コラムニストの桐谷ヨウさんによる新連載「なーに考えてるの?」がスタートしました。ヨウさんがA to Z形式で日頃考えていることや気づいたこと、感じたことを読者とシェアして一緒に考えていきます。第13回目のテーマは「N=Narrow(狭い)」です。
コミュニケーションがうまい人の源泉
あいつは視野が狭い、という貶し(けなし)文句がある。
一般的に、視野は広いに越したことがない。また、人間関係においても視野が広い人のほうが「デキる」と見なされることが多い。
俺はコミュニケーション能力やトーク力の源泉に「視野角の自由度」があると考えている。
コミュニケーションが巧みな人間は、特定の人間に対してだけではなく、場全体のふわっとした空気感をしっかりと捉えていて、話題の中心にいない人物まで視野に捉えていることが多い。これは視野が狭い人──目立つ人しか見ていない人、自分のことしか気にしない人──にはできない芸当である。
あるいはトーク力が高い人というのは、拾い上手なことが多い。その場にいる人がふいに取った行動を起点に話題を展開したり、周りが見過ごしそうな変なこと・面白さのタネを見過ごさずに浮かび上がらせる。
それでは、視野が広い人が素晴らしいのか? と言うとそういうわけでもない。結局のところは、「視野角」を上手に広げたり、狭めたりできる人が強いんだろう。
集団におけるコミュニケーションと1対1のコミュニケーションはまったく違っていて、後者では視野角を狭めてとにかくその人に集中することが肝となったりする。
視野角のバイオリズム
よくブレイン・ストーミングや議論の場では、Spread and Concentration(発散と集約)が大切と言われる。まずはアイデアを拡散するように出しまくる。その際には批評的な目線は使わない。ひとしきり出し切ったあとは、大事なエッセンスに対して集中的に議論を深めていく、というふうに。
一般的には、視野角を広めたものは深掘りができなくなる。狭めた場合には深められるが、その対象が限定される。これが大前提となる。
さて、ここからが本題である。
私たちの「生活」「遊び」「興味関心」、いろいろな呼び方があると思うのだけど、アクティビティに対しても視野角の広さや狭さは存在しているなーと感じるのだ。
何か新しいものをどんどん知りたい。もっと違う面白いことがやりたい。食べたことがないおいしいものを食べたい。会ったことがないような変わった人に会いたい。
こういう時期もあれば、
いまは新しいものよりも、なじんだものと触れ合いたい。ルーティンのような生活がしていたい。誰とも会わずに一人でいたい。
こんなふうに感じる時期だってある。
気分のバイオリズムに浮き沈みがあるように、視野角にも広げたくなる時期と狭めたくなる時期がある。このことに自覚的になれば、もう少し生きやすくなる人が多いんじゃないだろうか。
視野角という言葉が曖昧ならば、「広く・狭く」「浅く・深く」「未知へ・既知を」「能動的に・受動的に」「アッパーな気分・ダウナーな気分」、こんな対立軸のはざまを周期的に行き来していると思えば、もうちょっと分かりやすくなるかもしれない。
とんでもなくアクティブで社交的だった人が、違うタイミングではいまいちノリが悪いということは往々にしてある話である。これも周期の問題なんだろう。俺自身がそうなのである。
そしてこの周期は数カ月単位で往復する人もいれば、数年単位の人もいるし、もしかすると10年単位の人だっているかもしれない。こればっかりはその人が生まれ持ったリズム感としか言いようがない。
九勝六敗くらいがちょうどいい?
さて、最近思うことは「自分から狭い世界に閉じこもるときは楽しいけれど、それを強要されると息苦しくなる」ということだ。いや、そもそも狭い世界は大嫌いだ! どんどん世界を広げたい! という人もいるんでしょう。ただ、俺は前述のとおり周期の中でほとんどの人が狭い世界に閉じこもりたくなる時期があると考えている。
自分から望んで閉じこもるときは、安心感や開放感がある。だけど、外界からそれを強制されると、途端に窮屈さを感じてしまうものだ。
「STAY HOME」だってそうでしょう。この時期に外出しまくりたいとは(少なくとも俺は)思わないけれど、「外出できるけど、外出しない」と「外出できないから、外出しない」では、まったく意味合いが違う。できるけどしないのと、できないからしないの間には、大きな隔たりがあるのだ。
食事だってそうで、ある人が「食えないと、食わないが生死を分かつ」と語っていた。能動的に食べないのであればそれは断食で、自分の意思の賜物(たまもの)であり、デトックスの観点でも最高になり得る。逆に、受動的に食べられないと感じているとき、人はそれを飢えだと認識する。自分の気持ち次第という意味合い、外部から強制されるという意味合い、両面がある言葉なんだと思う。
そう、先に挙げた「広く・狭く」「浅く・深く」「未知へ・既知を」「能動的に・受動的に」「アッパーな気分・ダウナーな気分」という生き方の態度。自分の現状のモードが自発的な意思にもとづいているものなのか、あるいは外界から強制されたものなのか。そのことに思いを巡らせてみると、苦しいときに自分をもう少し楽にする手掛かりが得られる気がしている。
「最近、新しいものを見ていなかったから意識的に取り入れてみよう」
とか
「最近、広く情報を集めすぎていて疲れているから、ミニマムに絞りこんでいこう」
というふうに。
そういえば「Narrow」は「ギリギリで」みたいなニュアンスもある言葉である。narrow escapeで間一髪かわす、みたいな意味です。
何ごともギリギリとか余裕がない状態は避けたいものですが、俺が好きなエッセイに「九勝六敗を狙え」というものがあります。麻雀放浪記で一世を風靡(ふうび)した阿佐田哲也さん(本名で直木賞も受賞している)が『うらおもて人生録』で書いたものです。
要は大勝ちできればそれは素晴らしいことだけど、どうしたって無理とかゆがみが出てくる。九勝六敗くらいが理想的じゃないか、という内容です。なんなら八勝七敗(勝ち越し)で上々と言っています。雀聖と呼ばれた博打(ばくち)打ちが至った境地ならば、辛勝に対する見方が変わるなーと思ったことを覚えています。
勝負を極めた人は、勝ち方と同じくらい、絶対にある負けるタイミングでの負け方が大事だとよく語ります。それなりに長い人生で勝ち続けることはできない。いっときの負けを狭い視野で安易に大ごとだと捉えないようにしたいものです。
別のところで阿佐田哲也は、多くの人って人生の最後で結局はプラマイゼロでトントンで終わるんじゃないか? とも言っています。これもまた、なかなか味わい深い言葉ではないでしょうか。
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情報元リンク: ウートピ
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