「ちょうどいいブス」「女性のほうがコミュ力が高いから…」平成も終わろうとしているのに、いつまで誰かの価値観に振り回されなきゃいけないの?
ウートピでは、女性をめぐる自虐や我慢について、改めて問い直してみるキャンペーンを始めました。ちょうどいいブスをやめた人も、今まさに葛藤している人も。一緒に考えてみませんか?
今回は、漫画家の安彦麻理絵さんに寄稿していただきました。『ブ活はじめます』(宝島社)、『オンナノコウフクロン』(イースト・プレス)、『ババア★レッスン』(光文社)などでユーモアたっぷりに女性の”呪い”を解いてきた安彦さんが『ちょうどいいブスのススメ』(主婦の友社)を読んで思ったこととは——?
Contents
女の憤りは山をも動かす
最近、なにかと話題になっている、お笑い芸人・山﨑ケイさん著『ちょうどいいブスのススメ』。ドラマ化されるにあたって、このタイトルや内容に(主に女性から)批判が殺到したらしい。それで急遽、ドラマのタイトルが、当たり障りのないものに変更されるという珍事件まで起きた。女の憤りは山をも動かす、という事か。
アマゾンのレビューを見れば、「参考になった」という感想もあるけれど、圧倒的に「不愉快」という評価が多い。
「…………一体この本には、どういう事が書かれてるのか?」
実は私も数年前に「ブスがテーマのエッセイ本」を出した人間である。私の「ブス愛」を、これでもか!!と、ぎゅうぎゅう詰めにした内容だ。だから、「ここまで話題になってるブス本を読まずして、今後、ブスは語れまい」と思うのも当然。勢いよく、アマゾンでポチった次第である。
で。読んでみた感想なのだが、結論から言うと「なんか、楽しそうだな」……であった。山﨑さん直伝の「美人じゃない女がモテるようになるためのテクニック」を駆使すれば、かなりの確率で、男のお持ち帰りに成功するらしい。
「何も釣れなかった」日々を思えば、タコでもイカでも…
やはり、恋愛ゲームはうまく回り出すと中毒性がある。コツを掴んで、「マグロの一本釣り」に成功すれば、味を占めて何度も挑戦したくなるもの。「合コン」という名の大海原に、釣竿背負って船を出す。鳥羽一郎、もしくは松方弘樹な世界である。日によっては釣れた獲物がタコやイカ、謎の深海魚だったりする日もあるだろう。
しかし、今まで「全く何も釣れなかった」日々を思い出せば、己の成長ぶりに目を見張るわけだ。
私の目にはそれが「とても楽しそう」に見えたのだった。
だから、この本は「男にモテたい!!」「恋愛ゲームを楽しみたい!!」と、素直に願う女性には(ブスとか美人は関係なく)、非常に有益な内容なのではないか、と思った。そして、「男にモテるようになるのって、案外簡単なんだな」という感想さえ抱いた。
何故なら、男をゲットするにはとりあえずの「ロングの巻き髪」「ニコニコ相槌上手・褒め上手」「純真・家庭的アピール」「清潔感のあるファッションやメイク」などなど。まぁ、大昔から言われてる事ばかりだが、そこらへんを押さえとけば、美人じゃなくともなんとかなるらしいのだ。
己の自我を捨て去って、万人の男が好きそうな要素、男にとって都合良さげな雰囲気を盛り込めば、モテる女の一丁あがり、なわけである(あまりに簡単すぎて「男ってバカなのか?」とさえ思えてくるが)。
だから、コスプレ感覚で、己の自我を捨てる事をおもしろがる事が出来れば、合コンも大いに楽しめるだろう。
しかし。
そうは言っても、大抵の女はコレを良しとはなかったのだ。
私の思う素敵ブスナイト
近年、セクハラ・パワハラ騒動で世界中の女が声を大にして、自分の意見をハッキリ言うようになった。けれど、この本の内容は、最近のそういう流れとは真逆を行ってるような気がする。
ネット上でも「ちょうどいいブスって、一体誰にとってのちょうどいいだよ!!」「女の自尊心をないがしろにするな!!」といった怒りの声が渦巻いてる……そりゃそうだよなぁ。
クソつまらん男の自慢話に相槌打たなきゃいけなくて、ニコニコお酌とかもして、ついでにケツまで触られてたらたまったもんじゃない。ホステスでもないのに、なんでこんな、無料でおもてなししなきゃならんのか。
そして、単刀直入に、顔について「ブス」と言い放ってるあたりも、批判の的になってるようだ。
