恋のこと、仕事のこと、家族のこと、友達のこと……オンナの人生って結局、 割り切れないことばかり。3.14159265……と永遠に割り切れない円周率(π)みたいな人生を生き抜く術を、エッセイストの小島慶子さんに教えていただきます。
第35回は、小島慶子さんが2025年を「ターニングポイント」だと話す理由についてつづっていただきました。
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“おっさん”になってしまった同世代の人たち
話が合うと思っていた友人と久々に会ったら、足元に深いクレバスが!なんてこと、ありませんか。ウートピ読者なら、最近はジェンダーやマイノリティに関する話題で、そんな違和感を覚えることも多いかもしれませんね。
なんでも世代で括るのは好きじゃないけど、実は私、自分の同世代には期待をしていました。いわゆる団塊ジュニアと言われる70年代前半生まれは人数も多いし、小さい時から男女平等と平和の教育を受けてきたから、もう上の世代のような“オンナコドモはすっこんでろ”的発想や、鉄拳制裁を熱血指導と呼ぶような価値観とは決別して、新しい時代を作れるのではないかと。
でも40代にさしかかった頃に、どうやらそれは幻想らしいとわかりました。同世代の男たちの一部は金と権力を握るにつれ、絵に描いたような“おっさん(男尊女卑やハラスメントを容認する価値観に疑いを持たず、再生産する人たち。性別は男性とは限らない)”になっていきました。セクハラやパワハラで失脚する人も複数見てきました。
小学校の教室にいたあの男子たちは、40年かけて何を学んだんだ? 敷かれていた“日本男児”のレールをひた走った結果がこれか……いま同世代の男性と話していると、ときどき90年代にタイムスリップしたんじゃないかと思うことがあります。20代の頃は同じ目線で話ができたのに、いつからこんなにズレが生じてしまったの。
とりあえず仕事も家庭も全部欲しいです
排除された者の明晰さというのか、構造の歪みは、そこからはじき出された者にはくっきりと見えるもの。同じ世代でも、女性たちは男性優位社会の歪みに早くから気付いていました。母親から「稼ぎのいい男に選ばれる家庭的な女であれ」かつ「自立した現代的な女であれ」という命題を課され、引き裂かれた女性たちは、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法などの制度が整う中で成長して大人になり、働いたり子育てをしたりして、多くの矛盾にぶち当たりました。掲げている看板と実態が全然違うじゃないの!という思いを散々してきたのです。
東京のバブル姉さんたちはお立ち台で扇子を振って無敵の自己肯定感を手にし、ギャルを発明した妹たちは渋谷の路上と地続きになったメディアで自分を商品化して高値で売り抜け、強気な姉妹に挟まれた私たちは「年収800万未満の男は虫けら!」などと公言するほどおっさん女子メンタリティには染まりきれず(恐ろしい時代でした)、女子をネタ化するドライさも持ち合わせず、時代の潮目で行き場をなくして「とりあえず仕事も家庭も全部欲しいです。誰から見ても幸せに見えるように、幕内弁当お願いします」と言うのが精一杯だった気がします。
仕事を選んだ人も家庭を選んだ人も、自分が正解だったのかどうか不安で仕方がない。そしてどちらも選べなかった人は、社会から見えない存在になりました。
男性で満杯の車両に乗ろうとしてきた女性たち
信田さよ子さんの『母が重くてたまらない:墓守娘の嘆き』(2008年初版発行/春秋社)に共感し、「毒母」問題を提起したのは、この世代のマスコミの女性たちだったそうです。それから10年余を経た今、視線は毒母の背後に向けられています。
娘を縛り引き裂く重たい母親を生み出したものは、家庭における父親の不在であり、それをもたらす長時間労働と男らしさの呪いでした。“稼ぐ男が偉い、女はそのお世話役に徹するべし”という価値観が全ての人にインストールされてしまった社会を、精神保健福祉士の斉藤章佳さんは“男尊女卑依存症社会”(拙著対談集『さよなら!ハラスメント』参照)と命名しています。
