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容姿に恵まれているがゆえの苦難…小池真理子が主人公に負わせた苦痛の意味

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作家の小池真理子さんによる長編小説『神よ憐れみたまえ』(新潮社)が6月24日に発売されました。小池さんが約10年の歳月をかけて執筆した書き下ろし小説で、ある晩に起こった凄惨(せいさん)な事件をきっかけに過酷な運命の渦の中に投げ込まれていく少女の波乱に満ちた人生を描いています。

小説の執筆中、小池さんは90歳の母と37年間連れ添った同業者の夫を亡くしました。

近しい人の死や病に直面しながらの執筆を経て「(同作は)私を救ってくれた作品でもあるし、作家生涯の中で私を一番苦しめてくれた作品。おそらく一番忘れられない作品になりました」と振り返る小池さんにお話を伺いました。

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「それでも自分の人生を生き抜いていく」主人公を書いた理由

——『神よ憐れみたまえ』は、昭和38年の三井三池炭鉱の爆発と国鉄事故が同日に発生した「魔の土曜日」と言われた晩に、両親を惨殺された12歳の黒沢百々子の波乱に満ちた人生を描いています。『波』に執筆されたエッセイには小説の構想は2010年頃とありましたが、詳しくお聞かせください。

小池真理子さん(以下、小池):『波』のエッセイにも書いた通り、怒涛(どとう)の日々が始まる幕開けのような時期でした。2008年に軽井沢の自宅が暖炉の煙突火災で燃えてしまって、その翌年に父が亡くなって、母も認知症がだんだん悪くなってきて……。

あるときぼんやりとテレビを見ていたら映画の『風と共に去りぬ』が流れてきたんです。好きな映画で何度も見ているのであらすじも知っているのですが、次々に降りかかってくるあらゆる禍や苦悩、人生の苦しい局面を乗り越えて生きていくスカーレット・オハラと自分をいつの間にか重ねていました。

そのときに、それでも自分の人生を生き抜いていく女性を主人公にした大河物語のような小説を書きたいなとちらっと思ったんです。当時は構想なんて大それたものではなかったのですが、書き下ろしで書きたくなりました。それから少しずつ、日々の大変なことと闘いながらも内容を煮詰めていきました。

——10年の間に小池さん自身に起こったことと連動して内容は変わっていったのでしょうか?

小池:変わるというよりも中断ですね。中断につぐ中断です。父が亡くなった後に、母が閉塞性動脈硬化症で足先が壊死して右足を切断しなければいけなくなったり、私自身も自宅で転倒して骨折したりといろいろなことが起こりました。仕事も週刊誌や月刊の文芸誌の連載小説を抱えていました。一つ終わればまた次を始めなくてはならないというように、なかなかうまくいかないことの連続でした。ようやく「書けるかな?」と思って書き始めるとまた中断。やっと没頭できる時間ができた矢先に夫の肺に末期がんが見つかりました。そういう意味で一気呵成(かせい)に気持ちよく書いた作品ではないですね。

「仕事」とはちょっと違う、書くことの快感

——夫の藤田宜永さんを看病しながら執筆していた時期もあったそうですね。小池さんにとってこの小説の執筆はどんな意味を持っていましたか?

小池:心のよりどころの一つではありましたね。朝起きてから夜寝るまで夫の看病という現実に向かい合って自分の仕事もほとんどできない状況だった時は、書斎でパソコンを開いて原稿を一から読み直したり、続きをちょっと書いたりしていると一番気持ちが落ち着きました。小説と向き合う時間を10分でも20分でも持っていたかった。そんな意味で私を救ってくれた作品でもあるし、作家生涯の中で私を一番苦しめてくれた作品でもあります。おそらく一番忘れられない作品になりました。

——書くことや仕事が小池さんの支えになったということでしょうか?

小池:もちろんそうなのですが、「仕事」という位置付けともまた違います。もちろん私たち作家も収入を得なければいけないので収入のために書いている部分もゼロではないけれど、書くという作業は収入のためにだけやっているわけではない。それはほかの多くのミュージシャンや音楽家、画家もそうだと思います。なんでしょうね? 摩訶不思議な空間の中に自分を投げ入れることの快感を知ってしまったから。「役者は3日やったら辞められない」と言われますが、小説家も一回その快楽を味わってしまうとやめられないんです。そういう意味で書くという作業は仕事とは別の次元にある気がします。もちろん期日までに仕上げる義務はありますが、ただ単に仕上げればいいのか、というと、必ずしもそうではないところがあると思います。

——2020年のはじめに藤田さんが亡くなられて……。とても一言でなんて言い表せないと思うのですが、藤田さんはどんな夫だったのでしょうか?

