中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。
今回は、移植をきっかけに夫婦の愛がさめてしまったらどうしようと不安に思っていたもろずみさんが、ある絵本作家の言葉にハッとさせられたというエピソードをつづっていただきました。
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傷跡は、夫婦お揃いのタトゥーといまなら言えるけど…
移植手術をして半年が経過しました。いまでは肉体的にも精神的にも落ち着きを取り戻し、以前と変わらない生活を送ることができています。痛みもなければ、本来背中にあるはずの腎臓が、お腹に移植されているという違和感も感じなくなりました。
手術前と違いがあるとすれば、私のお腹には約20cmの傷跡が1箇所、夫の体には約2cm〜5cmの傷口が4箇所あること。それはまるで夫婦お揃いのタトゥーのようで、私には夫婦の絆を感じるパーツのように思えています。
しかし、「お揃いのタトゥー♪」なんて呑気なことを感じられるようになったのは、心身ともに回復したからであって、臓器医療を受ける前は、そのようなロマンチックな思考には一切なれませんでした。
移植前の私は、常に不安を抱えていました。
移植をきっかけに夫の愛がさめてしまったらどうしよう…。
何しろ、健康な臓器を一つゆずってもらうのです。それがきっかけで、後悔をして、私に嫌悪感を抱いたり、愛より義務感が大きくなったりして、妻として愛してもらえなくなったら……? ドナーの心身への負担を考えれば、十分あり得ることでした。
「旦那さんに離婚したいって言えないね」
不安な日々を送っていると先輩から、「移植したら、2度と旦那さんから離れられなくなるね」と言われてドキッとしたことがあります。「大きな借りができるから、旦那さんを嫌いになっても離婚できなくなるね」という意味です。
夫とは15年の付き合いです。今さら私から嫌いになるなんてことはあり得ないと思いつつも、正直、「できなくなる」と制限されると、少し息苦しさを感じました。
そうこうしているうちに、手術の日がやってきて、2018年の3月に私たちは移植手術を決行したわけですが、案の定というか、思ったより早かったというか、術後早々、ショッキングなことがありました。
30代で健康な男性であるといっても、術後1〜2日は、痛みも精神的苦痛もマックスな状態です。夫は、「包丁でメッタ刺しされた感じ」と表現し、沈んだ顔で言いました。
「手術したことは後悔していないけど、以前と同じようにはるかさんを愛せるかどうかはわからない」
でた! 愛がこぼれはじめたゾ。
そう感じた私はショックでしたが、粛々と、受け止めることにしました。だって、夫はこれ以上ないギフトをくれたわけです。これ以上夫に何を求められようか……。
ギクシャクしてしまった夫婦関係
そして、術後2〜3週間経っても、夫の表情はかたく、夫婦の会話はよそよそしいままでした。夫になにか話しかけても4秒、5秒とうわの空。ふっと頭を持ち上げて「なんだっけ?」と反応するとか、これまでの夫にはないリアクションをすることがよくありました。
その度に、チクリと胸を痛めていたわけですが、後から考えると、要するに愛情うんぬんではなく、体調が優れなかったのだと思います。
なにしろ夫は(私も)術後すぐは、常に痛みを感じていたのです。立っても横になっても鈍痛が走ります。できるだけ体に力を入れたくないので、尿意を感じるたびに憂うつになりました。
そんな絶不調の中であっても夫は職場復帰に備えないといけません。健康になるために移植をした私と違って、夫は失わなくてもいい健康を損ない、普段通りのパフォーマンスを行う必要があるのですから、とてつもない不安とプレッシャーを抱えていたと思います。
ところが夫は、我慢強い人なので、「痛い」とは決して言いませんでした。そんな夫を横目に私はヘタレなので、すぐに「痛い」「痛い」と口にしていました。
