【今週のボヤき】
ある時から他人にも自分にも期待しなくなったら、随分と楽になりました。仕事の人間関係で悩むことはありますが、最近は在宅勤務で会社内外の人と接する機会も減ったのもあり、ストレスは減りました。この前、友達とそんな話をしていたところ、「他人にも自分にも期待しないってよく言うけれど、ちょっと寂しくない?」という話になりました。確かにまわりから見たら寂しい人なのかもしれないですが、私は心の平穏を取り戻せたのでまあいいかという感じです。あおいさんはどう思われますか?
「期待」と「応援」の違い
「期待」とは、自分の都合(希望)を相手に押し付ける自分軸
「応援」とは、相手の思いを尊重する他人軸
「期待」とは、上から相手をコントロールしようとする呪い
「応援」とは、同じ目線で相手の思いを共有してあげる同調
「期待」とは、自分の思い通りの結果しか許容しないものであり
「応援」とは、どんな結果であれ全てを許容できる準備ができているもの
「期待」とは、自分自身に課すムチであり
「応援」とは、他者に捧(ささ)げるアメである
「期待」と「応援」は違います。
どんなにたくさんの「期待」を背負っていても「応援」がひとつもないのは寂しいものです。むしろ「期待」ばかりに囲まれて孤独を感じてしまうかもしれません。
一方「期待」をしてくれる人がいなくても「応援」をしてくれる人がいれば寂しくはありません。むしろそれは力になってくれるものです。
期待をするのなら他人ではなく自分にすること。
自分の思い通りの自分になるために自分にムチを打ち研鑽(けんさん)を重ね「自己成就」という重い荷物を背負うことによって、他者から「応援」という名の施しをいただけるようになります。
自分に「期待」という名のムチを打ち、他者から「応援」という名のアメをいただく、これで「アメとムチ」という永久機関的なエネルギーを手に入れることができるわけですね。
自分自身に「期待」を入れよう
一方自分自身にも期待をしない人というのは、他人から「期待」という名のムチを打たれがち。なぜなら中身が入っていない箱のようなものだから。
空の容器なら期待を入れて自分の思うがままに動かしてやろうとしてしまうわけです。そうやって他人に期待という名のムチを打たれ、誰も応援してくれる人もいなく、孤独感に苛(さいな)まれて「寂しい」と感じてしまうわけですね。
「自分には期待を、他人には応援を」というのが基本的な形。
他者の期待が入る隙間を与えないためにも自分自身には期待を込めておくこと。
そして最も大事なのは「応援」という施しを他者に期待しないこと。
他者に期待をしない人にこそ応援を捧(ささ)げたくなるのが人ですからね。
期待をしていなかった応援ほどありがたいものはありませんよ。
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情報元リンク: ウートピ
「相手に期待しない」ってどういうこと? 期待と応援の違い【DJあおい】