東京に疲れたわけでも地元にこだわっているわけでもない
「なんか落ち武者みたいですね」
渋谷のレストランで、その日初めて会った女性から言われた一言です。
「オチムシャ?」予想外の展開を受けて脳内検索が始まります。5秒後、頭に浮かんだビジュアルは更科六兵衛さん。映画『ステキな金縛り』で、西田敏行さんが演じていた落ち武者です。えーっと、霊だったけど、雰囲気的にはあの感じ? えっ、私、あの感じ?
一瞬、意味が分からず、海老のアヒージョに伸ばした手が止まります。きょとんとしていると、彼女は食べかけのバゲットを置いて繰り返しました。「落ち武者みたい、って言ったんです」。食事会で、初対面の人から落ち武者認定される。ざ、斬新すぎる。
“六兵衛トーク”が飛び出したのは、地元の沖縄ゼミを始めた話をした時。「えー、もったいない。それって都落ちですよねー」からの……落ち武者コメントでした。
「どうして東京で頑張らないの?」たぶん、彼女が言いたかったのはそういうこと(違ったらごめんなさい)。
東京に疲れたわけでも、沖縄から出ないと決めたわけでもないんだけどなぁ。働き方を考える出来事があって、自分なりのバランスを探し始めたところっていうか……。うーん。
ちょうどいい温度感の言葉を探している間に、テーブルの話題はあっさりと次へ。どう答えるのが正解だったんだろう? 帰り道、駅に向かいながらいくつものパターンを考えます。
「沖縄もいいところだよ」「働き方って、人それぞれじゃない」。うーん、違う。「六兵衛さんじゃないんだから…(笑)」。これは絶対違う。
ベストアンサーが見つからないまま降車駅でドアが開き、なんとなく時間切れ。ささくれた気持ちをなめらかにしたくて、贅沢仕立てのヨーグルトドリンクを買って帰路につきました。
病院の天井を眺めてた日々で気付いたこと
すぐに反応できなかったのは、私自身、ずっと、都会は働くところ、地元は休むところと決めつけていたからかもしれません。15年以上暮らしている東京が好きです(告白風)。もちろん、出身地の沖縄も好き。
でも、広報の専門家として経験を積むなら東京のほうが良いと思っていました。情報量が多く、程よく乾いた街の居心地は抜群です。
都心でバリバリ働いて、たまの休みに実家でノンビリが自分の黄金比率。いつかは沖縄に戻る(かも)、でも、今はまだ具体的なイメージが湧かないというのが正直な気持ちでした。
そんな考えが変わったのは、30代の終わりに病気になり、長期療養をした時。何ひとつ思うようにならず、グレーの天井を見ながら空想ばかりしていました。
お気に入りは「もしもシリーズ」。もし、オフィスを3つもらえるならどこ?(A:東京、沖縄、パリ)。もし、なんでも好きな仕事を選べるなら?(A:やっぱり広報の仕事)。
「制限を設けず、浮かんだアイデアを否定しない」を唯一のルールにして、毎日いろいろなことを考え続けます。しばらくすると、ほんの少しだけ、都会はこう地元はこうという決めつけから自由になっていました。
地元の、これまで見えてなかった選択肢に気付いた瞬間
私の場合、仕事に刺激があれば、意外と場所にはこだわりがないのかもしれない。0円空想生活の中で見つけた働き方のヒントです。
沖縄で広報の仕事をするなら、どんな方法があるんだろう。「広報部がある会社が少ない」「そもそもニーズがないかも」と否定したくなる気持ちを抑え、退院後、体調が整うのを待って新事業や研究助成のコンペに次々と応募しました。
きれいさっぱり全部落ちて、お祈りメール(レター)だけが残りましたが、これまで気付いていなかった選択肢にチャレンジできる感覚はとても新鮮で、不思議と諦めたいとは思いませんでした。
その数年後、私は沖縄でPRゼミを開講することになります。ひょんなことから、働く女性向けにPRとブランディングを教える企画が生まれ、大勢の人の協力を得て実現することができたのです。オリジナル教材を作り、毎回20名分の課題を添削するのは簡単ではありませんが、ゼミ生たちと学ぶ刺激は想像以上で、月に1回、ゼミに合わせて沖縄に戻るのが楽しみで仕方ありません。
この大切な場をどう育てていくのか、私自身のいる場所と仕事のバランスをどうしていくのか試行錯誤は続きますが、何事も決めつけすぎないようにしながら、答えを探すつもりです。
「その、地元の捉え直しのトコ、もう少し詳しく教えてください」と、編集者さん。「えーっと、例えて言うなら……」と口を開き、最初に頭に浮かんだのは、わらしべ長者でした。日本昔ばなしに出てくる、アレです。
マズイ……。落ち武者の流れで、発想がクラシカル。このままだと、東京のことを「江戸」と言いかねません……。「せ、整理してみます!」と言い残し、小走りで帰ってきたので、これはまた、次のおはなし。
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情報元リンク: ウートピ
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