作家の岸田奈美(きしだ・なみ)さんによる初の著書『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)が9月28日に発売されました。
岸田さんと言えば、メディアプラットフォーム「note」に投稿された「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」やブラジャーの試着について書いた「黄泉の国から戦士たちが帰ってきた」が反響を呼び、1年で累計800万PVを獲得。“noteの女王”と呼ばれています。
ダウン症で知的障害がある弟や車いすユーザーの母、中学生のときに急逝した父のことから甲子園球場でホットコーヒーを売る羽目になった日々のことまでユーモアたっぷりに綴(つづ)る岸田さんに話を聞きました。前後編。
「私、逃げるのがめちゃめちゃうまいんで」
——ビールの売り子のバイトに応募したら真夏の甲子園球場でホットコーヒーを売らされ、それでも持ち前の創意工夫によって歴代で最も多くのコーヒーを売った女になったエピソードが印象的でした。岸田さんはどんなに逆境にあっても結果を出すんだなと。作家になる前はバリアフリーのサービスを手掛ける「株式会社ミライロ」で広報部長を務めていたということで、後編では仕事について伺いたいです。
岸田奈美さん(以下、岸田):父が死んだり母が病気になったり弟に障害があったりと予想ができないことが起こりすぎたから、人より瞬発力と機転がきくのかもしれないです。なんとかその場を切り抜けるというのを家族で団結してやってきたんです。弟が学校に行かないってなったら、ぬいぐるみを使ったり学校に行ったらシール1枚あげたりとかあの手この手を使って何とか学校に行かせようとしたり。
すぐ行動するのは家族のトラブルでも経験したし、学生時代に他の大学の先輩と創業して右も左も分からないまま売上げを立てないといけない中でもやってきたので、ほかの人よりもたくさんの経験をしているというのはあるかもしれないですね。
——私はつい逃げてしまうところがあって、岸田さんは逃げないで結果を出すのがすごいなあと。
岸田:私、逃げるのめちゃめちゃうまいですよ。
——えっ! そうなんですか?
岸田:さすがに家族のことは逃げられないので逃げなかったですけれど、逃げるのがうまいんです。とはいえ目立ちたがりだし、結果を出したいという思いもすごく強い。自分がいいなと思ったらできるだけ純度が高いまま実現して、それが刺さって評価されたら自分が認められたような気分になるのでそれが一番なんですけれど、強敵に立ち向かうのが弱くて逃げ続けているんです。
——どういうことですか?
岸田:例えば、文章であれば普通は小学館や講談社などがやっている新人賞に応募してデビューするのが王道なのですが、それでは絶対に勝てないと高校3年生くらいで気付いたんです。小説家のインタビューや作品を読むとどうやっても自分が思いつかないような言葉で書いていたり、発想したりしているので自分には無理だと思ったんです。ほかに脚光を浴びる方法はないかな? と考えたときに「若さだ!」とも思ったんですが、それも間に合わないと思ったので文章一本で勝負するのはやめようと思いました。
それで大学生のときにベンチャー企業の創業メンバーになったのは、もちろん下半身麻痺になってしまった母のためにすぐに動かなければと思っていたのもあるのですが、学生でそんなことやっている人なんて周りにいなかったので、やればみんなが持っていないスキルを持てるかもしれないと思ったからです。私は広報だったのですが、普通の広報の仕事とはまったく違うことをやっていました。おそらく広報っていうのは外部からの問い合わせなどに素早く丁寧に対応したり、炎上しないようにしたり、年間のスケジュールを立てたり、広告換算費をちゃんと考えたりするのが主な業務だと思うのですが、自分の性格上勝てないと思ったので、絶対に誰もやっていないことをやろうと思いました。
本にも書きましたが『ガイアの夜明け』に出演させてもらおうと思ったのもそれです。数年分の番組をずっと見続けて、自分が『ガイアの夜明け』の構成作家になったつもりで企画書を書きました。「うちの会社だったら、こんな画が撮れて、こんなコメントを江口洋介さんがしてくれると思います」みたいなことを書いて、ディレクターさんに送りました。そしたらディレクターさんから「このまま会議に出せます」と連絡をいただいて取材してもらえることになりました。
そのときに「誰もやってないことをやると勝てるな」と思ったんです。当時はずっと広報でキャリアをつくっていくのかなと思ったのですが、9年間やると頭打ちになっちゃって。業務が「上場を目指す」とか「リスク対応をする」が中心になるんですよね。いかに漏れなくやるかになるので、それなら私よりもっとできる人がいるだろうなと思った瞬間に逃げたんです。
——そうだったんですね。
岸田:それで広報のスキルを持ったまま、その日起こったことをnoteに書いて、フォロワーさんからもらった言葉を全部拾っていくのをコツコツやっていたら、そんなことをやっている人はどこにもいないから注目を浴びるきっかけになったんです。その話を(クリエイティブディレクターの)三浦崇宏さんにしたら「それは幸福な間違いだね」って言われました。
——幸福な間違い?
