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カラフルな東京と棲み分けという名の階層【あのこは貴族】

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東京・松濤で生まれ育った「箱入り娘」の華子と地方出身で猛勉強の末、名門私立大学に入ったものの家庭の事情で中退した「地方出身者」の美紀――。東京の街を舞台に異なる境遇(せかい)を生きる2人の女性を描いた映画『あのこは貴族』(岨手由貴子監督)が2月26日に公開されます。

山内マリコさんの同名小説が原作。「結婚=幸せ」と疑わずに育った裕福な家庭の子女・華子を門脇麦さん、富山出身で大学進学とともに上京した美紀を水原希子さんが演じています。

作家の鈴木涼美(すずき・すずみ)さんに寄稿いただきました。

【門脇麦さんインタビュー】「結婚=幸せ」のお嬢様を演じるにあたり心を砕いたこと

東京に仕掛けられた巧妙な階層

歴史的に街区による棲み分けや貧富の差などが残る他の大都市に比べて、東京というのはもう少し複雑だ。23区だけを切り取っても結構広い上に、高度経済成長期の急な開発や、行政の努力などいくつもの要因が重なり、地区によるはっきりした分断はどんどん薄れている。名のある高級住宅街の外にも、都市開発による新しい憧れの地名は何度も登場し、また階級や階層を否定する教育も手伝って、上空から見ると全体に多様な人が混ざり合った、シームレスな都市にすら見えるかもしれない。

そんな東京で暮らしていても、階層や分断、あるいは種族やクラスのようなものを感じることがないわけではない。それはかつての貴族/平民といった分断や、爵位のように名付けられた階級ではなく、また一つの基準で上に向かって重なっている階層ですらない。生まれた家の名前の場合もあれば、単純に財産のこともあれば、美や経験、学歴や国籍などが関係することもある。あるいは、誰かが恣意的に引いた線に囲まれていることもある。街区や爵位で分断されていないからこそ、巧妙な階層から自由になる術を私たちは知らない。

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1人の男を介して交わる2人の女性の“日常”

同じ街の空気を吸いながら、別々の景色を見て暮らす2人の女性が登場する『あのこは貴族』は、そういう複雑な階層が混在する東京の物語だ。クリニックを経営する医者の父親のもと松濤に生まれ、花嫁修行しながら結婚を待つ箱入り娘と、地方の労働者の家に生まれて、必死に受験して東京の大学に入るものの、家庭の事情で退学した後はしばらく水商売をしていた会社員。2人の女性の日常は混ざり合ったりはしないが、それぞれの肉体が都市や男や店を共有することで一瞬交差し、お互いの存在を察知し、認識し合う。

最初に目につくのは、都市/地方、富裕/貧困という、自分の意思とはあまり関係なく抗えずに持って生まれたものの対比である。階級レスな社会だとしつこく教えられたとはいえ、親の育ちや学歴、財産や収入を選んで生まれてくることはできないし、生まれた家で育つ場合がほとんどの現状では、親の世代の多様性が、そのまま子供の境遇の差になる。その差によって幸福追求の機会に大きな差を生む社会は階級社会と呼ばれ、その差が少なければ多様性社会と呼ばれる。その階級と分断を描いた映画は今でも米国を始めとする多くの場所で量産されているが、本作の描く機微は、分断への問題提起にはとどまらない。

次に目につくものとして、既婚/独身、無職/仕事、安定/自由といった、自分の意思が関係する選択の対比もある。ある程度の個人の自由が尊重される時代には、いくつかの選択肢の中から自分で選び取ったものによって、生きるコミュニティや場所が分かれていくことがある。選べるのだから一見シンプルに思えるが、実際はクリアな自分の意思なんていうものがどれだけ有効だったかはわからないし、選んだからといって他の選択肢の魅力が消えるわけでもない。時々、生まれ持ったものよりも、自分で選び取ってきたはずのものによる分断のほうにより窮屈に縛られることもある。

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これらは映画を彩る東京の背景だが、そこに男による女の仕分けが重なることで、作品はさらに重層的な色味を帯びている。作品中に立ち現れる本妻/愛人、家族/愛、本命/セフレという対比は、何も男の気まぐれだけでできているわけではない。東京の背景がつくる微妙な色合いの階層を、男が咀嚼(そしゃく)し、解釈して、適用する。女は男の扱いを通じて、自分の階層を認識する。男が勝手に名付けてくるだけなら拒絶もできるが、背景となっている自分の色に身に覚えがあるからこそ、なんとなく受け入れてしまう。

映画の中で、通常ならあまり交わらない2人の女性の日常は、1人の男を介して交わることとなる。このとき、男は階層の違う女性を交差させる機能を持つようにも見えるが、実際は、男を通じて階層が出来上がっているようにも見える。もともとあった違いが、男のフィルターを通すことで形を持った階層になって、まるでそこから抜け出せないかのようにすら思える。

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線で引かれた「階層」になるとき、誰かの意思が存在する

この感覚は、現実の東京を生きる女として、既視感がないとはとても言えない。「ああいう男が結婚するのは絶対家柄がちゃんとした遊んでないタイプだよね」とか「ああいうタイプの女は結婚はしてもらえないけど愛人にしたがる男は多いよね」とかいう会話に、あるいは「お嫁さんに選ばれやすい服」とか「婚活には不向きだけどナンパされやすい服」とかいうファッションに、自然と男視点の仕分けをインストールして、こちらもその線引きを越えて恥をかかないように振る舞う癖がいつしかできた。

本命にしてもらえると甘い夢見る女友達を小突いて、勘違いした女の悪口を言って、今度は女同士で線を引き合い、マウントの取り合いで複雑怪奇な階層をつくった。ちょっとした特性の上に男の枠組みが重なり、さらにその上に女の番付がつけられた。

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生まれた場所や家庭環境の違いが、多様なグラデーション状の「違い」から線で引かれた「階層」になるとき、そこには誰かの意思が存在する。大衆を効率的に動かしたい権力者の場合もあれば、生徒を合理的に分けたい学校の場合もあれば、特権を維持したい貴族の場合もあった。そして、女を都合よく使い分けたい男の場合もある。その階層はもっともらしく、強固に見えるから、ついつい引き受けて、時には楽しんでしまいがちだし、それで幸福な時には別にいいのだと思う。

それに、本来持っていた違い自体は変えられないのだから、与えられた境遇に文句を垂れるよりも、引き受けて乗り越えて武器にして生きたほうがいい。ただ、なんとなく息苦しさを感じている時に、その枠は本当にそもそも自分にセットされていたものなのかどうかを紐解いてみると、あるいは誰かの人生の都合でセットされたものである場合もある。誰だって、「良家の娘」に生まれた覚えはあっても、「本妻向きの家庭」に生まれた覚えはない。もともとある色を利用したふりをして、勝手な色付けをされたらたまらない。

自分の意思とは関係のない境遇の違いも、自分の意思でした選択も、そこに生まれる差異が、幸福/不幸、自由/不自由の対比になってしまえば、それはひどく窮屈で住みづらい世界である。本来持っていたものの上につけられた色も、その色をもとにして自分らで重ねつけした優劣も、その構造に気付いてしまえば、実際は結構脆弱(ぜいじゃく)なのかもしれない、と、ゆっくり表情の変わるラストシーンを見ながら思った。

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■映画情報
『あのこは貴族』2021年2月26日(金)全国公開
【クレジット】 (C)山内マリコ/集英社・『あのこは貴族』製作委員会
【配給】東京テアトル/バンダイナムコアーツ

情報元リンク: ウートピ
カラフルな東京と棲み分けという名の階層【あのこは貴族】

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