「孤独」と聞くとどんなことをイメージするでしょうか? 「老後、独りぼっちになるのが怖いから結婚したい」「友達が少ない私は孤独でかわいそうなのか?」と思っている人もいるかもしれません。
このほど、独身研究家の荒川和久さんが『ソロエコノミーの襲来』(ワニブックス)を上梓しました。
荒川さんは「精神的に自立した価値観を持つ人=ソロ」と定義し、「ソロで生きる力とはつながる力である。それは、他人とつながるだけではなく、自分ともつながることであり、そのつながりは、強く継続的なものである必要もなく、一瞬でもいい」と提唱しています。
他人はともかく自分とつながるってどういうこと? 結婚していればソロじゃない? つながるのは一瞬でもいいの? 荒川さんに5回にわたってお話を伺いました。
【前回】「まずは自撮りしてみよう」自己肯定感を高めたい貴女に伝えたいこと
ソロで生きる力=自分とつながる力
——「本当の多様性は『一人十色』」「多様性の時代とは、違う価値観や考え方を持つ人たちがたくさんいる社会ではなく、それぞれが『自分の中にある多様性』に気づく時代」とありました。「多様性」というと「みんなちがって、みんないい」のような十人十色のことだと思っていたので、「どういうことだろう?」と思いました。
荒川:よくいわれる十人十色とは、一人一色だと思うのですが、ひとりの人間とは決して一色ではないですよね。ご自分に照らしてみれば分かりますが、時と場合によって違う色を発することがあるはずです。
本当の多様性とは「一人十色」であって、自分の中にたくさんの自分がいると気付くことなんです。その前提で考えると、ソロで生きる力とは、人とつながる力でもあり、人とつながる力は、突き詰めれば「自分とつながる力」でもあるということです。
——自分とつながる?
荒川:自分とつながるというのは、自分の中に生まれた「たくさんの自分」とつながるってことです。そもそも最初に人とつながらないと、「自分の中の新しい自分」は生まれてきません。人とのつながりの意味はそこにあります。結果的に、それがソロで生きる力、精神的自立につながるので。
ソロだろうが、誰かと一緒にいようがそういう自分の中の自分を知ることが「ソロで生きる力」になります。
——既婚か未婚かは関係ないってことですね?
荒川:関係ないです。本にも書きましたが、「ソロ」というのは、「束縛や干渉を嫌い、一人の時間を大切にし、誰かに頼ることをよしとしない」という価値観を持つ男女のことです。
だから、当然、結婚していてもソロ男・ソロ女は存在します。夫婦共働きで互いの財産を別々に管理しながら共同経済生活としての結婚形態をとる夫婦もいます。彼らの消費行動は、限りなくソロのままが多いですね。
——そういえば、周りを見渡してもそういう夫婦は多いです。「共同生活でかかるお金だけ互いに出し合って、収入はそれぞれが管理する。相手の収入は分からないけれど、別に気にならない」と独身のときと変わらない生活をしていますね。ソロというと独身をイメージしていましたが、そうとは限らないんですね。
荒川:それにね、人とうまく付き合えないから一人でいるっていうのは、“受け身ソロ”なんですよ。受け身ソロは、結果的にそうならざるを得ないからそうなっているだけで、決してソロで生きる力があるというわけではない。
——ソロというのは、一人でいる“状態”ではないんですね。
荒川:誰ともつながってなくて、ポツンとなったがゆえに、状態として一人だからこの状態をよしとして一人で生きていこうというのは、他人ともつながってないし、自分ともつながってない。
「誰ともつながってなくても私は気兼ねなくやっていけるからそれでいいんだ」というのは、修行僧というか仙人ですよね。そういう生き方をするんだったらそれでいいんですけど。
SNSでもたくさん友達がいるし、リアルでも大企業に勤めているし、知り合いはいっぱいいるけど、すごく孤立感を抱えている人が増えているのはそういうことですよ。「つながり孤立」と言いますが、状態として人とつながっているだけでは、何一つ心理的な孤立感を払拭することにはならないですよね。
コミュニティに“所属”しないで“接続”する
——孤立感や孤独を感じている人がいたとして、そういう人がソロで生きる力をつけようと思ったときにどうすればいいのでしょうか? 「私はコミュ力がないから」「人見知りだから」と言って人とつながることに抵抗がある人も少なくないと思います。
荒川:あるコミュニティに所属して、そこの人たちと友達になることだけが安心を得られるという考え方、そういう「所属するコミュニティ」の概念から脱却することですね。居場所探しにも意味はないかもしれません。
逆に、一冊の本がコミュニティになることもあるわけです。せっかく本を読んだんだったら、「あー、いい本だったな」って終わりにしないで、書評を書いてSNSに公開して、誰かに読んでもらったり、同じ本を読んだ人たちを探して読書会に行ってみてもいいのかもしれない。
——1回であっても?
荒川:たとえ1回であっても。むしろ、一期一会だと思えば、なおさらコミュ力のありなしは関係ないと思います。
「私は初対面の人とすぐお話しできない」「人見知りなので」ってなる人って、いわゆる社会の中で、仲間とかワンピース的な「俺たち友達」みたいな、そういう囲いの中に入って、お友達にならないといけないっていう強迫観念があると思うんですよ。
でも、例えば同じ本を読んで感動した人たちの読書会に行ったとして、そこでは、互いに初対面であることはまったく関係ないはずなんですよ。だって、「ここがよかった」ってそこの部分だけで共感できているから。読書会の後になって初めて「ちなみにあなた何歳でしたっけ?」って聞くくらいですよ。年齢だろうが職業だろうが既婚・未婚も実は関係ないんですよ。
取りあえずしゃべってみたら?
——どんなコミュニティに所属するか、ではないんですね。
荒川:所属じゃない。接続でいいんです。旅行もね、せっかく見知らぬ土地に行くんだったら、誰かに道を聞いたほうがいいんです。ナビなんか頼らないで。道を聞くだけでも、接続するコミュニティになるんです。それだけでいいんです。それが地元の人でちゃんと教えてくれるんだったらなおいいんですけど、声を掛けて声を掛けられるのが旅行者同士だったりもするんで、「私も分からないです」みたいな。そんな会話をするだけでも接続するコミュニティになるんです。
接続するコミュニティって、所属するコミュニティと違って、しがらみがない分、気楽なんですよね。「コミュ力」があるかどうかがなぜ問題になるのかというと、コミュニケーションを失敗した結果、未来永劫というか長い間、「あいつ空気読めないな」と他人から思われることを恐れているわけじゃないですか。
1回限りのセミナーでも旅でもいいんですけど、そういうしがらみと関係ないところに行ってみるっていうのをお勧めします。すると、案外「実は私って話せるんじゃないの?」ということに気付くんじゃないですかね。みんなが不安になったり怖がったりしているのって、「コミュ力がないこと」じゃなくて、コミュニケーションをミスることだし、そのミスであとあと自分が損をするんじゃないかっていう恐怖なんですよ。
——「実は私って話せるんじゃないの?」に気付くことが新しい自分を自分の中に発見するってことなのかな。
荒川:そう。何か欠落感や寂しさを感じているのだとしたら、それは「自分の中に多様な自分が足りない」ってことだから、銭湯でもスナックでも旅行でも何でもいいから行ってみてしゃべってみたら? ってことです。
※第3回は6月12日(水)公開です。
(聞き手:ウートピ編集部:堀池沙知子、撮影:宇高尚弘)
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情報元リンク: ウートピ
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