著作『産めないけれど育てたい。 不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)で、日本ではまだ珍しい特別養子縁組のリアルをつづった池田麻里奈さんと池田紀行さんご夫婦。
麻里奈さんが30歳のときから不妊治療をはじめ、2度の流産と死産を経て、子宮を全摘。10年以上の妊活マラソンに終止符を打ったふたりは、妻44歳、夫46歳のときに、特別養子縁組で生後5日の赤ちゃんを迎えます。
おふたりが現在の暮らしを決断するまでについて、麻里奈さんにお話をうかがいました。最終回は、麻里奈さんが「産めないけれど、育てたい」と思う背景について教えていただきました。
自分が産んだかどうかは関係ない
——本には夫の紀行さんの回想コラムも入っていますけど、本になって初めて気づいた本心、などはありましたか?
池田麻里奈さん(以下、池田):夫の原稿は編集さんを間に挟んでいたのであまり読んでいなかったんですよ。完成した本を読んでみたら、養子縁組をのらりくらり避けていたというか、ごまかしていたっていうようなくだりがありましたね。
当時、何度も打診したり、そのワードを言っていたんですけど。なんだ、はぐらかされていたんだなっていうふうに思って、びっくりしました(笑)。
——今では積極的に育児に取り組まれて、お子さんにメロメロのパートナーさんですが、最初は「血のつながらない子」を育てることに不安があったようですね。将来子どもが仮に犯罪を犯してしまったとき、「自分の愛情のかけ方や育て方ではなく、『血や遺伝』のせいにしてしまう恐怖がありました」と書かれています。
池田:そのことに関してはすごく強い責任感があったみたいで。思春期にグレたら、とかだいぶ先のことまで考えているから不安だっていうふうに言われました。
——麻里奈さんは、思春期でグレたらグレたときじゃないか、みたいな感じだったんですか?
池田:私は、血がつながっているとかつながっていないというのは関係ないと考えていました。不妊治療と並行して、児童養護施設や乳児院などの施設を退所した10代~30代の若者が集まるアフターケア団体に通い交流を続けていたのですが、血がつながっている家族に意味もなく殴られたり、家族全員からいじめられたり、ときには「産まなきゃよかった」なんていう自己肯定感をズタズタにされるような言葉をかけられたという人もいました。
血がつながっているからという傲りがあるのか、なんでも放置、言わなくても伝わるだろうみたいな関係性にさみしさを感じていたり、血のつながりを呪縛のように感じて苦しんでいたりする人もいました。
私自身も父子家庭で育ち、“産んでくれた”母とは疎遠になっている時期もあったので、その経験もあって自分が産んだ子どもかどうかは関係ないよねって思っています。
育ててくれた人への愛情を知っているから
——父子家庭というと……離婚ですか?
池田:はい、離婚です。小学生のときに、「普通」の家族がバラバラになりました。とはいえ、そこからいきなり音信不通になったわけではなく、中学生くらいまでは母親と連絡をとっていました。
すぐには会えない距離なんだけど、ときどき気まぐれで電話してきたり、フラッと現れたりするんです。育児は父がしているのに、フラッと現れては母親っぽいことを言う。思春期も重なっていましたから、「どういう権利があって言ってるのかな、この人。育児もしていないのに」という疑問がずっとずっと積み重なっていて。20歳のころには「私が親になったらこういうことはしたくない」というのが確立されていたんですよね。
——今はお母さまとの関係は、相変わらずフラッと会ったりするような感じですか?
