DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」92回目のボヤきは「人を評価するのはやめたほうがいい?」です。
先日、友人とランチをしていて「この人は実は懐の深いいい人」「あの人はちょっと冷たい」という話をダラダラしていたところ、「○○(私)は、何かあるとすぐに評価をするよね。〜してくれたからいい人、〜してくれなかったから悪い人、みたいに。いちいち評価をして疲れない?」と言われ、ハッとしました。
確かに何かあるたびに「優しい人」「冷たい人」「デキる人」のように自分の中で勝手に評価をして、勝手に疲れていました。「評価」なんて結局その人の一面でしかないし、自分の主観が入った評価なんてアテにならないよなあと反省しました。あおいさんはどう思いますか?
「評価する」ってどういうこと?
例えば他人から「仕事ができない人、だらしない人、頭の悪い」等の悪い評価を与えられた場合、「は? そんなことないし!」とその悪評を跳ね返そうと反発心が働きますよね。
では、他人から「仕事ができる人、しっかりした人、頭のいい人」等のよい評価を与えられた場合はどうでしょうか。
悪い気はしない人も多いのかもしれませんが、実は他人からの高評価にも反発心が働く人も同様に多いのです。
「仕事ができる人」という高評価を与えられると「この人の前では仕事ができる人でなければならない」という心理が働いてしまいます。
「しっかりした人」という高評価を与えられると「この人の前ではしっかりした人でなければならない」という心理が働いてしまいます。
「頭のいい人」という高評価を与えられると「この人の前では頭がいい人でなければならない」という心理が働いてしまいます。
なぜか? それは高評価は裏返せば悪評価になってしまうからです。
「仕事ができる人」という高評価を裏切ってしまえば、それは「仕事ができない人」という悪評価になってしまう。
「しっかりした人」という評価を裏切ってしまえば、それは「だらしない人」という悪評価になってしまう。
「頭のいい人」という高評価を裏切ってしまえば、それは「頭の悪い人」という悪評価になってしまう。
高評価の裏にある悪評価に恐怖心があるから、高評価にも悪評価と同様の反発心が生じてしまうわけですね。
誰にも人の「評価」なんてできない
評価というものは人間関係に序列を作るようなものですから、それが高評価でも悪評価でもその序列に組み込まれるのが嫌なのです。
そもそも一体誰と比べて評価しているんだって話なのです。
人間関係とは目の前にいる人と対等な関係を築いていくことですからね。
よいも悪いも出来も不出来も美人も不美人も一切関係のない評価とは別次元のところで付き合うのが人間関係だと思っています。
仕事ができないからといってその命に価値がないわけじゃないし、仕事ができるからといってその命の価値が5割増しになるわけでもない。
性格や能力は違っても命の価値は同じじゃないですか、人間関係って人の命と付き合うということですからね。
人の命を評価することなんて誰にもできないことなのですよ。
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情報元リンク: ウートピ
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