。「そうかー、希望ってこれのことだったのか」。

人生で初めて、希望という輪郭のないものを手に取るように感じ、その日の夜は少しだけ気持ちが明るく、軽くなったのを覚えています。

この時点で私が生きられる確率は、たぶん1%くらい。希望を見つけたとはいえ、ステージ4の末期がんであることに変わりはなく、大きな塊は確実に私の身体の中に存在し、身体を蝕んでいました。でもこの日を境に、未来というものが再びうっすらと現れ始めたのです。

そのあと私は、新しい治療をはじめるため、自宅から1時間かかる病院に入院することになりました。この病院で受けた治療が思った以上に効果を発揮し、いまこうして再びつなぎとめた未来に続く道を歩み始めることができています。私に生きる道を与えてくれた夫は、治療の過程で車椅子生活をすることになった私を献身的に支えてくれていて、感謝しない日はありません。

次回は、そんな夫とのことをつづりたいと思います。

(海野 優子)

情報元リンク: ウートピ
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