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「どうか、生きて…」樹木希林さんが残した言葉と『9月1日 母からのバトン』が生まれるまで

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「死なないで、ね……どうか、生きてください……」「今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの」

亡くなる2週間前の2018年9月1日、窓の外に向かってそうつぶやいていたという樹木希林さん。そんな母の言葉をきっかけに娘の内田也哉子さんが、不登校について考え、対話し、その末に紡ぎ出した言葉をまとめた『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社)が8月2日に発売され、一週間で7万部を突破。現在*、累計8万部と反響を呼んでいます。*8月22日現在。

同書は、生前の樹木さんのインタビューとトークセッションの第一部と、内田さんが不登校の関係者や当事者、識者らと対談した第二部で構成されています。

2014年に樹木さんに単独インタビューを行い、今回、内田さんとも対談した『不登校新聞』編集長の石井志昂(いしい・しこう)さんと、内田さんや石井さんの“伴走者”として編集を担当したポプラ社の天野潤平(あまの・じゅんぺい)さんに話を聞きました。

【本の内容は…】「どうか、生きて…」内田也哉子が樹木希林から受け取った“バトン”とは?

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樹木希林さんのインタビューを改めて再編集

——『9月1日 母からのバトン』が生まれたきっかけについて教えてください。

石井志昂さん(以下、石井):去年の8月2日に、不登校の当事者・経験者たちが樹木希林さんら著名人20人に生きづらさや生きるヒントについてインタビューしたものをまとめた『学校に行きたくない君へ』(ポプラ社)という本を出したのですが、9月に樹木さんが亡くなられて……。

最初は、僕が樹木さんにインタビューした音源や講演録があるので、その本のプロモーションとして使えないかなと天野さんと話していたところから「内容が素晴らしいのでこれを本にしませんか?」という話になりました。

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天野潤平さん(以下、天野):今回、この本にも収録した樹木さんのトークセッション「私の中の当たり前」の音声と動画を石井さんからいただいて、見たらすごく良い内容だったんです。

それに、2014年7月24日の『不登校新聞』に掲載されたインタビュー「難の多い人生は、ありがたい」も、新聞だと紙面の関係で文字量が絞られていたのですが、記事をベースに音源を改めて聞き直して、樹木さんの当時の語り口や息遣いを再現するくらいの勢いで加筆修正して合体させたら一冊の本になるのでは? と思い、企画を立てました。

石井:構想の段階からずっと天野さんと一緒にやっているので、僕は勝手に二人三脚だと思っていて、今回のインタビューも“裏方代表”として天野さんと一緒に受けたいなと思いました。

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内田さんが思い出した母の言葉

——内田さんはどの段階から参加されたのですか?

天野:今回の本を作るためには当然、ご遺族の方の許可が必要なので、いろいろなツテをたどって手紙を送ったところ、ある日突然、会社に電話がかかってきたんです。「内田也哉子です」って。

石井:樹木さんもそうだったんですが、也哉子さんも突然電話がくるんだなあと(笑)。

『不登校新聞』編集長の石井志昂さん

『不登校新聞』編集長の石井志昂さん

天野:こちらがご提案した企画は「樹木さんの講演録」だったのですが、内田さんは「これ以上、母の本はあまり出したくない」という反応でした。樹木さんは生前、ご自身の本を出しませんでしたから。「正直、娘としては、今の状況が母の意に沿っているのかどうかが分からない」「自分の中でも整理がまだついていない」とおっしゃっていた。

石井:内田さんと対談したときにも「母をダシに使って儲けようという人はいっぱいいます」「母はさまざまな出版依頼をすべて断っていたので、書籍化には悩みました」とおっしゃっていたので……。

天野:もう「そりゃそうだよなぁ……」としか思えなくて、諦めモードでお話を続けたんですが、その中でふと内田さんが思い出したことがあったみたいで、それがまさに「まえがき」に書かれたことだったんです。

「母が亡くなる2週間前に、窓の外に向かって『死なないで、死なないで』とつぶやいてたことがあった」と。「それが9月1日だった」と。そのときに、これはすごい話を聞いてしまったと思いました。

それで、「不登校、9月1日というテーマであれば、母が生前あれほど気に掛けていたテーマだし、私も3児の母として、子どもたちや学校をとりまく現実について学んでみたいという気持ちがある。その過程を含めて本を作るのはいかがですか?」という“逆提案”をいただいたんです。

第一部におさめた樹木さんの生前のインタビューとトークセッションを出発点として、第二部で内田さんがお母さまの想いをたどっていく。そのためにいろいろな人に話を聞こうということで、今のような内容になっていきました。

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——樹木さんからのバトンを受け取った内田さんの「ドキュメンタリー」を見ているような内容だと思いました。

石井:最初からバシッと構成を決めてというよりは、一つ一つの事実が積み重なるように出てきてできあがった本ですね。

天野:でも、本を作っている最中にお父さま(内田裕也さん)が亡くなられたときは、さすがにこの企画もなくなるんじゃないかなと思いましたね。

石井:内田さんの立場になれば、すごく苦しくてつらいことだったと思うし……。でもなんとか出版にこぎつけることができました。

——去年に発売された『学校に行きたくない君へ』と同じ8月2日に発売したのは?

