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帰省するのが憂鬱…母親の“自己犠牲アピール”がつらいです。【DJあおい】

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【今週のボヤき】

いつもお盆は帰省するのですが、今年はカレンダー通り休みをとらないで仕事をしていようかなと思っています。というのは、実家の母親は私のことをとても大事に育ててくれたのですが、自己犠牲型というか、自分の幸せは差し置いている感じが私には重く感じてしまいます。普段、私はひとり暮らしで経済的には自立してそこそこ楽しく暮らしています。

でも、実家に帰ると、母親は「お父さんが稼いだお金だからぜいたくはできない」「化粧品も〇〇ちゃん(私)のお下がりでいい」「○○ちゃん(私)が幸せならそれでいい」みたいなことを会話の節々に出してくるので、なんか暗い気分になります。思えば私の中高時代もそうだったので、思春期の頃は「私が生まれてこなかったほうがお母さんは幸せだったのでは?」と悩んだこともありました。今でも「私って金のかかる娘だったよなあ」と思うと胸がチクンとなります。

本当は母親には私のためでも父のためでもなく、自分のために生きてほしいなと思っているのですが、それは私のエゴでしょうか? 65歳の母にいまさらそれを求めるのは酷なことでしょうか?

子供が育ってくれてうれしいけど、でもちょっと寂しい?

子育ての目的は自立してもらうこと。

順番通りに行けば親のほうがこの世からサヨナラしなければならないわけですから、いつか親がいなくなっても子供には元気で幸せに生きていってほしいと願うのが親心でしょう。

そのために親は心血を注いで働き、「アホか!」と言いたくなるほどのクッソ高い授業料を払ったり、時には子供から鬱陶(うっとう)しがられても、自分のことはさておき子供のために口うるさくお説教をかましたりするわけです。

そもそも妊娠出産自体が自分の命を子供に分け与える作業ですからね。

親というのは子供がおなかの中にいる時からすでに自己犠牲の愛情を注いでいるのですよ。

それもこれも子供が立派に生きていけるようになるため。

あなたの身体も心も命そのものも、親の自己犠牲で分け与えられたものだと思ってください。

でも、望み通りに子供が立派に自立して、親が必要ないほど社会で生きていけるようになると、ちょっと寂しいんですよね。

それはとても喜ばしいことのはずなのに、身を引き裂かれるような寂しさもあるんです。

立派に育ってくれてうれしい、でももっと親として必要とされたい。

「うれしい」「寂しい」という相反する感情に挟まれて、少し感傷的になってしまうこともあるでしょう。

たまには親を必要としてあげよう

植物や動物、この世に存在する生物のほとんどは、生殖能力がなくなるとその命の役目を終えてあの世に旅立ちます。

その命は次につなげるための命ということですね。

しかし人間は生殖能力がなくなってもまだ生きていける稀有(けう)な存在です。

命はすでにつなげたはずなのに、まだ使命が残っているのが人間。

人は人に必要とされることで生きていける生き物。

おそらく誰からも必要とされなくなったとき、その命は役目を終えるのでしょう。

親に少しでも長生きしてほしいと思うのなら、たまには必要としてあげてください。

帰郷して「お腹空いたー!」とワガママを言うのもよし、部屋を散らかしてぐうたらしているのもよし、きっと喜々としてあなたのことを叱ってくれるでしょう。

親が生き生きする瞬間というのは、子供の世話を焼いている瞬間ですからね。

それが立派に育ててくれた親に対する恩返しになりますよ。

情報元リンク: ウートピ
帰省するのが憂鬱…母親の“自己犠牲アピール”がつらいです。【DJあおい】

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