東日本大震災の発生に伴い、大きな危機に見舞われた福島第一原子力発電所。その中では何が起こっていたのか——。映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ/若松節朗監督)が3月6日(金)に全国の劇場で公開されました。
本作で主演を務める佐藤浩市さんと、佐藤さんの娘を演じた吉岡里帆さん。出演を決めた理由などについて語っていただきました。
知らないということを知ってほしい
——本作を観るまで私は、現場に残ったみなさんが日本国外のメディアで「Fukushima50」と呼ばれていたことを知りませんでした。おふたりがこの言葉を知ったのはいつでしたか?
吉岡里帆さん(以下、吉岡):私も知りませんでしたが、監督との面談の時間に詳しく教えていただきました。監督が「みんなが知らないということを知ってほしい」とおっしゃったのが印象に残っています。
佐藤浩市さん(以下、佐藤):海外でそのように報じられていることは、当時のニュースで知っていました。けれど、日本ではあまり取り上げられていませんでしたよね。「状況はかなり厳しいようだ」とは伝えられていましたが、結局どのような状況だったのか、なぜ彼らが現場に残ったのか。それらはなかなか伝わってこない。監督の話を聞くうちに僕も、知られていないことが多くあるのだなと実感しました。
——震災から9年経っていますが、今も全国に1万人を超える福島からの自主避難者がいるなど問題はまだ解決したとは言えません。とてもデリケートな題材です。出演を決めることに迷いはありませんでしたか?
佐藤:そうですね。言いにくいけれど、題材として危険なところがあることは否めません。けれど、監督たちは「何らかのプロパガンダにならない」とおっしゃった。そして、「これからの未来を生きる人に自分たちは負の遺産を生んでしまったかもしれないけれど、そうではない部分でどんなバトンを渡せるか」「負の遺産を負のままにしないために、映画などの活動表現があるのではないか」と。それならば参加したいと出演を決めました。
オファー前の偶然
——吉岡さんはいかがですか?
吉岡:私が出演する家族のパートは、作品全体としては割合が少ないですが、難しいテーマだしどうしようというのはとても考えました。現場でも浩市さんが「(出演を)悩まなかった?」と声をかけてくださって。それくらい参加を決めるのは勇気がいる作品だったと私も思います。
佐藤:何が決め手になったの?
吉岡:私はそれまで、原発事故のことを、しっかり分かっていなかったんです。関西出身で、生活や人間関係に直接的な被害がなかったことも大きいですし、当時はまだ高校生でしたから。
けれど、別のお仕事で(福島の)富岡町*から東京に避難してきた方に故郷への思いを聞く機会があって……。
そこで語られた当時の状況や、日常が奪われる苦しさはとてもセンシティブで、切なくて……。その直後に本作のオファーをいただいたので、少なからず縁があるなと。これからどんどん福島での事故を知らない人も増えるので、復興の次の担い手となる人たちが過去を知ろうとするのはすごく大事なんじゃないかと思ったんです。
*福島第一原子力発電所のある大熊町に隣接する町。Fukushima50の撮影現場としても登場する
「よくいる父と娘」に見えたらいいと思った
——今回、おふたりは父と娘を演じています。家族のパートは短いながらもとても印象的でした。どのような家族にしようかと、何か話し合われたのでしょうか?
佐藤:距離感や関係性、そういったことは多少。けれど、全部が決めた通りではなくて、父親と、結婚を考えている年頃の娘。「よくいる父と娘」に見えたらいいなと思っていました。
ちょっとした衝突もあって良好ではないけれど、憎んでいるわけでもない。世の中が平和なときは気にも止めないような小さな諍いでも、有事のときは別。「あんなこと言わなきゃよかったな」「あのときこうしていたらよかったのかな」とお互いに思いを巡らせる瞬間を感じてもらえたら、と。
吉岡:私も、家族のシーンには誰もがどこかで感じたことのある瞬間が入っていると思っています。有事のときでさえ、自分の子どものことを考えるし、ケンカをしていても帰りを信じて待つし……。そんな普遍的なことが現れている。
佐藤:吉岡さんとは撮影に入る前に少しだけお話させていただいたのですが、その短い時間でも作品と自分の距離感を常に考えていることが伝わってきて「彼女は、クレバーだから大丈夫だろう」と思いました。
吉岡:先輩にそんなふうに言っていただくと、照れます(笑)。私がクランクインしたのは、撮影のだいぶ後半だったのですが、浩市さんとお会いしたときにゾッとしたことが忘れられません。
緊張感のあるセットの中で
佐藤:ゾッとした?
吉岡:今までの佐藤浩市さんのイメージって、デニムが似合う若々しくて格好いい方。けれど、お会いしたときは10歳くらい歳をとったのではないかと思うくらい疲労感や悲壮感が漂っていたんです。思わず「自分なんかが声をかけてもいいのだろうか……」とためらってしまうくらいでした。
佐藤:とても緊張感がある中で撮影していたからね。今回はセットの都合なども含めて中央制御室で被災した日から時系列に沿って撮ることができたんですよ。実際にそこにいらした方々の気持ちに完璧に寄り添うことなんてできないし、同じ気持ちになるなんてことは到底できないのだけれど、役者が一人ひとり思いを持って、時系列に撮影が進む。すると何が起こったか。みんなどんどん顔が変わっていった。
吉岡:ずっとイチエフ*に入られていた方の表情は本当に苦しそうでした。
*福島第一原子力発電所の略称
佐藤:今は撮影技術がかなり進歩しているので、現場は本当に真っ暗。その中で芝居をしていると、本当に気が滅入ってくる。これだけでもツラいのに現実はどれほどであっただろうと想像すると、もう僕が何をするという話ではなくなる。そういう環境を監督やスタッフが緊張感を持って作ってくれたのがよかったと思います。
正解がわかっていてもままならないことがある
——出来上がった作品をご覧になっていかがでしたか?
吉岡:このような災害が起きるという仮定がない状態で、突然日本という国を守らなきゃいけないという重圧の中、少しでも最良の決断をしないといけない……。その状況が実際にあったのだと思うと、実際に現場にいた皆さんには尊敬の念を抱かざるを得ないです。
——その決断が正解じゃないリスクもある中で、選択と決断をしないといけないわけですもんね。
佐藤:その瞬間は正解でも、時間が経つと違っていたということになるかもしれませんよね。それは誰にもわからない。杓子定規な考え方で「これは正しい」「それは間違っている」と“正しい主張”はできるかもしれない。でも、「そのためにどうする?」「どうしたらいいの?」と併せて問うこともしたいですよね。
目の前の事象だけを見れば、何かを糾弾することは可能だけれど、当事者として抱えている人たちにとってはどうにもならないことが世の中にはたくさんある。その正解がわかっていても、ままならないからみんな苦労している。そういうことを考えるために今があるんじゃないかなと思いますね。
(取材・文:安次富陽子、撮影:大澤妹)
- 夏帆「この世界で、女性としてどう生きていこう?」映画『Red』で主演
- リアルなのはサエちゃんをめぐる人間関係 『架空OL日記』の魅力【バカリズム×佐藤玲】
- 藤原季節さん、宮沢氷魚さんに聞く、互いの好きなところ
- 高山都・続けるうちに見えてきたこと【これが私の生きる道】
- 夏帆「私がどう生きているのかがお芝居に出ることもある」映画『Red』
- 夏帆「“自分らしく”と“自分勝手”は違う」映画『Red』
情報元リンク: ウートピ
佐藤浩市・吉岡里帆が「今、この作品に出演する」ということ。映画『Fukushima 50』