コラムニストの桐谷ヨウさんによる新連載「なーに考えてるの?」がスタートしました。ヨウさんがA to Z形式で日頃考えていることや気づいたこと、感じたことを読者とシェアして一緒に考えていきます。第15回目のテーマは「P=Past(過去)」です。
1周回って発見したオンライン飲み会の魅力
最近、オンライン飲み会という言葉をあまり聞かなくなった。単純にみんな飽きたんだろう。あるいはひっそりと定番化しているんだろうか?
当時の感覚を思い出すと、「リアルじゃなくても、意外にイケる」。しかし、「なんとなく味気ない」という感じだろうか。俺はビールを飲まないけれど、発泡酒とか第三のビールはこんな気分なんだろう。
緊急事態宣言が解除されている間に何回かはリアルで飲食をしたけれど、やっぱりリアルが最高である。同じ空間にいるという事実が大きいのだろうか、その人の雰囲気を感じられることが大事なのか、微表情を察することができたり、食い気味に会話をかぶせることができるスピード感が気持ちいいのか。とにかく、やはり、違うのである。
さて、そんな俺はいまオンライン飲み会を見直している。楽しさを再発見している。
そう、プチ同窓会をゲリラ的に開催していくことに少しハマっているのである。きっかけは大学時代を長く過ごした友人とLINEのやり取り。積み上がったお互いのキャリアの話をしていたら盛り上がって、急きょオンライン飲み会をすることになったのである。その中で「あいつ何やってるんだ?」と同期の話になり、そいつらに声をかけて同窓会を開催したというよくある話である。
ここで終わらないのが気になったら止まらなくなる俺である。いろんなレイヤーの友人と同窓会を開催してみたくなった。
一時期は親友と言えるくらいに一緒に過ごした人。仲が良いのかそうでもないのか、とにかく同期だから一緒にいた、それが結果的にかけがえのない関係性のベースになっているような人。好きでも嫌いでもないけど、近い存在の仲が良い人だったから絡んだりした人。当時はわりと仲が悪かったけど、社会人になってから意気投合したような人。ぶっちゃけ1対1だったら、どうでもいい人。
いろいろな人間関係があった。そして、それをゆるやかにつなぎ止めていたのが、大学生活におけるサークル活動であり、当時はちょっと鬱陶(うっとう)しくもあり、なんだかんだで人と人のつながりをつくってくれたのがサークルだったのだ。物理的な溜まり場があってさ。あんな空間は、大人になるとあり得ない。
いま思えば学生時代、特に大学時代というのは面白い人間関係をつくれる時期だったなーと思う。小中高ほど固定されている感じはなく、社会人ほど共通感覚を持てることがレアというわけでもなく。
よく「学生時代の友人は一生ものだよ」という言葉を聞く。それは友情に利害関係が入り込む余地がなく、社会人になったらそういう関係性をつくることは極めてレアになってしまうという話である。これについては半分同意、半分は「そうか?」って感じ。
まぁ人にもよるけれど、社会人になってから知り合う人に対して、打算だけで付き合う人ばっかりではないだろう。俺の周りにはそういう人が多いかなぁ。
ただ、自分が未熟だった時期を知っている人というのは、かけがえのない存在になり得るということなんだろう。自分や相手にとってのそれをはからずも受け入れているわけで、強がりやカッコつけが入り込む余地がない。相対的に、裸の心に近い感覚なんだろう。どんな状態でも受け入れることができ、受け入れてもらえる……みたいな感じがあるっていうか。
オンライン同窓会で発見したこと
さて、オンライン同窓会のことである。
これまでの話をひっくり返す感じだけど、俺は人間関係はいつ切れても良いと考えているタイプである。というのも、基本的に人生のステージが変わっていけば、価値観は変わる。大事にしているものも変わっていく。そうすれば人間関係はおのずと変わっていく。そんなふうに考えているからである。
ある時期にとても面白いと思っていた人がつまらなく感じるようになってしまうのはよくあることだし、自分がそう思われることだってざらにあることだ。
そのことを前提に、あえていろんな関係性の人たちとオンライン同窓会をやってみるといろいろと気付かされることがある。
久しぶりに会う友人たちは、成長しているようで、さらに話を聞いていくと、考え方からしゃべりのクセまでびっくりするくらい相変わらずなのである。逆に、基本的な性格はまったく変わっていないようで、着実に大人になっているのである。年を食っているから、当たり前なんだけど。それらがまるっと愛おしい。
なんというか地層のようである。会っていないうちに自分は経験しないような人生をその人たちは経験していく。あんな感じだった人が、そういう経験をすると、こんな感じになるのか。そんなことに思いをはせられるのである。物理的に会っていない時期のその人にあらためて出会うことは、過去を愛でることよりも、愛おしいことなのである。
その「過程」を知ることで、その人に対して、いままでになかった愛着を持つことができるかもしれない。あるいは自由に身動きが取れるようになった世界では、頻繁に会うような関係になるかもしれない。そういったことが楽しくて、同窓会のようなものをゲリラ的に開催していたんだと思う。
そういえばある作家の人が「過去は変えられない、未来だけが変えられる……というが、それは違う。未来を変えることで、過去の解釈を変えることができるようになる」という言説をしていたのを見たことがある。自分はトラウマ論みたいなものはまったく共感できないんだけど、これが救いになる人もたくさんいそうな気がする。
今日の話でいえば、久しぶりに会ってみることで、過去の旧友の顔はあくまでもそいつの途上だっただけで、いまのそいつの顔を知ることで、とんでもなく大事な存在になり得ることだってあるんじゃないかってことだよね。当時、いけすかなく感じていたとしても、その解釈自体が変わって愛おしくなることもあり得るわけで。
そういった変遷を愛でることが、生きていくことの醍醐味(だいごみ)だなーと思うのです。
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情報元リンク: ウートピ
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