著作『産めないけれど育てたい。 不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)で、日本ではまだ珍しい特別養子縁組のリアルをつづった池田麻里奈さんと池田紀行さんご夫婦。
麻里奈さんが30歳のときから不妊治療をはじめ、2度の流産と死産を経て、子宮を全摘。10年以上の妊活マラソンに終止符を打ったふたりは、妻44歳、夫46歳のときに、特別養子縁組で生後5日の赤ちゃんを迎えます。
おふたりが現在の暮らしを決断するまでについて、麻里奈さんにお話をうかがいました。第2回はボランティアをしていた乳児院で感じたことについて。
*トップ画像提供:「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」(KADOKAWA)
撮影/回里純子
「このままで良いわけない」と震えた心
——養子縁組を本格的に考え出したのはいつごろでしょうか。
池田麻里奈さん(以下、池田):2013年、37歳のころです。それまでは、体外受精をして、妊娠したり流産したり死産したりがあって、そのたびに夫婦の中で消えてしまうワードだったのですが。
——何かきっかけがあったのですか?
池田:死産を経験したあと仕事をやめてしまったので、社会復帰のリハビリも兼ねて乳児院でボランティアを始めたんです。乳児院の存在は養子について調べ始めたときに本で知っていたのですが、実際に経験してみないとわからないことがある。自分が不妊や死産を経験して、当事者にしかわからないことがあると身をもって体験していたので、実際に行ってみようと思いました。
ボランティアをはじめると、本に書かれていた通り、毎週のように赤ちゃんが入ってくる現状で。病院から直行の子もいました。
——ボランティアは何をするんですか?
池田:滅菌した服に着替えて新生児室に入り、赤ちゃんを抱っこしたり、ミルクをあげたり。新生児室を含めた乳児の部屋には職員さん2人、赤ちゃんは10人くらいいるのですが、職員さんだけでは手がまわらないので、ボランティアが1~2人入ります。
……このままで良いわけないって思いました。事情があってここで保護しているとか、安全な場所だっていうのは頭ではもちろんわかっているんですけど、心が……「どうにかできない?」って心が奮い立たされるというか、この存在を本当にみんなに知ってほしいと思いました。
——「このままで良いわけない」というのは……?
池田:生まれたての赤ちゃんって、いろんなおもちゃやぬいぐるみが周りにあって、家族の笑顔があって……というイメージが私のなかにどうしてもありました。それが、乳児院で目の前にしたのは、子どもが安全に生きるための必要最低限な設備や、何十人ものひとが数時間ごとに交代交代でお世話している光景でした。
本で読んで知ってはいたけど……、目の前にすると「もっと子どもひとりひとりと向き合えないものだろうか」と思って。養子とかじゃなくてもいいので、一人の人が赤ちゃんを連れて帰って、乳児院と連携しながら家でしっかりと育てることはできないのかなって。心が震えました。子どもを育てたいと願う大人、大人を必要とする子どもがいるのに……。「悲しい」と心が叫んでいるような感じでした。
——職員さんたちもつらい思いがあるでしょうね……。
池田:そうだと思います。どんどん子どもたちが連れてこられて。一時的に乳児院で保護した子もいれば、親がどこにいったかわからない子もいる。たとえば病院で入院しなくちゃいけない赤ちゃんだったら、親と離れてプロの手を借りて暮らすような状況もやむをえないと思うんです。でも、そうじゃなくて……そうじゃないのにここがスタート? って。
虐待で隔離されているお子さんもいるので、乳児院の内情をオープンにできないのは、本当にわかるんですけど、一方であまりにも知られていなすぎる現状にはなんとか出来ないだろうかと考える日々です。
手放さざるをえなかった事情がある
——そうなんですね……。
池田:保護施設としての乳児院は絶対に必要ですが、乳児院と連携した乳児里親制度とかがあるといいんですけど……。海外では、本当に育てられないとわかったら、スタンバイしている里親がすぐに家庭で一対一で預かってくれるそうなんです。それが日本ではほぼ行われておらず、とりあえずの措置を乳児院にまかせて、そのまま数年経っちゃうケースが多いんですよね。
——日本って、家族のことになると途端に「当たり前」から逸脱できなくなりますよね……(ため息)。
池田:「普通の家族」っていう、幻想のようなものに当てはまった人たちだけに社会が機能するようにできていますよね。そのほかを選択することに批判が多すぎる。たとえば、どうしても育てることができず、養子に出そうと思っている方がいたとしても、「産んだら育てなさいよ」という言葉を投げかける人がいて、相談しにくくなっています。
——子どもを手放すいろんな事情があって、どうしても自分では育てられないときに、幸せに生きてほしいという願いを込めて養子に出す。それを「子どもを捨てた女」みたいな感じで言われるのはおかしいですよね。もちろん虐待の場合は別ですが。いろんな事情がある、という側面への想像力が持ちにくい。
池田:私たちが養子を迎えたことをSNSでオープンにしたとき、見ず知らずの方から応援メッセージをたくさんいただき、意外すぎて戸惑ってしまったのですが、子どもを手放さざるをえなかった方たちへの反応とだいぶ違うなって思いました。
産みの親御さんも、多分すごく大変なことがあって、でもこの子だけは幸せになってほしいっていう気持ちがあったから相談に行き、手放す決断をした。みんな子どものことを考えているんですよ。産みの親も、養親も、みんなが子どもの幸せを願って決断をしているんですけど、なぜか産みの親だけが世間から違う反応を受けているっていうのは感じていました。
生後すぐに里親とつなげてほしい
——産みの親の背景って教えてもらえるんですか?
池田:私たち養親は、養子を迎えるにあたり研修を受けたり、産みの親御さんの事情や背景を学ぶのですが、まず「どんな背景があっても理解して受け入れる」という同意をしなければ次のステップに進むことができないんです。
——どんな背景があっても受け入れます、というのは、たとえば性暴力で妊娠してしまったとか……。
池田:そういうこともありますね。あとは、どんな職業でもいいですか? ということだったと思います。
——池田さんご夫婦が迎えたのは、生後5日の赤ちゃんだったんですよね。そんなにちっちゃいときから迎えられるんだってびっくりしました。
池田:スムーズに愛着形成ができるのは0歳、0日からなので、そこにかかわれるなんて本当にラッキーだったなって思います。今後、そういう子を増やすためにも、できれば妊娠期間から相談に乗ってもらえることが広く知られてほしい。
妊娠中に相談に乗れていれば、育てられないとわかったらすぐに里親につないだり、養子の話を進められると思うんです。先ほども言いましたが、乳児院で3年過ごす子どももいます。介入のタイミングが早ければそれだけ早く引き取り手に出会える可能性もあると知ってほしい。
——池田さんに養子縁組をあっせんしてくれた団体は、妊婦さんからの相談も多いんですか?
池田:はい。なので、生後すぐに養親希望者とつなげるパターンが多いと聞きます。生後すぐに家庭で手厚いケアがされる新生児というケースを増やさないと。このケースが世界のスタンダードなので、日本も増やさないといけないと、切実に思います。
なぜ麻里奈さんはそんなに強く「育てたい」と思うのか、11月26日(木)公開予定の最終回でその背景を教えていただきました。
(構成:須田奈津妃、聞き手、撮影:安次富陽子)
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情報元リンク: ウートピ
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