天野:9月1日ピッタリに出しても遅いからです。1カ月かけて、ひとりでも多くの今「不登校」で悩んでいる人たちに向けてメッセージを伝えたかったので、去年のやり方を踏襲しました。

伴走者として「編集をしなかったのが編集だった」

——第二部で内田さんは石井さんをはじめ、不登校経験者のEさん、樹木さんの最期に寄り添ったバースセラピストで内田さんとも家族ぐるみで付き合いのある志村季世恵さん、日本文学研究者のロバート・キャンベルさんと対談をします。対談相手の人選はどのように?

天野:内田さんと「まず誰から始めようか?」という話になったときに、僕は迷わず石井編集長を挙げたんですね。というのも、内田さんはまず不登校の現状を知りたいっておっしゃっていたので、だったら『不登校新聞』の記者さんで、樹木さんに直接取材したご本人である石井さんから始めるべきだろうと。それで石井さんとの対談が終わった時点で、内田さんが「次は若い当事者または経験者の人の話を聞いてみたいです」とおっしゃって、そうやって決まっていきました。

——本当に現場で作っていった感じなのですね。

石井:本当に現場で作っていました。内田さんが“頼まれ仕事”ではなくて、主体的に動いて、自分で意義を感じて作っていると感じました。そういう意味では本当に一緒に作っていった。

天野:本当にお母さんの思いを知りたかったんだろうなっていうのは、感じましたね。

——まさに「バトン」ですね。樹木さんが生前に「学校に行けないということ」について語った原稿を、内田さんが「バトン」だと理解したということですが、お二人も樹木さんからバトンを受け取ったのだとしたら、どんなバトンだと思いますか?

天野:答えになるのか分からないのですが、この本を作っている間に思ったのは、ひとりの人間としての内田さんに伴走させていただいた感じというか……。それまでは、樹木さんも内田さんも、僕にとってはテレビや雑誌など「メディアの向こう側にいる人」だった。

でも今回、ご一緒したことで、内田さんが持つ娘としての、母としての、あるいは文化人としての、いろいろな顔を見た気がしました。多面性というか。改めて、一言で語れるものじゃないのが人間なんだなあ、と思いましたね。

編集を担当したポプラ社の天野潤平さん

編集を担当したポプラ社の天野潤平さん

——本編の原稿は天野さん自らがまとめたのですか? ブックライターさんを入れずに?

天野:内田さんと一対一で、スピード感を持って進めたかったので、自分で書きました。第一部に関しては、とにかく樹木さんのテープ音源を聞き直して、なるべく当時の息遣いが伝わるように気を付けました。

樹木さんに関する本はいろいろな出版社からも出ていて、もちろんどれも良いと思うのですが、やっぱりかなり編集されているな、と感じたんです。

例えば、分かりやすい名言を抜き出したり。だから僕自身、実際の音源を聞くまでは、もっと樹木さんって言葉を置きにいくというか、ズバッと言い切るような感じなのかなあと思っていたんです。

でも、そんなことなくて、トークセッションのテープを聞き直してみても、来場者からの質問に言いよどんでいたり、「そんな簡単に答えられないわよ」みたいなことを言ったりと、真剣に受け答えをされているんですよね。

だから、もちろん編集者としてこの本の「編集」はしたのですが、ある意味、編集しすぎないような編集をしたのかなって、思います。

——編集をしすぎないような編集?

天野:例えば第二部に関しても、内田さんという人間が対話を通して考えを深め、揺れ動いていく過程をまるまる伝えられたらいいなあ、と思いました。樹木さんや内田さんが読者に渡したかったバトンを、なるべく生の形で、生の言葉でつないでいきたかった。内田さんがここまでに表立って言葉を話されることはなかなかないので、なおさらそう思いましたね。

だから、僕が何か具体的な「バトンを受け取った」というよりも、自分の役割は「つなぎ役」だったのかなという印象です。

受け取ってきたバトンは「血と涙の歴史」

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石井:僕は、今回の本に限らず「不登校」について取材してきて受け取ってきたバトンというのは血と涙の歴史だったと思うんです。

昔、17歳の不登校の子にインタビューをしたときに、話を聞こうとしたらその子が30分くらい泣き続けたことがあったんです。それでも、泣きながら「学校に行けなくなった自分が悔しかった」と声を絞り出すように話してくれて、この話も「今まで誰にもしたことがなかった」と。

「ああ、そういうことなんだよな」って思いました。「不登校」っていうたった三つの文字ですが、その三文字に言い表せないほど、苦しんだ歴史、親と格闘した歴史、死を考えたり、つらかったり苦しかったり悔しかったりするドラマがそれぞれの子にあるんですよね。

たかだか「学校に行かない」というだけでこんなに苦しめられるのはおかしいということを伝えないといけないと強く思いました。苦しんできた分だけ絶対に伝えないといけないし、この苦しみはなくせるはずだなって思うんですね。そう思ってやってきました。

だからこそ「不登校」というバトンは次の世代に渡したくないです。学校に行くのが正常で、学校に行かないのが異常だと思っているから「不登校」という言葉があるわけで……。いらない言葉だなって思います。

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(構成:ウートピ編集部、堀池沙知子)

■番組出演情報

『不登校新聞』編集長の石井志昂さんが8月26日(月)午後10時から放送される「逆転人生」(NHK総合)に出演します!

【司会】山里亮太、杉浦友紀【ゲスト】不登校新聞 編集長…石井志昂【出演】中川翔子、北斗晶

情報元リンク: ウートピ
「どうか、生きて…」樹木希林さんが残した言葉と『9月1日 母からのバトン』が生まれるまで

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