岸田:その才能を持っている人が他にいない世界や業界で力を発揮するとめちゃめちゃ天才とされる。私は天才とは言わないですけれど、家族といろいろ乗り越えてきた瞬発力と広報の企画的な戦略、人に文章を読んでもらえるためにはどうしたらいいかを考える意識、ちょっと文章が書けることを掛け合わせて、そういう人がいなかったnoteでエッセイを書き始めたら面白がってもらえるようになったんです。
「幸福な間違いと逃亡をずっと繰り返してきた」
——それってほかの仕事でも同じことが言えますね。
岸田:言えます言えます。例えば、よく「旅行が好きだから旅行業界に入る」と言うけれど、旅行業界に旅行が好きな人なんてめちゃめちゃいるんですよね。それでも本当に旅行業界に貢献したいんだと言うのであれば入ればいいけれど、少しでも自分が認められたいとか、自分を幸せにしたいという思いがあるなら、おそらくその他大勢の一人になっちゃって自分の価値をなかなか実感できないと思うんです。
でも、旅行業界のスキルを持ちながら例えばIT業界とかに行けば、「旅行系の仕事をするときはそいつに頼むしかない」という状況になるじゃないですか。そういうふうに、いかに自分の才能を育てながら、その才能が他に発揮されるところ、ライバルがいないところに行くかっていう、「幸せな逃げ」みたいな。私は幸福な間違いと逃亡のようなことをずっと繰り返してきました。
——幸福な間違いと幸せな逃げ……。すごくいい言葉ですね。
「好きが見つからないのはバットを振る回数が少ないから」
——よく言われることだと思うのですが、そもそも好きなことが見つからない場合は?
岸田:私は好きなものが見つからない人はいないと思っていて、夢中になれるものが見つからない人のほうが多いと思うんですよ。夢中になれるってどういうことかというと、時間を忘れたり、周りのことを忘れて没頭できる。つまり夢中になれる才能だと思うんです。でも才能って、一人では絶対見つけられなくて誰かから褒められないと自分の才能って気づけないんです。
例えば、子供の頃に絵を描くのが好きだった人は本能的に思ったわけではなくて「親に褒められた」とか「友達からいいねと言われた」とかきっかけがあるんですよね。認められたのをきっかけに好きに変わっていくのかなと思います。
だから、好きなことが見つからないのはもしかしたら自分で考えすぎなのかもしれない。人にぶつける回数が少ないんです。好きなことについて誰かに話して反応を見たり、その業界に飛び込んでみたりしたら絶対人と関わりますよね。褒められたりけなされたりすると思うんですが、まずは他人にぶつけて反応を見るというバットを振ってみる。好きなことが見つからない人は、バットを振る回数がめちゃくちゃ少ないんだと思います。
——結構気軽に振っちゃっていいんですね。
岸田:私は振りまくっています(笑)。
——失敗したら嫌だなとか、ダメ出しされたら嫌だなとか不安はないんですか?
岸田:そこも逃げるのがうまいので(笑)。失敗しても公になる前になかったことにするんです。それよりも新しいことをやってると、過去の失敗なんてみんな気にしないしすぐに忘れてくれるのでバットは振ったほうがいいです。振ったもん勝ちです。
(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子)
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情報元リンク: ウートピ
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