ちなみに、私が以前書いたブスエッセイの「ブス」とは、「顔」の事ではなく「精神性」の事である(性格ブスの事ではない)。
分かりやすく言うと、「家で一人、ハイボール飲みつつ、スーパーで買ったイカゲソかじりながら、ババア映画の傑作『デンデラ』を観る、素敵ブスナイト」……こんな感じの「愉快なブス道」を楽しむ事をオススメする、ライフスタイル本である。
「ものすごく期待」された転校生時代
さて。話は戻って「顔についてのブス」である。
実は私、小学生時代、毎年「転校生」をやっていたという異常な経験の持ち主である。と言うと、「親は旅芸人か?」と思われそうだが、単なる公務員である。父親の転勤で、私は毎年、”転校生祭り”を繰り返していたのだ。
この、「転校生」という存在、なった人にしか分からない、とんでもない苦悩が潜んでいる。
転校初日。教壇に立って、さっそく自己紹介させられるわけだが、その時の、自分に注がれる視線。転校生は「ものすごく期待される」存在なのである。「可愛くて頭もよくて、運動もできる」(男子だったらカッコよさを期待される)、そんなスーパーな存在でないと「あからさまにガッカリされる」のだ。これ、ある意味、ひどい苦行である。
他人から勝手に「完璧を期待される」、そして「ガッカリされる」って、迷惑な話だ。なんで自分はこんな目にあわなきゃならんのだと常に憤っていた。
私は、特別、美少女でもなかったし、運動なんて走れば必ずビリだった。じゃあ頭がいいかといえば、理数系は大の苦手だった。
だから、クラスの男子が「あ〜あ」と、ガッカリする様を目の当たりにしては、本当に傷ついていた。こんな事を毎年経験するなんて、本当に異常である。
そして、5年生の2学期。親が家を建てたので、私はまた転校生をやるハメになった。転校初日、とりあえずの挨拶。型通りな事やって、帰宅。で、部屋で漫画なんか読んでた時の事だった。
家の外で、何やら男の子達の声がする。「ここ、アイツんちだろ?」「そうだよ、転校生の家だよ」と、何やらコソコソ言い合ってる。
「あー、なんかイヤだなぁ」と内心思っていたら、突然そいつらが大声で叫んできた。
「ブッス〜〜〜〜!!!!」
そして奴らは、ケラケラ笑いながら逃げていった。
他人に「ブス」と言われたのは、この時が初めてだった。
ほんとうに、心臓が止まるかと思った。胸にぶっとい五寸釘を打ち込まれたような気分になった。
オマエらに魂を売り渡す気はねーんだよ!
そんなわけで。
こんな悲惨な子供時代を過ごして、その後私はどんな思春期を送ったかといえば。
私は、山﨑さん言うところの「ちょうどいいブス(ジュニア版)」にはならなかったのであった。
もちろん、「男の子にモテたい、チヤホヤされてみたい」という気持ちは、あった。それこそ、「きゃーん♡」的な女子になれば男受けはいいんだろうな、という事は、想像でなんとなく分かっていた。しかし。
「なんでこんな奴らに、そんな媚び売らなきゃならんの?(怒)」
「オマエらに魂を売り渡す気はねーんだよ!!(怒)」という、憎悪と怒りが勝ったのだ。
ちなみに私は、声が低い。声が可愛くないのだ。
そのせいだと思うが、私は生まれてこのかた「キャー♡」を発した事がない。ドスっとボッソリ低い声なので「キャー♡」が圧倒的に似合わないのだ。だから私は、己の人生の中から「キャー♡」を抹殺した。「キャー♡」を封印した女の人生に、モテはない(多分)。
「ブスの転校生」という、男子からのジャッジを受ける悲惨な子供時代があって、私は「男に優しくない女」になった。もっと分かりやすくいえば「男にとっちゃ、都合よくないめんどくさい女」といったところか。
たまには男にチヤホヤされたいという煩悩
しかし、20代30代の頃は、「そんな自分ってどうなのよ?」と思った事もあった。「私だって、たまには男にチヤホヤされたいよ!!」と、煩悩に振り回された時期もあった。
しかし、どうしても「ロングの巻き髪」なんて受け付けないし、「パステルカラーのゆるふわなファッション」にカネを払いたくない。
心の奥底で、男に対して子供の頃からの「恨み」があったから、結局は「モテたい」という感情よりも、自我が勝ってしまったのだ。
「アンタ達にちょうどいい女に、私はなるつもりはない」という自我(うわーめんどくさ、これはモテないわー・笑)。
