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相手のいい部分もそうでない部分も受け止める…「魅力的な人」ってどんな人?

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コラムニストの桐谷ヨウさんによる新連載「なーに考えてるの?」がスタートしました。ヨウさんがA to Z形式で日頃考えていることや気づいたこと、感じたことを読者とシェアして一緒に考えていきます。第1回目のテーマは「A=Attraction(魅力的な人ってどんな人?)」です。

「魅力的な人」ってどんな人?

7年前、インドに滞在していたことがある。ビジネス目的だったんだけど、本当に楽しい数ヶ月間だった。自分は国内でも海外でも、どこかに行ったときはなるべく現地の人にふれ合うようにしている。言葉を交わし、ナマの情報を仕入れることで、どんどんと自分の目の前の景色が変わっていく。未知の世界の手ざわりが変わっていくことがたまらなく愛しいのである。

それはインドのオフィス……といってもデスクを抜け出して、広場のようなところで現地のオフィス・ワーカーとチャイを飲みながら雑談をしていたときのことである。日本人が物珍しいこともあって、1対10くらいの感じでたわいもない事を喋っていた。突然ある人が「お前はなんでそんなオープンなんだ?」と聞いてきた。

俺は「ただのパーソナリティだ」と答えた。そして「そんなに日本人はシャイに思えるか?」と聞き返した。

彼は「いままで出会った範囲ではそう思える。お前は珍しい」

悪い気はしない。「たしかにマイノリティなキャラかもしれないね」と返すと、彼はこう言った。

「You attract others」(君はまわりを魅了する)

おいおい、ホメ殺しかよ。周囲のインド人は独特の首を振る仕草で同意していた。ご存知かもしれないが、インド人はしばし縦でも横でもなく、ヤジロベーのように首を振るのである。首の骨どうなってんだ。

さて、魅力的な人とはどんな人なんだろう。

かつては「他人を惹きつけてやまない人」と思っていた気がする。やることなすこと面白くてワクワクさせられる。喋ることすべてがドキドキする。Interestingのカタマリのような……。自分は十代の後半から、そんな人に憧れて、自分もそうなろうとしていた気がする。

そんな人になれたかは疑わしい。マジョリティとは感覚がちょっとちがう(というよりもズレている)ので個性的に見られるし、面白がられることは多いけれど、ただの変な奴と思われることも多いし、サービス精神がToo muchになってしまって一緒にいると疲れると思われることが多々ある。

まぁ自分のことはそんな感じだけど、いまでも俺が魅力的だと感じる人は「Interestingのカタマリのような人」だということは変わらない。人が人を好きになるのは、それは恋愛関係でも友人関係でも一緒なんだけど、「もっと知りたい」という思いが先行するという信念があるからである。

その人が自分の価値観を信じて、自分の目で世界を捉えていく。そのときの感性が「自分と似てるけど、自分だけでは知りえない世界」であったときに、たまらなく興味をそそられてしまうんだろう。まったく同じではなく、さりとて全然ちがうわけでもなく。

ただただ相手をそのまま受け止めることができる人

30代になった頃から、他人を見る目が少し変わってきた。それまでは「その人の見ている世界が面白いか」だけが判断軸だったんだけど、「包容力を持っているか」という視点である。

自分の世界観を持っている人は、概して他人に厳しい傾向がある。自分の価値観に自負を持っているし、自分のそれにマッチしない他人を見たときに「ダサい」とか「なってない」というジャッジをする傾向があるからだ。めっちゃ一方的だなと思うけど、実際にそういう人が多い。でも、自分の軸を持っているから、カッコいい人が多い。

同時に、他人に対して「ただそこにいるだけで良いんですよ」というメッセージを放てる人はすごい、と思う。自分が寂しいから他人を求めるのではなく、自分よりすごいから一緒にいるわけでもなく、自分より下だと見下すわけでもなく。ただただ、他人をあるがままに受け止められる人というのはきわめて少ない。

俺にとってコミュニケーション能力とは、ライフワークのように興味を持ちつづけている対象なんだけど、テクニックだけでは上手くいかない深淵な世界である。「場を上手くまわすスキル」って本当に低次元のコミュ力で。最近は「その人のその人らしさを引き出すスキル」というのにすごく興味を持っている。これは自分が相手をジャッジしてしまうとたちまち成り立たなくなる能力だからである。

一般的にコミュ力が強い人は会話の方向性を決定づけることに長けている。そしてその場のほとんどの人が気持ちよくすごせるように空間をつくってしまうことが得意である。これ自体は素晴らしい能力である。多くの人はその流れに乗っかることで場を楽しむことができるからだ。

ただし、その流れに乗っかったとしても、それぞれの思考やキャラクターを十二分に活かしているかと言ったらそうは限らない。むしろ、活かしているほうが少ないだろう。どうしたって、こぼれてしまうものがある。

上手くやれない「ぎこちよさ」のようなものは「上手くやる」ことでは発露しない、その人の愛おしい個性そのものだったりする。忍耐とは少しニュアンスがちがうけれど、そのぎこちなさやへたっぴさを含めて、「そこにいてほしい」と受け止められること。

それは、その場にいる相手を肯定も否定も抱き抱えて、そのまま受け止める。イケてる部分も、イケてない部分も。変われない部分も、変わらなくて良い部分も、変えようとしている部分も。そういうことのように思える。

それを世間で包容力というのかは分からない。でも、俺は包容力の正体をそれだと考えていて、魅力的だと感じる人は「他人を惹きつけてやまない人」であると同時に、他人に対して「ただただ受け止められる人」だと感じている。

知識や教養があるとか、多様性を許容できる人ということよりも、よっぽど人として魅力的であることの条件としてしっくりくるのである。おそらく40代、50代と「魅力的な人」の理想像は、どんどん自分のなかで変わっていくだろう。そして「なりたい姿」も変わっていくだろう。

これだけは止めようと思っているのは変化を止めること。それこそが老いの正体であり、ダサいオッサンの元凶だからである。思考も価値観も澱まずに、流れを止めずにこれからも生きていきたい。

※次回のテーマは「Buy」。ヨウさんが2020年に買ったものについて考えます。

(イラスト:山本さほ)

情報元リンク: ウートピ
相手のいい部分もそうでない部分も受け止める…「魅力的な人」ってどんな人?

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