【ニュース】11月6日、ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』がヤフーニュースと本屋大賞が連携して運営する第2回「ノンフィクション本大賞」を受賞しました!
作家の西加奈子さんの小説『i(アイ)』(ポプラ社)の文庫版が11月6日に発売されたことを記念して、西さんとイギリス在住のライター・コラムニストのブレイディみかこさんが対談を行いました。
西さんは、ブレイディさんの最新エッセイ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)の帯に「絶対に忘れたくない、友達みたいな本」とコメントを寄せ、ブレイディさんとの対談を熱望していたと言います。
西さんとブレイディさんの対談の模様を3回に分けてお届けします。
東日本大震災で突き付けられた「ギルティ」
『i』は、アメリカ人の父と日本人の母の元にシリアからの養子としてやってきたワイルド曽田アイが主人公。貧困や内戦で悲惨な状況にある祖国とは対照的に、恵まれた自分の環境に罪悪感を感じています。一方、ブレイディさんのエッセイ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(以下、ぼくイエ)は、元・底辺中学校に進学した「ぼく」からみた今のイギリス社会の様子がリアルかつ軽やかに描かれています。
ブレイディみかこさん(以下、ブレイディ):今回は対談にご指名いただきましてありがとうございます。帯にもコメントを寄せていただいて……。私、普段は小説は読まないのですが、『i』を読んで本当に面白いなと思ったし、『ぼくイエ』とも内容が共振していると思いました。
西加奈子さん(以下、西):こちらこそ、ブレイディさんとぜひお会いしたかったので光栄です。将来、自分が年を取ったときに若い子に「私、この人と会ったことあんねんで」自慢しちゃうと思います(笑)。
『ぼくイエ』は、「ぼく」こと息子さんの「君は僕の友達だからだよ」や「人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」など、金言ばかりでした。
ブレイディ:私ではなく息子が言った言葉なので……。
西:ブレイディさんの言葉もです。本当に、何度泣いたか分からない。
ブレイディ:私は『i』を読んで、アイちゃんが「なんで自分が選ばれたんだろう」と悩んでいるのがすごく根源的な問いだと感じました。アイちゃんは、自分が養子として迎えられて恵まれた環境にいることも含めて、常に何かにつけてギルティ(罪の意識)を引きずっている。事件や事故が起こるたびに死者を数えてノートに記録しながら「どうして自分ではなかったのか?」「どうして自分はそこにいなかったのだろうか?」と考えている。
「この感覚は……」と思ったのが、私は、東日本大震災のときに日本にいなかったので、日本の人たちがあの震災で受けた傷を100パーセント理解しているとは言えないと思うんです。でも、文学でも評論でも、震災のことを書く人がいまだに多いことを考えると、あの震災がすべてを変えたと言っても過言ではないのかな、と。震災は文学にとっても大きい出来事でしたか?
西:言い方が適切かどうか分からないのですが、文学にとってもあの震災は「大きかった」と思います。私は東京にいて地震の揺れは感じたけれど、怪我(けが)をするとか家が倒壊するなどの被害はなかったんですね。私の実感でしかないのですが、当時は何となく被害が大きかった人の順に震災について喋っていいような空気があった気がします。
例えば、被災地のインタビューを見ていて一番つらかったのが、「私は妻を亡くしたけど、お隣さんは家族みんな亡くしたから、私の寂しさなんて彼らに比べたら……」というようなことを言っていた方。
「自分の悲しみさえ誰かと比べないといけないのか」と思ったのを覚えています。社会の何かが彼に我慢を強いているのではないかと。
何も「私が世界で一番悲しいんです」と声高に言う必要はないけれど、自分が悲しいのであれば、自分の悲しみを自分の悲しみとしてきちんと抱きしめてあげられる社会のほうが健全なのではないかなと思いました。
ブレイディ:本当にそうですね。
西:だから、アイちゃんにはすごく自分を投影していると思います。読者から「なぜ、アイはこんなに恵まれているのに悩んでいるのでしょうか?」という感想をいただいたのですが、その部分についてはアイちゃんが一番分かっている。だからこそ、「自分の悲しみをなかったことにせなあかんのか?」と思うんですよね。
震災のときは自粛モードのような、何かものを書くにもピリピリとした雰囲気がありました。でも、よく考えると今まで自由に何でも書けていたというほうがおかしいんですよね。私たちは毎日誰かをどこかで傷つけて書いている。
そしてあるときから自粛モードが終わって街にも灯りがパッと一斉についた。それも怖いなと思いました。
ブレイディ:何をもってその線を引いたんだ? って。
西:そうなんです。だから、人のことを書くという職業をしている限りは、このギルティと闘っていかないといけないというのを震災後に突き付けられた気がします。
「そんなの偽善」って言われるのが怖い
西:「i」のテーマの一つでもあるんですが、「アホでも世界のことを考えてもいいやん」というのはすごく言いたいことなんです。
ブレイディ:そうですよ! アホが世界のことを語ってもいいじゃないですか。そう思えるから私も仕事をしているところがある。まあ、アホが語っているからいろいろたたかれるけど……。
西:たたかれるんですか?