こういうやっかいな経緯があり、私は「ちょうどいいブス」にはならなかった。そして、「ガチでちょうどよくないブス」になったのであった。
とはいえ、ちょうどよくないブスでも、何故か2回結婚した。
子供、4人産んだ。来年の6月に、私は50歳になる。年内*に(あと1ヶ月以内に)生理がこなければ、多分、閉経確定である。
*編集部註:2018年12月
もし、20代の頃の自分が、この『ちょうどいいブスのススメ』を読んでたら、きっと感想は「くっだらねー!!ふざけんな、バカみたい」だったはずだ。
それが、色々、紆余曲折して、もうすぐ50になる私の感想は「なんか、楽しそうだな」であった。
「女、50歳になると楽になる」
それはきっと、私の中で「こういう、モテだの何だのに、距離を持って接する事ができる、こういう事、もう、どうでもいいんで」になったからだと思う。これは別に、「開き直ってる」とか「女捨ててる」というのではない。
「解放された」「すごく自由を感じるようになった」という事だ。
「女、50歳になると楽になる」という話は巷でよく耳にしてたが、これは本当なんだな、と思った。なにしろ今の自分、若い頃に散々苦しめられた「男受けとか、モテ・ブス顔」に関する感情、すっかり忘れてる。忘却の彼方。
顔のタルミ防止のために「ベロ回し体操」なんて毎日やってるけど、それ、別にモテたいからとかではなく、単純に「自分のため・鏡を見てガッカリしたくないから」である。男のためにやってるわけではない。
実は私、3年くらい前から着物にハマったのだけれど、ロリータファッション同様、着物も多分、モテない(フツーの着物着てたって、やはり突飛に見えますもんねぇ)。けれど、好きだし着たいから、居酒屋なんかでの飲み会には着物を着ていく。すごく楽しい。
着始めた頃は「着物なんだし、せっかくだから夜会巻きヘアやりたい!!」と思って、頑張って髪伸ばして頑張って夜会巻きやってた。けれどそれも、「なんか自分っぽくないなぁ」と思って、結局、短めのショートボブに切ってしまった。前髪は伸ばしたままだったけれど、それも最近、眉毛のあたりで切ってしまった。まさに、着物ボブババアである。
それで、酒、ガパガパ飲んで、タバコをスパスパ吸って、つまみをモリモリ食ってる。時には「犬神家の一族」のごとく、酔っ払って二の足を逆さまにしてすっ転ぶ事もある(これは本当に、激しくやめたいと思ってる)。
男の目からすればこんなのは「……なんだ、この中年女?」であろう。
しかし、そういうの、なんかもう本当に、どうでもいいのである(犬神家状態は絶対に阻止したいが)。
私にとっての「自由」
自分がしたい髪型で、着たいもの着て、そしてうまい酒飲めるなんて、心底幸せだと思っている(そして、そこにハードで愉快なブストークを散りばめたら、最高な飲み会である)。私にとっての「自由」とは、こういう事なのかなぁと最近つくづく思う。
男にモテるのは、とっても気持ちのいい事である。しかし、「ちょうどいいブス」から「ちょうどいい彼女」、そして「ちょうどいい嫁」になっちゃうと大変だと思う。己の自我はそっちのけ、色んな事めっちゃ我慢ばかりして、男に都合のいい嫁になったら、ホラー小説『ぼぎわんが、来る』(KADOKAWA)みたいになっちゃいそうである(ネタバレ注意になりそうなのでこのへんで留めときます)。
だから、「ちょうどいい」もホドホドにしないと、「家事育児一切やらないモラハラ亭主の完成〜!」になりそうで、そんな結婚生活は、ホラーよりも地獄である。
まだお若くて、男受けとかモテ、己の自我や煩悩に振り回されて苦しんでる女性の方々へ。
ババアになると、そういった事からスパ〜ンと解放されて、とっても自由になれるので、是非楽しみにしていて下さい。でも、気持ち次第で、今時の女の子は今からでも自由になれると思います。そんな時代になってると思います。
あなたが、愛想笑いじゃない、心からのチャーミングな笑顔が出来る人生を送れますように。
(安彦麻理絵)
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情報元リンク: ウートピ
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