そんな時、いつもなら「大丈夫?」と気遣ってくれる夫が、「僕だってツラいんだよ。はるかさんだけじゃない」と、ほんの少し非難の色をにじませた目でトゲのある言い方をしました。
(でも、痛いんだもん。なら、あなたも痛いと弱音をはけばいいじゃない……)決して口にこそしませんでしたが、ギクシャク、ギクシャク……。もしかしてずっとこのままなのかなと、私は内心穏やかではありませんでした。
「病人×病人」から「男×女」の関係へ
しかし、私の心配はとりこし苦労に終わりました。術後2ヶ月目に入ると、夫の表情が少しだけゆるみはじめたのです。体調が回復してきた証拠でした。同じベッドで眠れるようになったのも2ヶ月目でした。
それまでは、少しでもベッドが揺れると、お互い痛みを感じてしまうので、ベッドを別々にしていたのです。
この日から一緒に眠ろうという約束はありませんでした。寂しいなぁと思った私から、夫のベッドに恐る恐る潜り込んでみたのです。「自分のベッドに戻りなよ」と言われるかな……。しかし、夫は潜り込んできた私のために少しはじによけてくれて、私を受け入れるスペースを作ってくれました。「ああ、あったかいなぁ」その夜、私は穏やかに眠ることができました。
そしてその日、「病人×病人」という関係から、「男×女」という関係に戻れたように思いました。
またある時、夫は嬉しいことを言ってくれました。
あるドキュメンタリー番組を見て感銘を受けた私は、「なんて素晴らしい人生なんだ! これぞリア充!」と興奮していたのですが、夫は、うーんと首を傾げたのです。
「確かに、その人はリア充かもね。でも、僕らも負けてなくない? 臓器移植までして、こんなに仲が良いんだからさ」
なんか、感動ものでした。そもそも、移植を決断した理由の一つに、「夫婦のQOLをあげる」というものがありました。病気になったのは私だけど、夫の体の一部をシェアして解決するのであれば、そうしよう。で、2人でハッピーに暮らせるならそれがいいじゃん、みたいなことです。
だから、リア充という言葉を、夫の口から聞けたことが本当に嬉しかったのです。
なんとも色っぽい手術だな
夫の言葉を聞いた時、移植手術をする半年前に、仕事で出会った、世界的に有名なある絵本作家さんの言葉を思い出しました。
私は、「なんでもはんぶんこ(シェア)して2人で仲良くしようね」ということが書かれている作品が大好きで、我が家の棚に大切に飾っています。それくらい尊敬している作家さん。私はお会いできた喜びと、感謝の気持ちを、後日ご本人にメールしました。
《わたしが作品を愛しているのは、まるでわたしと夫のことが描かれたお話だと思ったからです。数ヶ月後、我々は腎臓の移植手術をします。夫から腎臓をもらうのです。臓器も、命も、はんぶんこ。いかにもわたしたちらしい生き方だと思っています》
すると、すぐに返信がありました。
《なるほど。なかなか色っぽい手術だな。ほぼ上手くゆきそうだ。》
それを見て、ポッと、体が熱くなるのを感じました。
これまで臓器移植って、倫理とか、エゴとか、そういう小難しい視点でしか捉えたことがなかったけど、言われてみれば、臓器移植って、なんだかエロい……。
考えたら、世界一愛する男の臓器を身体に入れるのです。しかも一度入れたら一生入れっぱなし。とりわけ腎臓とは、泌尿器系の臓器です。恥部をシェアしちゃう……。うん、やっぱりなんかエロい。
術後初めて夫と同じベッドで眠り、夫の身体に触れたときに、作家さんの言葉がよみがえりました。
《ほぼ上手くゆきそうだ。》
うん、確かに。「絶対に」なんてことはないかもしれない。でも、私と夫は“ほぼ上手く”いっている。夫婦お揃いのタトゥーのような傷跡も、リア充夫婦だという夫の言葉も、移植手術という体験から得られたもの。一心同体ならぬ、一“腎”同体。ほぼ幸せな私は、今日もお腹を撫でながらニヤリとしてしまうのです。
(もろずみはるか)
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情報元リンク: ウートピ
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