まさに自ら依存症に陥っていることに気づいた娘たちは、離脱を試みては挫折し、恐れ、諦め、抵抗し、のたうちまわってきたのです。
男女平等だから、レースに参加していいよ!と言われても、車両はすでに男性で満杯。男だらけの列車の脇を山姥みたいに自力で走るか、俄仕立て(にわかじたて)のトロッコにたった一人で乗り込むか、そうでなければ「可愛い女子いらんかね!」と車窓に向かって微笑んで、華やぎ要員として乗せてもらうか。若い頃、「いやー普通に採用したら女性ばかりになっちゃうよー」と笑うおじさんは、女子の優秀さを褒めているのかと思っていました。数年前に医大の入試の不正操作が明らかになった時にようやく、そうかあれって性差別だったんだ、怒っていいんだよね……と気がついたのです。
「俺らしさと仕事の両立」
なんでこんなに生きづらいのかとものを考えてきた女性たちは、言葉をたくさん持っています。でも男性は、その機会がありませんでした。だから同じ世代でも、話が合わなくなるのです。いまだに女性向けの媒体には「私らしさと仕事」「働く女子の〇〇」なんて特集があるけど、男性向けで「俺らしさと仕事」ってあまり見ないですよね。男性にとっては、いつの時代も仕事は選択肢ではなく、宿命だからです。レールにうまく乗っかっている男性はなかなか構造のおかしさに気づかない。レールから外れたり車両からこぼれ落ちた男性は負け組の烙印を押され、「自己責任だろ」と置き去りにされます。
就職氷河期に不安定な雇用で働き始め、中年期を迎えた大量の団塊ジュニアたちは“人生再設計第一世代”と命名されてやっと光が当たり始めたけど、若者にまで「努力が足りなかったのだから自業自得だ」という価値観が染み通った世の中では、機会の平等という言葉は負け犬の言い訳みたいにあしらわれます。ねえ、これが21世紀の夢物語を散々聞かされた私ら“未来の子”が望んでいた世界なの?
もうすぐ2025年がやってきます。団塊世代が後期高齢者になって、男性も含めて、中年人口の介護離職のリスクが急激に高まるターニングポイントです。その時になって、レールから降りたら負け犬呼ばわりなんておかしい、って気づいても遅いのです。あと4年。たったの4年で新しい未来が始まります。かつての同級生たちよ、それは他人事じゃないのだよ。
今まだ20世紀のお花畑を生きている同輩男子たちには、その日が来る前にアップデートして欲しい。その日ってつまり、いま手にしている権限やら肩書きやらが、加齢とともに取り上げられる近い未来のことですよ。
話の合わない人が増える時代にどう生きる?
いつ生まれたかよりも、どう生きたかがその人の頭の中を作るもの。このモヤモヤはなんだ? 自分はどんな世の中に暮らしたいだろう……と考えながら生きていれば、たった2年前の自分だって、別人みたいに感じられるはずです。久々に会った同級生と全然話が合わなくなっていても、不思議じゃないんですね。
だけど時の流れは平等です。みんな一緒に歳をとっていく。願わくは老いの兆しが私たちを聡明にしてくれますように。「90代までこのままいけるでしょ!」なんて終生現役気分の勝ち組おっさん(含む女性)たちには、そんな話は通じないのかもしれないけれど。
ダイバーシティアンドインクルージョンて、つまりは話の合わない人が増えるということ。お互いに疲れるんですよね。多数派や主流の人々が少数者を尊重して包摂するだけでなく、誰もが「自分はこのコミュニティに歓迎されている、居場所がある」と実感できることが大事だといいます。
それをビロンギング(居心地の良さ)とも言うそうだけど、さてあなたはどうかしら。話の合わないあの人と自分と、いったいどちらが社会からはじき出されているの? それともどちらとも、安心できない場所にいるのかしら。
対話って、言うほど簡単じゃない。時にはそっと距離をとり、時間を置きながら、気長にチャンスを窺うしかないのかもしれませんね。
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情報元リンク: ウートピ
老いの兆しが私たちを聡明にしてくれますように【小島慶子】