俳優の向井理さん、波瑠さんらを見いだした敏腕マネージャーとして知られる田島未来(たじま・みき)さんは、現在42歳。3人の子育てに追われながら、湘南で芸能プロダクションを経営しています。『向井理を捨てた理由』(マイナビ)の著書もある田島さんですが、29歳のとき結婚・出産を機に仕事を辞め、その後10年間、キャリアとしては空白の期間を持ちました。
再び芸能の世界に戻った現在は、10代から共に過ごした俳優・酒井美紀さんを中心に、さまざまなタレントをマネージメントしながら、キッズタレントの育成にも力を入れています。
田島さんとは、どんな人物なのか。第一線でバリバリ働いて築いたキャリアを、若くして手放したのはなぜなのか。そして再始動した理由は?
「今の私だからできる仕事をするために」――情熱的に、かつ軽やかに毎日を生きる田島未来さんのインタビューを全4回でお届けします。
Contents
「この仕事を続ける資格がない」キャリアを手放した日
——横浜生まれ・東京育ちの田島さん。これまで芸能の中心だった東京というフィールドを離れ、現在は湘南で生活されていますね。
田島未来さん(以下、田島):向井理のマネージャーを辞めてから一度家庭に入り、環境もガラリと変わりました。藤沢市の鵠沼海岸に暮らして、10年以上になります。東京までは、電車で1時間半くらいですね。海までは歩いてすぐ。商店街もあって、自然も多い暮らしやすい場所ですよ。
——第1回目のインタビューでは向井さんが田島さんのマネージャーを辞める背中を押してくれたというお話でしたが、田島さんの内面的な変化を教えてください。
田島:中学生の頃に抱いた夢を叶えて、がむしゃらに頑張ってきました。向井君がブレイクすることで、私自身も多少世間から評価されるようになって、私の夢を、向井君が完結させてくれたという気持ちになりました。やり切った感というんでしょうか。
同じ頃に結婚をして、家族を得たことで、それまで一人で突っ張っていた部分が、ふっと緩んだような気がしたんです。前の事務所の先輩に厳しく育てられたこともあって、私は自分にも、他人にも厳しい人間でした。今、自分が一番頑張っているという自負があるから、相手にもものを言うことができた。でも、結婚することをきっかけにマネージャー業に臨む姿勢が崩れはじめて、人に何かを言えるような資格がないと思ったんです。
輝くタレントの原石を見つけたとき、私にはその人の成功のビジョンが見えます。出産をした後、子供を育てながらタレントのマネージメントを続けるというビジョンが、当時私にはまったく見えなかった。それよりも、産まれた子供に向き合って、子育てに専念したいと思いました。家族にもマネージメントしている相手と同じだけの熱量を傾けたくなる。目標がそちらにシフトしたんですね。ストイックだね、とよく言われました。そんなに難しく考えなくてもいいんじゃない? って。でも、とにかく私は不器用で正直なんですよ。一度そう決めたら、譲らない(笑)。
人任せにできない性格が自分を追い込んでいた
——向井さんの後押しもあって、仕事を辞め、家庭に入られましたが、田島さんのご主人は飲食ビジネスをされていますね。お子さんを保育園に預けて、そちらを手伝うというプランはなかったのですか?
田島:そうですね、手伝うこともありましたが、子供を保育園に預けるという選択肢はなかったですね。とにかく子供と離れたくなかったんですよね。単に私の性格の問題から、どうしても保育園に預けることができなかったのです。だからと言って家の中で四六時中子どもとベッタリしている、というわけでもないのですが、とにかく、人に任せることが苦手だったんですね。なかなか親離れができない、ゆっくりなタイプの子供だったこともあって、私が一緒にいなくちゃ! と思う気持ちが本当に強くて。
——子育てに専念したい、他人の手を借りず、自分で育てたい。そういうお考えだったのかと想像していました。
田島:はじめのモチベーションはそうだったと思います。でも、子育てって、きれいごとだけではないですよね。仕事なら自分の直感とイメージで、ある意味自分らしく動けば良かった、でも子供はそうはいかない。思うようになんて、全然ならないですもん。一人目を産んだ時から、なんだか追われていて。楽しい子育てなんて、全然できませんでした。「美容院やマッサージに行ったら?」と、家族や友人に少し預かってもらうこともありましたが、ああ、今頃泣いているんじゃないかと思うと、気が気じゃなくて、まったくリラックスできない(笑)。
——それでも、3人のお子さんを育てられて。
田島::私は思い込みが激しくて(笑)。昔から人の気持ちに敏感すぎるところがあるんです。それがマネージャー業には役立っていた部分もあるのですが。10代から、人に頼る前に自力で頑張り抜くというスタイルが、子育てにおいては裏目に出た(笑)。人が好きだし、信用しています。でも、甘えられない。そこは、自分でも謎なんですけどね。「自分が決めたことなんだから!」と、まず思ってしまうんです。思い出すと、今でも涙が出ますね。自分で自分をどんどん追い込んでいました。
でも、東京から湘南に引っ越して、試行錯誤しながらも3人の子供たちと全力で過ごした日々は、かけがえのないものです。選択に後悔をしたことは、一度もないんですよ。ある部分はすごく悩む性格なので、悩んで出した答えにはあまり後悔したことがないかもしれない。
湘南でマネージャースイッチがONになった瞬間
——そして、再びマネージャーとして復帰。自身で事務所を立ち上げることになったきっかけは何だったのでしょうか?