池田:父が亡くなったあと、母からの連絡の頻度が増えました。でも私にとって父の喪失感がだいぶ大きかったですし、母とは距離を置きたいと思って。それまではあいまいな関係だったんですけれども、そのときに「育ててくれた親はずっと父だから」ってはっきり伝えました。
そこから5~6年疎遠になったんですが、コロナのことでまた連絡がきて。「マスクあるから送るわ」とか、そういうことからまた交流が始まって……。本当、血のつながりって不思議ですよね。私も血のつながりに振り回された一人なんでしょうね。今は、いつかは息子を抱っこしてもらいたいなと思っているような関係です。
——家族って複雑ですよね……。
池田:複雑です。私もそれに苦しめられた事実が残っていて、大人だったらなんとも思わないことでも子どもには衝撃的で、大人の言葉で悲しい思いをしてきました。だから、子どもにそういう思いはさせたくないし、隣にいたいって思います。隣にいるのがやっぱり一番の味方なんだろうな。
母は産んでいる。でも育てていない。父は育てている。だから私、育ててくれた人がすごくありがたいんですよね。自分の人生の中で父との生活が、「育ててもらった」っていうのがとっても支えになっています。
——なるほど……産んだら母になるのか、育てるということはどういうことかをずっと考えていらしたから、今、養子を迎えるという選択肢につながったんですね。本を拝読し、そもそもなぜそんなに「育てたい」という気持ちが強いのだろうか、と疑問に思っていたのが、するすると紐解けた気持ちです。
産めないことで苦しんでいる人に伝えたいこと
——今35歳前後で、産むか産まないか悩んでいる方たち、リミットがあるから今動かなければと焦っている方たちにとって、特別養子縁組という選択肢があることが、何かプラスになると思いますか?
池田:私も35歳前後で苦しんでいたんですけど、その苦しさは頭の中に「普通の家族」のレールを敷いて、そこに乗ろうとしていたからなんですよね。自分の思い描いている「普通の家族」から外れる選択肢があってもいいよって思えたら、少しは楽だと思います。私が本を書いた理由のひとつが、「育てたい」という気持ちがあるなら養子縁組という選択肢があることを知ってほしいなと思ったからなんです。
私のときは、養子縁組という選択肢を知っている人も周りにいなかったし、知ろうとしても情報が限られていたり。制度はあるのは調べればわかるのに、想像ができない、家庭像が見えてこないんです。
——不妊治療はブログや書籍などで発信している人も増えていますし、かなり一般化しましたよね。特別養子縁組に関しても同様に、池田さんのような方が増えれば想像もしやすくなり、選択肢として検討しやすくなりそうです。
池田:産めないことで苦しんでいたかつての私のような人、一本道しか見ておらず、どんなにつらくてもこの道しかないと思っていた人に、外れている違う道も提示することで選択肢の幅が広がるのかなと思います。
想像していなかった人生の上に想像以上の幸せがあった
——「最初に思い描いていたストーリーは描きなおしてもいい」と書かれていましたが、まさにこの本がそのことを提示してくれていると思いました。
池田:まったく想像もしない人生になったんですけど、同時に想像もしていなかった幸せがあるんです。「養子を育てるのは大変」というイメージで想像が止まってしまう人が多いなら、どういう暮らしをしていて、どういう幸せがあるのか、具体的な生活をオープンにしていきたい。不妊カウンセラーとしても活動していますし、私にはその役割があると思いました。
——養子を迎えて、思い描いていた「普通」から外れて変わったこと、今感じていることを教えてください。
池田:人生を生きるのが楽になりました。この道を選んだので、もう「普通」を目指すことはないですね。いろんなことで。育児って「普通」じゃないことがよく起きます。たとえば子どもが不登校になったとしても「普通は学校行くよね」とはきっともう考えない。ほかにも、「普通の母親ならお弁当つくるよね」とか、そういうことはもうないなって思いました。
自分の考えていた「普通」という一本道を外れる大きな一歩を踏み出したので、もう怖くありません。道って一本でなくてもよくて、二本目、三本目を子どもと一緒に選んでいければいいなって思うようになりました。
もちろんその瞬間は悩むと思うんですけど、「こうじゃなきゃいけない」「普通じゃなきゃいけない」「みんなこうだよね」っていう悩み方はもうしない。我ながら成長したなと思います。
(構成:須田奈津妃、聞き手、撮影:安次富陽子)
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情報元リンク: ウートピ
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