「幸せってなんだろう?」「どうすれば幸せになれるんだろう?」——そんな問いの答えを探すため、30代後半で地元の広告会社を辞めて、3か月後には世界一周旅行に出発。
幸福度が高いといわれる国々を周遊した堂原有美(どうはら・ゆみ)さんは、帰国したいま「幸せは、自分で考えて、自分で決めるものでしかない」と言い切ります。
16年間打ち込んだ仕事を手放し、新しい人生を歩き始めて見えたもの。27もの“幸福度の高い国”をめぐり、その地に暮らす人々とふれあって感じたこと。堂原さんのお話から、“自分なりの幸せ”を見つけるヒントを探っていきます。
全5本のシリーズ初回となる今回は、旅に出る前の堂原さんについて。20代から30代にかけて、どんな気持ちを抱えて働いていたのか、伺いました。
ジョージ・ルーカス監督に熱烈アタック
——まずは、堂原さんがこれまでどんなキャリアを歩んできたのか聞かせてください。
堂原有美さん(以下、堂原):新卒で広告代理店に入社して、それから16年間、ずっと同じところで会社員をしていました。地元・名古屋に根づいてCMやイベントをつくる、それなりに大きな会社です。学生時代から人を驚かせたり、世の中にインパクトを与えたりするような仕事に興味があり、広告業界を選びました。でも、自社の利益拡大など「ビジネス脳」で考えることには関心がなくて……そのバランス感覚には、最後まで苦労しました。
——具体的には、どんな仕事に取り組んでいたのでしょうか。
堂原:おもに、愛知県の観光促進や地域おこしに力を入れていました。愛知は“戦国武将の聖地”といわれているところ。江戸時代の全国の殿様は7割ほどが愛知にゆかりがあり、織田信長も豊臣秀吉も、みんな愛知から全国へ羽ばたいていった存在です。これほどすばらしいアピールポイントがあるのに、全然知られていないのが歯がゆくて……「この史実は絶対に世界に通用する!」と考え、あるときジョージ・ルーカス監督に巻物の手紙を出したんです。
——ジョージ・ルーカス!? しかも、巻物……!?
堂原:『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーの衣装って、伊達政宗の甲冑がモチーフになっているそうなんですよ。つまり、ダース・ベイダーの原点は侍。そして、「侍の原点は愛知県」! 「この事実をPRするのに協力してくれませんか?」と、ルーカス監督にお願いしたわけです。日本語で書いた巻物に英訳を添えて、由緒正しいつづらみたいな箱に入れてね(笑)。
当然スルーされるだろうと思っていたのですが、なんと秘書の方からやさしいお返事をいただきました。「ベンチャーな企画で面白そうですね。協力はできませんが頑張ってください」みたいな……お返事をいただけたことが本当にうれしくて、そのあとも「ジョージ・ルーカス監督に、愛知で侍映画を撮ってもらおう!」という署名を集めたりしましたね。
——すごい発想&行動力ですね……!
「好き」と「向いてない」の間で揺れる思い
——仕事にかなりの熱量を持っていたようですが、当時、仕事にはやりがいを感じていましたか?
堂原:はい、働くことは好きでした。2009年には、名古屋市役所といっしょに「名古屋おもてなし武将隊」という観光PR集団も立ち上げたんです。企画運営からイケメン武将の教育・マネジメントまで、かなり没頭して取り組んでいました。当時の経済効果は26億円以上で、CDデビューや海外進出も果たし……それ以降、各地に“ご当地武将隊”があらわれたほど。
ほかには「白しょうゆええじゃないか祭り」という、地域の特産品をお祭りでアピールする仕事も楽しかったですね。それぞれに手ごたえはあったし、喜んでもらえるのはうれしかった。でも……その後少しずつ、仕事が面白くなくなっていったんです。
——楽しい取り組みをたくさんしているのに、仕事が面白くない。それはどうしてでしょうか。
堂原:広告代理店は、仕掛けた企画によってモノが売れたり、ヒットしたりしてナンボの世界です。けれど、私は結局、モノが売れたり利益を追求することには面白みを感じられなかったんですよね。
地域や社会のためにという目的があれば、楽しい企画を考えたり、世の中をびっくりさせるのは楽しいし、力が出る。でも、お金や利益追求には興味がない。最初から感じていたそのギャップが、どんどん大きくなっていきました。心のなかでは葛藤しているのに、仕事は徹夜しなければならないほど忙しくて、ますます働く意味がわからなくなっていったんです。
——葛藤のなかで、堂原さんはどんなアクションを起こしたんでしょうか。
堂原:まずは、職場のなかで関わる仕事を変えようとしてみました。明確な広告案件ではなく、クライアントのCSR(社会貢献)のプロジェクトに手を挙げてみるとか。でも、CSRを謳っていても結局「売り上げはどうするの?」という話は避けられず……私は広告代理店に向いていないんだろうな、と思うようになったんです。武将隊やプロモーションの仕事自体は本当にすごく楽しかったのですが、次のフェーズに進むべきだなと感じました。
なにもやらなければ、なにも変わらないから
——そうして退職を決意したときは、どんなお気持ちでしたか。
堂原:このままずっと働き続けていても先が見えないとは思ったものの、次になにをすればいいかは、まったく描けていませんでした。「これから私はどうなるんだろう」「なにかもっと、面白いことができるんじゃないか」という思考が、ぐるぐるするだけ。それでも“人生100年時代”ともいわれるいま、このあたりで大きく人生をチェンジしたいという思いは消えなかったんです。なので、武将隊が10周年を迎え、自分が38歳になるタイミングで、退職しました。
——30代後半で、次も決めずに退職することに、不安はありませんでしたか?
堂原:もちろんありましたよ。いまでもあります。経済的なところは不安だし、年齢的にも「ふらふらしている場合じゃないのでは?」と感じました。でも、これがきっと最後のチャンス。なにもしなければなにも変わらないと思って、新たな挑戦へ舵を切ることに決めました。
楽しかった仕事を手放して、会社を辞めた堂原さん。第2回では、その後「幸福度の高い国をめぐろう! 世界一周をしよう!」と決めるまでの経緯に迫ります。
(取材・文:菅原さくら、撮影:青木勇太、編集:安次富陽子)
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情報元リンク: ウートピ
新卒で入った会社を38歳で辞め、世界一周へ【世界で幸せを探してみた1】