田島:退職後の10年間も、完全にやめてしまったつもりはなかったんですよ。いつもマネージャー意識があって。子供たちも成長して、「今は母親という仕事を選んでやっているけど、何かやれることはないかな?」と無意識にいつも頭にありましたね。ある日、ふと、家電メーカーのCM案件があって、「これ、うちの娘にぴったりかも」とピンときたんです。試しにオーディションを受けたところ、合格。そこで、ああ、これは子供と一緒にいながらできる仕事なんだな、キッズからはじめてみるのはどうだろう? と思いついたんです。
——そこで、田島さんのマネージャースイッチが再びONになったのですね。
田島:自分自身のスイッチがONになった途端に、たくさんのチャンスが舞い込んできました。事務所を移籍するという話を何気なく酒井美紀が相談してくれたのも、この頃です。最終的に「私がやります!」と言ったら、彼女は驚いていましたけどね。もう私は引退したものと思っていたでしょうから。
——コロナ禍の影響で、芸能事務所の地方移転が話題になっています。でも当時は少し離れた湘南に拠点を置くことに、田島さんも酒井さんも不安はなかったのでしょうか?
田島:はじめこそ、周りからは「湘南でやれるの?」という声はありましたよ。でも、仕事はどこでだってできる時代に。それが今や常識にもなっていますし、「ね、私たち、早かったでしょ」って言いたいくらい(笑)。
酒井は、私にブランクもあり、子供も3人小さいので不安だったかもしれませんが、私にはあまり不安はなくて。だって、もうビジョンがあったんです。「必ずうまくいく」という。東京でなくてもできる。プライベートが変化したって、できる。ブランクを経たからこそ見えてきたものを大切にしながら、新しい花を咲かせたいですね。
ウキウキワクワクが止まらないことが新しい道をつくる
——今後の田島さんの目標、事務所としてやっていきたいこととは。
田島:酒井とは、20年を経て、再度一緒に仕事をすることになりました。お互いに家庭を持ち、子育てを経験した今だからこそ、できることがあるんじゃないか、と前向きに話し合っています。突っ走ってきた分、無理はしない。でも、常に前向きに新しい扉も開きたい。自分たちらしいやり方で、風に乗りたいって考えています。さらに湘南から新しい才能を見つけ、育て、世界に羽ばたかせたい。まだまだやりたいことはたくさんあります。
——田島さんのその情熱は、どこから生まれているのでしょうか。
田島:何度も言うように、コンプレックスだらけですし、不器用で、どんくさい人間なんです(笑)。下手くそでも、カッコ悪くても、自分の直感と思いで突っ走る! 気づいたら意外な誰かがどこかで評価してくれた……そんなことの連続だった気がします。自分を信じて、選択に後悔しないこと。自分に自信なんて全然ないんですけど、“直感”と“妄想”には自信があるんです。根拠なんてなくて……。それでも自信があるんです。あとはそれを信じてくれるパートナーがいることが大きい。一人でもいてくれたらそれでいい。何でもいいと思うんです、大好きで夢中になれることを見つけられたら、それだけで人生はラッキー! ですよね。ウキウキワクワクが止まらないことが新しい道をつくっていくと私は思います。
※第4回は2021年3月6日(土)公開です。
(取材・文:山野井春絵、写真:OISHI RIO)
- 向井理に背中を押されて、私はマネージャーという仕事を辞めた。
- 「距離感を無視してくる人は“隕石”だと思え」ふかわりょうに聞く人付き合いのコツ
- 向井理のマネージャーを辞めて家庭に入るも…湘南でスイッチがオンになった瞬間
- 「安心しておばさんになってください」阿佐ヶ谷姉妹の“これから”と不安だった“あの頃”
- 吉本ばななさんに聞いた、傷との向き合い方「傷があるなと認識するだけ」
- 選択肢が多すぎて悩むあなたへ 及川光博さんから「大人にだけ」伝えたいこと
情報元リンク: ウートピ
向井理のマネージャーを辞めて家庭に入るも…湘南でスイッチがオンになった瞬間