【今週のボヤき】
先日、取引先の人と仕事でやりとりしていた際に、仕事の内容で厳しい指摘を受けました。確かに先方の言う通りで、その指摘のおかげで中身が良くなりました。言いにくいことなのに丁寧に指摘してくれたことに感謝の気持ちでいっぱいでした。と同時に、自分の今までの仕事を振り返ったときに「本当は私にいろいろ指摘したかったけど、言わないままの人もいたんだろうなあ」と想像し、落ち込みました。
逆の立場で考えたときに、私だったら取引先の担当者の未熟な部分はよっぽどの場合以外はスルーして「今度から頼まなければいいんだし」と思います。それを思うと、自分が知らないまま犯していただろう“しでかし”が次々と思い浮かび、今から奥多摩にでも行って滝に打たれたいくらいでした。私ができることは今回から変わることだと思うのですが、気持ちの立て直し方について教えていただきたいです。
人は知らない間に見守られている
人を育てる過程で最も難しいのが「見守る」という行程だと思います。
安易に手助けをしてしまえばその人のためにならないし、口うるさく言ってその人の行動を支配しても心まで変えることはできないし、時には失敗して傷つくことも必要だし、自分自身が気付き、自分自身の意思で変化していくのが一番の成長になるから「見守る」という行程は最も大事なことなんですよ。
しかし、見守られている間は見守られていることに気付きません。
そりゃそうですよね、見守っている側からしてみれば見守っていることを悟られないようにこっそりと見守っているわけですから。
ではいつ自分が誰かに見守られていたことに気付くのでしょう?
それは誰かに叱られたとき、その意見を素直に受け入れることができたときに「あ、自分は今まで周りから見守られていたんだな」と気付くことができるんです。
「見守られている」という過程がなければ、あなたはきっとその叱責に「ちっ、うるせえな」と反発していたでしょう。
その人の叱責を素直に聞けて、自分の能力に変換できたのは、実は今まで多くの人に見守られていたからなんですよ。
あなたを叱ってくれた人も優しい人なら、あなたを見守ってくれていた人も優しい人。
実にたくさんの人の優しさで、人は育てられているということですね。
「変わろう」と思ったときは変わり始めている
人は変わろうと思って変わる生き物ではありません。
「変わろう」と思ったときはすでに変わり始めているんです。
「変わろう」と自分自身で気付いたことが変わりはじめた証し。
周りの人のたくさんの優しさですでに心は変わっていますので、あとは行動でその心を証明するだけです。
心と行動が一致して人は完成する。
それが一致するまでにはそれなりの葛藤はあるとは思いますが、それは一種の成長痛。
痛いと感じたときは大きく変化している途中なので、痛みに負けることなく頑張ってください。
自分を粗末に扱っていいのは自分だけですからね。
無理をしなきゃいけないときは無理をしてください。
たまには無理をしないといつか必ず後悔するよ。
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情報元リンク: ウートピ
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