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この前、ミーティングで同僚が新人に「この案、どう思う?」と意見を求めました。新人は「うまく言えないんですが、ちょっと違う気がします」と正直に答えたのですが、同僚は「じゃあ対案出してよ」と即座に言って新人が萎縮してしまいました。彼女は「違うって言うなら対案出して」が口癖なのですが、ほかのメンバーも萎縮してしまってせっかくのブレストも盛り上がらないことがしょっちゅうです。
同僚の「対案出して」も反射的に言っているというか、自分を守るために言っている気がしてしまって、彼女に相手の考えを聞く気がないのが周りにも伝わってしまっています。私がミーティングに同席しているときは「違うというのはどんなところでそう感じた?」とフォローするのですが、同僚から「あなたは甘すぎる」とネチネチ言われるのが最近苦痛になってきました。「違うと思う」も立派な意見だし、それをみんなで話して言語化していくのだって大事なことだと思うのですが、私は甘いでしょうか?
対案は出ないけど「マズイ!」ははっきりわかる
私は味音痴で「うまい」という感覚がめちゃくちゃ大ざっぱで、食事にそれほどこだわりはなく、また知識もないものですから、そもそもあまり「うまい」を求めていないんですよ。
「食えりゃいいや」という感覚なので、赤点ギリギリの30点でも100点満点でもあまり充足度の違いもない体質なのですが「マズイ」はハッキリとわかるんですよね。
「しょっぱ!」とか「味うっす!」とか「にっが!」とか「おいしさ控えめかよ!」とか、わりと的確なダメ出しはできて、それこそ記事一本書けるんじゃないかと思うほど次から次へと文句は出てくるんです(あくまでも思っているだけで発言はしませんけど)。
でも、何をどうしたらおいしく調理できるのかという対案は全く出てはきません。
知識もないし能力もないから文句しか言えないわけです。
批判の向こう側にプロフェッショナルの領域がある
仕事柄、自分の記事が多くの人の目に触れるということもあり、よくSNSで批判をいただくことがあります。
「それは違うと思う」とか「面白くない」とか「お前に言われたないんじゃ!」とか、手厳しい批判をよくいただくわけですが、「ここはこうしたほうがいいんじゃないの?」という対案を出してくる人は稀(まれ)です。
まだヒヨコだった頃は批判に腹が立ち、それこそ対案おばさんのように「じゃあお前がやってみろよ!」とプロにあるまじき発言をして、レスバトルでフルボッコにしてしまい、フォロワーさんたちをドン引きさせてしまったこともありました(反省しています)。
彼らもまた、味音痴の私のように、批判は出せるけど対案は出せない程度の興味しかなかったわけです。
でもよく考えてみると、その批判にはどこか心当たりがあるんですよね。
自分で作り上げたものですから、当然といろんな選択肢は想定していて、迷いながらやっとのことで仕上げたわけであって、「ここをこうしたら良かったのか」とか「あっちのパターンが良かったのか」とか、自分の中で幾つかの対案のストックはすでにあるんです。
自分の出した案の対案は自分が一番よく知っているものだし、また自分が一番対案を出せるようでなければ、それは単なる思い付きでしかなく案とは言えない。
批判に腹が立つ気持ちは痛いほどわかるのですが、その向こう側にプロフェッショナルの領域があるものだと私は思っていますよ。
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