ブレイディ:たたかれますよ。私にとっていまや物を言うこととたたかれることは同義語です(笑)。
先ほど、西さんがおっしゃっていた「アイちゃんはぜいたくだ」という感想の件ですが、私はイギリスの底辺託児所で働いていたときに自分が「ぜいたく」の側だったんです。
私もなんやかんや日本では貧困家庭で育ったと思っていたけれど、託児所には比べ物にならないくらいの子たちがたくさんいた。だから、「私がやっていることは偽善じゃないの?」と思う瞬間がしょっちゅうあるんです。「そもそも、こういう子はイギリス中にいるのに、私が世話をしているのはほんの一握りだ。なぜこの子たちだけなんだろう?」って。
西:アイちゃんの「なぜ私が選ばれたんだろう?」という気持ちと通じますね。
ブレイディ:でも、西さんのお話を聞いて、そんなギルティのためにすごく大変な人たちのことを想像する力まで捨てる必要はないと思いました。
中には「そんなの偽善じゃん」と思う人もいると思うんです。「そんなことで世の中が回るなら楽だよね」って。でも、それさえも放棄しちゃったら、人間が人間じゃなくなるじゃないですか。だから、愛を捨てたら、私たちが「i」であることも捨てちゃうことになると思うんです。
西:まさにそれが本で繰り返されていた「エンパシー」ですよね。
ブレイディ:はい。シンパシーもエンパシーも日本語にすると「共感」です。シンパシーは「いいね!」ボタンを押すことだけれど、エンパシーは違う。息子の言葉を借りると「その人の立場になって、その人の靴を履いてみる」ことで「いいね!」は押せないけれど、その人のことを想像してみる力なんです。
自分よりも恵まれない立場の人や苦しい人たちに思いをはせるのは確かに「偽善」かもしれない。でも、エンパシーを諦めてはいけないし、いくら「偽善」と言われてもそれをすることをやめてはいけない。アイちゃんも最後にそれに気付いたのかなって。
西:そうですね、それは自分でもアイちゃんに託したことでもありますね。
まずは「自分(i)」を大事にする
西:また「3.11」の話なのですが、被災者の方のために祈るのも偽善や傲慢なんじゃないかとゴチャゴチャ考えていた時期がありました。
ブレイディ:なるほどね。
西:でも、「3.11」の直後に、仕事でブータンに行ったんです。そしたら、ブータンでお会いした人が皆「祈っています」と言ってくれた。それこそ、「それでええやん」って。私がなぜ祈ることを躊躇(ちゅうちょ)していたかというと、「偽善者と言われてたたかれちゃうかも」と思ってたから。
結局、自分のためだけに怖がっていたんですよね。それに気付いてからは、何を言われようが、本当に自分が思ったのであれば発するべきだなと強く思いました。
ブレイディ:「i」を発信していく……。
西:自分の思いを大切にする。まずは自分の「i」を大切にしないとなって。自分みたいな人間は特にそうなんですけれど、「i」を大切にしないと、他者に向かないんですよ。
ブレイディ:本当にそう思います。まずは「i」が大事だと思います。
(構成:ウートピ編集部、堀池沙知子)
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情報元リンク: ウートピ
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