小池:多くの方から「2人は本当におしどり夫婦で、こんなに愛し合っている夫婦は見たことがなかった」と言われるのですが、それは私の感覚とはまったく違って……。そういう次元じゃないというか、同じ土俵の上でずっと戦ってきたのだけれど、いつも手をつないで前のほうを向いている。あるいは、手をつないで後ろ向きになって「もう疲れたから社会に向かっていかなくてもいいよね?」なんて2人で話している。だから普通のご夫婦のように、どこか良い意味で割り切って夫役、妻役をやっていたことはまったくないです。その辺は特殊だったと思いますね。

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主人公に負わせた容姿に恵まれているがゆえの苦痛

——小説のお話もお聞きしたいのですが、母ゆずりの美貌で恵まれていたはずの百々子の人生は両親を殺された晩から180度変わります。あらゆる苦難や禍が百々子を襲いますが、百々子の果敢に人生に対峙していく様子が力強く、どんどんページを読み進めました。

小池:これまで書いてきた作品もそうなのですが、結局、私は1人で生きていく女の人が好きなんです。孫や子供に囲まれて豊かで楽しい老後を送って茶の間でみんなでお菓子をつまんでいる光景が想像の中にないんですね。だから一貫して1人で生きている女の人を中心に据えて書いてきたのですが、今回もその流れの一つです。それは私が若い頃に選んだ自分自身の生き方の反映なのかもしれません。もちろん結婚して子供をつくって家ではお母さんをやりながら作家をやってらっしゃる方もたくさんいますが、彼女たちが作品の中で書く子供や家庭生活の様子は私は実感として書けないと思います。想像では書けるけれど、実感がないことに対してはどうしても消極的になってしまいます。

——百々子が飛び抜けた美貌の持ち主であるがゆえに禍に巻き込まれてしまうのもやるせなかったです。

小池:百々子みたいな女性なら、普通だったらいろんな異性から声を掛けられて、女性がふつうに思い描く幸せな人生を送るんじゃないか、幸せいっぱいではなくても気持ちのいい恵まれた生活を送るのではと思われるかもしれないですが、決してそうとは限らない。むしろ百々子のような女性は過剰に美貌や容姿のことを騒ぎ立てられて、そこから生じる苦痛は大変なものになるのではないかと思います。美貌に恵まれて官能的な肉体をもっていることが女性の幸せに通じるという価値観はあくまでも一面的なものです。

容姿に恵まれている、恵まれていない以前に人生に立ちはだかってくるものは山のようにあります。これでもかこれでもかと苦しみの材料を与えられるような設定にしたかった。そのためには百々子の容姿の美しさが必要でした。

——女性は容姿に恵まれていてもそうでなくてもジャッジされる……。ジャッジといえば、百々子の叔父の左千夫の愛情も「異常」といえば異常だし、もちろん彼がやったことは許されることではないのですが、左千夫の百々子への愛情自体は本物だったんじゃないかなと思いました。

小池:作者である私は彼を愛情深く描きました。犯罪者でもあるし、大変な事件を起こした男だし、小児性愛のような感覚を持ってしまった男で世間や姉から言わせれば「変態」ですよね。でも、あの純粋さは小説の中で書き尽くしてみたい純粋さでした。左千夫から愛を向けられた百々子にとっては憎んでも憎みきれるものではないのだけれど、そんな男だったにも関わらず左千夫が本当の意味で自分を愛してくれたんじゃないかと思ってしまう。そのことはどうしても描きたかった。

扉の絵は物語の舞台の一つである函館の絵葉書。小池さんの父の遺品から出てきたという。

扉の絵は物語の舞台の一つである函館の絵葉書。小池さんの父の遺品から出てきたという。

「不倫を書いてるから嫌い」はもったいない

——ジャッジに関連してなのですが、世の中の風潮として「正しい」「正しくない」で判断したり、「役に立つか」「役に立たないか」で語られたり、すぐに何らかの評価を下さないと気が済まない人が増えている気がします。小説は唯一ジャッジされない場所で、だからこそ、その世界にどっぷりと浸れると思うのですが……。

小池:物事の本質を捉えた物語を誕生させることが、作家としての理想だと思います。それを読者がどう読もうが自由ですし、お好きに読んでくださっていいんですけど。確かに今の読者はジャッジしていく傾向にあるかもしれません。登場人物に感情移入できるかできないかということが何よりも大事になってしまっている。

——共感できるかできないか、とか。

小池:かつてよく言われたのが「小池真理子の小説は読んできたけれど不倫ばかり書くから嫌いになった」ということでした。登場人物の関係性を世間の基準に沿ってジャッジしているんですね。

私が若い頃は自分の祖父母世代の作家が書いたものを我が事のようにして読んでいました。でも、今の人たちはそうではなくて同世代の人間が登場してくる作品、若い世代だったら青春ものとか学園ものとかのほうが感情移入しやすいのでしょうね。だから年寄りが出てくるともう拒否反応を示しちゃう。「妻子ある人との恋を描いた小説は汚らわしい」と感じる人も少なくないようです。私は今の私くらいの世代の作家が世間に背を向けて書くものにこそ影響を受けましたけどね。

——他者や自分の知らない世界が立ちはだかってくるのが……。

小池:怖いのでしょうね。自分の感覚を駆使して取捨選択がなかなかできない分だけ、一つの方向性でものを言う人が多くなると、それに付和雷同しがちなところがあるのかもしれません。小説や映画、音楽はあくまでもその人の感性で選んでいくものです。不倫を書いてるのが大っ嫌いって言ったら、古今東西の名作はみんなダメですよ。そういう短絡的な読み方はとてももったいないと思います。

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(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子)

情報元リンク: ウートピ
容姿に恵まれているがゆえの苦難…小池真理子が主人公に負わせた苦痛の意味

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