2019年に吉高由里子さん主演でドラマ化もされた朱野帰子(あけの・かえるこ)さんの小説『わたし、定時で帰ります。』(新潮社/以下、わた定)の第三弾「ライジング」が4月に発売されました。定時帰りをモットーとする結衣の奮闘を描いた人気シリーズで、「ライジング」では、残業代を稼ぐ目的で必要のない残業をするいわゆる「生活残業」に切り込みます。
最終回は「働く女性のロールモデル」をテーマに伺いました。
生きてる時代が違っても感じていることは変わらない
——1巻はインパール作戦、2巻の「打倒!パワハラ企業編」では忠臣蔵、そして今回の「ライジング」では製糸工場の女工たちの話が登場します。歴史上の出来事や人物を登場させるのはどんな意図なのでしょうか?
朱野帰子さん(以下、朱野):日本人が組織をつくろうとすると似たような失敗をするのではないか、と思ったのが出発点です。私が新卒で就職した会社は企業のマーケティングを支援する企業だったのですが、入社してすぐ渡された本が『マーケティング・ミステイクス』だったんです。コカ・コーラなど世界の名だたる大企業がおかしてきたマーケティングの失敗について書かれているのですが、すごく面白くて。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」精神を会社員時代に刷り込まれたので、1作目でも2作目でも日本の組織が過去におかした失敗を紹介しています。
今回はストライキなどの労働史が登場します。私自身も日本人がどんなふうに働いて権利を勝ち取ってきたのかを知らないことが多い。ストライキなどの労働争議は、失敗を積み重ねて進化し続けています。明治時代に製糸工場で働いていた人たちのことを調べると、今よりはるかにひどい労働環境に置かれている。昔の人だから耐えられたというわけではなく、昔だって無理だった。私たちと変わらないんですよね。親近感を覚えたので女工を登場させました。
今作で、結衣は賃上げ交渉に挑戦するのですが、彼女は春闘で賃金がガンガン上がっていた時代を知りません。結衣の会社には労組もありません。労働者が交渉なんかしていいんだろうかというところからのスタートです。それがちょうど明治時代の製糸工場の女工たちと重なると思いました。明治を生きる女工たちも、今を生きる結衣たちも、それぞれ時代の最先端をいく産業に従事している。境遇が似ているなとも思いました。高い技術を持っていて、人手不足の状況にも関わらず、会社はお給料を上げてくれない……。
——結衣は「ライジング」で自分を正当に評価してくれと求める闘いに挑みますが、結衣自身も低く見積もられていたんだなって。
朱野:これは私たちの世代も悪いのかもしれないですが、就職するのがやっとで、低い賃金に対して怒る余裕がなかったんですよね。それがそのまま若い世代に引き継がれてしまっていて、「賃上げしてくれなんて言っちゃいけない」という空気がある。でも昔の日本人は黙ってなかった。ガンガン言ってきたんだよというのを、結衣にも、今の若い人にも、見せてあげたいと思いました。
そもそも上の世代に比べて、氷河期世代は正社員になれた人が少ない。さらに今の20代より下は少子化で若者の絶対数が少ない。「団結して闘え」と言われても現実味がないかもしれない。でも少なくとも「給料が低い=評価が低い」じゃないからね、ってことを伝えたいと思いました。残業をせず定時で帰る人の給料が低いのも、時短勤務をして給料が低いのも、人材として優秀じゃないということではないんですよね。
——「自己責任」の風潮もあって「給料=自分に対しての評価」と思っちゃってる部分はあるかもしれないです。
朱野:給料の額が自己評価になってしまうんですよね。もちろん本当に優秀で、それに応じた給料をもらっている人もいますけれど、経済が成長している時代かどうか、年功序列の時代だったかどうか、運の要素も大きいです。でもどうしても額に引きずられてしまう。その苦しさを書ければと思いました。給料もですが自己評価を上げることも大事だよって。
——自己評価を上げる……。
朱野:給料が低いことを訴えたとしても、「お前の能力が低いだけだろ」と言われたら、ペシャッとつぶれちゃう。だから、作中の台湾の会社員たちと結衣がしたように、「私たちの給料は不当に低いのではないか」という問題意識を共有することが一歩なのかなと。父親が30代だった頃の給与明細を見て、「昔の会社員ってこんなにもらってたの?」と驚くシーンも今回書きました。「なぜこんなに生活が苦しいのか」と疑う気持ちを持ってほしいなと。
『大豆田とわ子』で描かれた“女社長”
——次回のテーマはもう決まっているのでしょうか?
朱野:次がおそらく最終作になるので考え中なのですが、最後に出てくるとあるキャラクターがキーになるのかなと思っています。結衣も立場が変わっていく中で、(社長の)灰原の立場を理解せざるを得なくなる展開になるでしょうね。
前回、私が20代の頃は、普通の総合職女性のドラマがなかったと言いましたが、『大豆田とわ子と三人の元夫』でさらっと女社長の姿が描かれていて「おー!」と興奮しました。とわ子は優秀ではあるけれど、社長になるなどとは思っていなかった女性ですよね。
エンターテインメント作品には、男性管理職がたくさん出てきて、「さえない課長」などと呼ばれていたりする。なのに、女性管理職はスーパーであることが前提。そういうのを見て、出世に尻込みする女性も多いと思います。
——優秀な女性しか上に行けないというのもしんどいですよね。だから結衣の「私はこれからも頑張らない。頑張らずに出世するの」というセリフに希望を感じました。
朱野:女性が出世することが自然な感じになるといいなあって。見えないものにはなれないと言います。私は『セックス・アンド・ザ・シティ』を見て、自分の力で稼ぐ女性たちがいることを知りました。優秀な女性管理職だけでなく、厄介な女性管理職だってそのうち出てくるはずで、男性と同じくいろんな会社員がエンタメ作品に出てくればいいなと思っています。次作では、もう一つランクアップした結衣を書きたいです。
——家庭と仕事を必死に回して何とか立ってますというのは見るのもつらいです。ここまでしないと上には立っちゃいけないんだって思ってしまいます。
朱野:完璧じゃないとだめ、上昇志向がなきゃだめ、っていうのはつらいですよね。大豆田とわ子だって、急に社長に指名されたんですよね。その後、すごく苦労するんですけど、面白いですよね。たとえフィクションの主人公であっても、こういうパターンもあるよというのを書きたいです。
——最後に結衣世代の女性にメッセージをお願いします。
朱野:女性は完璧主義になりがちですよね。でも過去にはソリティアばっかしてるような管理職もいたわけで。あれよりは私のほうが、くらいの気楽さで出世にチャレンジしてもよいのではないでしょうか。立場が人を成長させる側面もありますし。
——バリエーションがたくさんあるといいですよね。
朱野:バリエーションが欲しいですね。出世したらしたで大変だろうと思うんですけど、それは男性も同じだし、昔よりはやりやすくなっているはず。労働人口は減るばかりですし、女性たちにはもっと自信を持ってほしいなと思います。
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