「ちょうどいいブス」「女性のほうがコミュ力が高いから…」平成も終わろうとしているのに、いつまで誰かの価値観に振り回されなきゃいけないの?
ウートピでは、女性をめぐる自虐や我慢について、改めて問い直してみるキャンペーンを始めました。ちょうどいいブスをやめた人も、今まさに葛藤している人も。一緒に考えてみませんか?
今回は、2018年12月に新刊『My Little New York Times』(廣済堂)を上梓したライターの佐久間裕美子さんに寄稿していただきました。ニューヨークを拠点に世界中を飛び回る佐久間さんは「モテなければダメですか?」と私たちに問いかけます。
「独りで寂しく」生きるよりはマシ?
今の女たちは、誰のために、どこを目指して生きていけばいいのだろう?
「ちょうどいいブス」という言葉を聞いて思ったことだ。
「ちょうどいい」とは誰にとってのことだろう? 自分にとって、なはずはない。自ら好んで「ブス」を選択する人はいないと思って、間違いはないと思う。とすれば、「ちょうどいい」は、自分を評価し、選択するかもしれない誰かにとって、ということだろう。
ちょうどいいブスを目指せば、君くらいの器量だったら、酔っていればなんとか抱ける、と思ってくれる男がいるかもしれない。「独りで寂しく」生きるよりはマシだろう? つまりはそういうことだ。なんて気分が落ちるメッセージだろう。
ここまで書いて、思い出したことがある。高校時代、器量もよくて勉強もできる同級生がいた。成績はとても良く、生活態度も申し分なかった。彼女は、受験する道を選ばずに、いわゆる「推薦資格」をもらって、中堅の上あたりのイメージの良い私立大学に進んだ。本人から聞いたわけではないが、ありすぎる学歴はお嫁に行く際に邪魔になるから、そこそこの私立大学に行ったほうがいいという決断らしい、と囁かれていた。
これはけっこう目に鱗な体験だった。生活態度も成績も悪かった自分だが、どうせ何かをやるのなら、できるだけ上を目指すのが当たり前だと思っていたのだ。
20代、彼女の結婚式が初めて出席する結婚式になった。価値観というものはそれぞれだ。他人の決断をとやかくいうつもりはない。彼女は、自分が望むものを若いときから理解していて、それを順調に手に入れたのだ。彼女が今、幸せかどうかは知る由もない。
「そんなことじゃお嫁にいけないわよ」という呪縛
思い返してみたら、私が子供の頃、悪さをしたり、行儀が悪かったりする女児にときとして投げつけられる言葉の中に「そんなことじゃお嫁に行けないわよ」というものがあった。親たちが、社会が、学校が思う「良い子」にしなければ、そんなあなたをお嫁にもらおうなんて思ってくれる人は見つからない、そして「お嫁のもらい手」が見つからないおなごは、誰かに面倒を見てもらえることなく、自分の面倒を自分で見なければならなくなる!悲劇だ! そんなほとんど呪いとも言える刷り込みがあったのだから、「幸せ」を確保するために、自分の能力より低い道を選択する女性がいても責めることはできない。
あれから20年以上が経った。2020年も、もうすぐそこ、というタイミングになっても、日本社会では相変わらず、女性にとって「モテる」「愛される」「羨ましがられる」といった受動的なポイントが過剰に重視されている。そしてこうした分野でポイントを稼ぐことが「幸せ」と紐付いている。愛や羨望を受け取ることに幸せを感じる女性もいるかもしれない。それだけで手に入れられるほど「幸せ」は甘いものではないことは確実だけれど。
見過ごされがちなのは、幸せの評価基準がこうした自分以外の他者(男性、社会、家族)に依存することにまつわるリスクだ。たとえば人に食わせてもらうこと。相手が病気になったら? 死んだら? 浮気をしたら? 暴力を振るうようになったら? そういうリスクはあまり語られない。そして「モテる」「愛される」が幸せという考え方は、日本社会に女として育つ過程で刷り込まれるもので、実際に人生というやつをやってみて、自分を幸せにすることができるのは自分だけだと気がつく。本当のところ、幸せというものは、瞬間的に心が感じるもので、状況設定によって恒常的に確保できるものではないのだから。
だから、女性が、配偶者を持ちたいがためだけに「ちょうどいいブス」を目指す、というシナリオを想像して、暗澹(あんたん)とした気持ちになる。何かに打ち込んでいて輝いているとか、みんなに頼りにされているとか、器量、という外的要因以外のポイントで抜きん出ていて愛されている、という人は、世の中にはいくらでもいる。
そしてそういう人たちは、はなから「ちょうどいいブス」なんて目指していない。容姿であろうと、生き方であろうと、上を目指し、輝こうと努力をしている人のほうがよっぽど魅力的だし、一緒にいて楽しいに決まってる。一方、「ちょうどいいブス」を目指す女性を想像してもちっともウキウキしない。「ちょうどいいブス」を目指す先に、何かいいことが待っているとは決して思えない。
自分イジメはもうやめよう
結婚=幸せ、ではないことは、女たちはもうとっくの昔にわかっているはずだ。配偶者、またはパートナーがいる、という状況は、二人が愛し合い、支え合い、理解しあい、尊重しあうという条件が満たされて初めて、幸せとイコールになる。
それなのに社会には「愛されてなんぼ」というメッセージが溢れている。突っ込んで考えてみると、こういうメッセージは誰のために発信されているのだろう。愛されない女はダメだ、男からモテない女は誰からも相手にされない——そう女たちが思って生きていくことで、誰が得をするのだろう。考えてみれば答えは明らかだ。女は子供を産んでくればいいと思っている人たち、女は「出産して」仕事を辞めるかもしれないから入試のときから減点しておこうと考える人たち、LGBTQは「生産性がない」と考える人たち、自己肯定度の低い女のほうが与しやすいと思っている人たち、そういうタイプの人たちだ。
もうそんな人たちが作った罠にハマるのはやめよう。彼氏がいないから、結婚していないから、子供がいないから——そんな理由で、自分イジメをするのはやめよう。そう大きな声で叫びたい。
ちょうどいいブス——何年か前だったら、バカじゃないの、と一笑に付すだけで終えていたかもしれない。自分には関係ないからどうでもいいと思ったかもしれない。が、最近、思うのだ。「モテなければダメ」という考え方を駆逐しなければ、5割の確率でたまたま女に生まれてくる子供たちがかわいそうだ。こんな毒々しい刷り込みから、どうしたら、いきいきと輝ける女たちが育つというのだ。だから声を大にして否定していきたい。そして同じように感じている女性たちと声を束にしていきたい。
#metooの嵐が吹き荒れたあと、アメリカで女性たちが立ち上げたTime’s Upという団体がある。その名前には「もう終わり」という意が込められている。男たちに支配されるのも、蔑視されるのも、差別されるのももう終わり。彼らの承認を求めて自分たちを卑下するのも、もうやめにしたい。
(佐久間裕美子)
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情報元リンク: ウートピ
あなたの憧れの人は「ちょうどいいブス」を目指さないはず【佐久間裕美子】