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「僕は自分のためにドナーになった」という夫の言葉に思うこと 

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中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。

今回は、友人間移植についての考え方の違いについて夫婦で話し合ったことについてつづっていただきました。

友人間生体移植をしたセレーナ・ゴメス

この連載も10回目を迎えました。最近は腎臓病や臓器移植について、ネット上や対面でお話する機会が増え、話を聞いてくださる人の多くは、血のつながりのない夫から腎臓移植できる時代になったという「臓器移植医療の進歩」に驚いている印象です。《他者と臓器をシェアして生きていく》ことが可能になった現代の医療は、一般的には非日常的であるかもしれません。だからこそ素朴な疑問をぶつけてくださる人がいます。

「夫婦間で臓器移植できるということは、友人間でも可能ということ? だって大切な人が必ずしも家族であるとも限らないよね」

そんな問いを受けて思い出すのは、約1年前に腎臓の移植手術を受けた米国人歌手のセレーナ・ゴメスさんです。彼女が患っていたのは、全身性エリテマトーデスという原因不明の難病でした。その治療のため、セレーナさんに腎臓を提供したのは、女優のフランシア・ライサさん。2人は「友人間生体腎移植」を実行したのです。

このニュースは、「親友を、身を呈して救った」などの文脈で世界中のメディアが取り上げ話題になりました。ただし日本人の我々にとってそれは、海の向こう側の話にすぎません。日本では、ドナー本人の希望があっても、友人や善意の第三者からの臓器提供を受けることはできません。生体ドナーの範囲は、日本移植学会の倫理指針で「6親等内の血族、配偶者と3親等内の姻族に限られる」と定められているからです。

認められているのは「血縁」か「法律婚」でつながっている人だけ

親等、血族、姻族といってもピンとこないかもしれません。簡単にいうと血がつながった人か、法律婚でつながった人ということになります。

例えば、自分の父母と子どもは1親等、祖父母や兄弟・姉妹は2親等、 叔父叔母・甥姪は3親等、いとこは4親等に当たります。また、義父母は姻族1親等、義兄弟・義姉妹は姻族2親等、さらにその子どもは姻族3親等。ここまでくると、ものすごく遠いご縁のような気もするのですが、倫理上は問題ないようです。

一方、アメリカなどでは「利害関係のない知人からの善意の提供」が認められているので、セレーナさんは友人間移植が実現したわけです。

この差について、「日本も善意の第三者からの提供を認めるべきだ」という人もいれば、「人身売買のリスクもあるから認めるべきではない」という人もいるでしょう。

私は個人的に「どちらであるべき」といった提案をするつもりはありません。あくまで、腎移植をした一体験者として、ドナーの範囲と可能性について夫と考えてみようと思いました。

術後、本当に大変なのはドナー

「遠くの親戚より近くの他人なんて考え方もあるのに、なぜ親族でないと許されないのかな」。話し合いは、夫の問いかけからスタートしました。

「それは、ドナーの負担があまりに大きいからじゃないかな」。レシピエント(受給者)である私は、そう思っています。

手術のダメージは、ある種、ドナーの方が大きいのです。本来あったものを取られるという精神的苦痛と喪失感は並大抵のものではありません。実際、セレーナに腎臓を提供したフランシアさんも、術後のインタビューで「ドナーのほうが大変」と回復までの苦悩を明かしています。

また、腎移植はいまや難しい手術ではなくなりましたが、リスクがあることは間違いありません。腎臓を1つ人工的に切り取るわけですから。腎機能は70~75%まで落ちてしまいますし、高血圧のリスクもあります。1%未満とはいえ将来透析が必要になる可能性もあって、しかも、身体に数箇所、傷跡が残ります。

移植前後の夫をそばで見てきたからこそ、友人同士でこれらのリスクと苦痛を共有することなど到底できっこないというのが私の持論でした。

しかし夫は、「どうなんだろうなぁ」と、優しく首をかしげます。そして予想外のことを話し始めました。

臓器はボランティアで提供してはならない

「僕は、その人が心からドナーになりたいと願うのなら、どんな人にも許可してあげられる世の中になればいいと思う。当然、臓器提供に金銭が絡むことがあってはならないので、ボランティア精神が何より大切なんだけど、その一方で僕は、臓器はボランティアで提供するものではないと思っているの」

……誤解を生みそうなので、どうぞ、続きを聞いてください。

「まず知っていて欲しいのは、ドナーになった僕は決して全ての人に対して献身的な人間ではないということ。なぜなら、両親や姉弟には同じことをしてあげられなかったと思うから。

半分は、はるかさんのために腎臓を提供したよ。でも残りの半分は自分のためにやった。……いいや、半分じゃない、8割は自分のためだった。妻が元気になれば、老後も一緒にいられる。それは僕の人生を豊かにすることであり、僕のエゴなんだ。

僕は、家族に泣いて頼まれようが、誰かに説得されようが、ドナー本人が嫌と感じるなら断固として断ってほしいと思う。失った臓器は二度と取り戻せないし、ダメージだって無視はできない。術後、僕の腎機能は下がったし、疲れやすくなったし気力だって前よりなくなった。それでも、ドナーになったことを一度たりとも後悔しないのは、自分で意思決定したからなんだ」

しあわせになるための決断ができるかどうか

家族も含め、誰かのドナーになるということについて、私と夫の考えは完全には一致しませんでしたし、今も一致しないままです。

けれど、夫の言葉は、私の心を揺り動かし続けます。

自分のために意思決定するということは、何も臓器移植に限ったことではないのかもしれません。どこで働くとか、結婚する・しないなんかも、結局は、自分がしあわせになるために意思決定をしているのだと思います。腎臓を提供した後の回復のツラさを明かしたフランシアさんのInstagramには、セレーナさんとの幸せそうな写真が投稿されています。

その幸せそうな笑顔を見て、個人の生き方や考えが尊重される世の中であってほしいと切に願うばかりです。

そばにいる人と助け合える社会って素敵だな

そばにいる人と助け合える社会って素敵だな

(もろずみはるか)

情報元リンク: ウートピ
「僕は自分のためにドナーになった」という夫の言葉に思うこと 

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