「自分は必要とされていないんじゃないか」って心がきゅっとなるときもあるよね。でもね、それが軸になってしまったら、幸せはそのときたまたままわりにいる人次第っていう、恐ろしく不安定なものになってしまうよ。
占い天使オッティモちゃんのツイートは、いつも「ハピネスエナジー」に満ちています。
原宿の路上やフリースクールで主に中高生を対象に無料の占いを行いながら、声優やナレーターとしても活動するオッティモちゃん。そんな不思議な存在に興味を持ったウートピ編集部は、インタビューを依頼。オッティモちゃんの誕生について迫りました。
「私、人生の敗者になるのでは?」
——まずは、オッティモちゃんが降臨する前にどんなキャリアを歩んできたかを教えてほしいのですが……。中の人って言うんでしょうか……。
オッティモちゃん:あぁ、前世の話ですね!(笑)
——(そういう感じか!)
オッティモちゃん:私の——前世は声優の武藤香奈さんなのですが——初めての就職先は、地元静岡の銀行です。一般的に見たら安泰の就職先で、周りからは「すごい」と褒められました。でも、入社して間もなく「このままここにいていいの?」と疑問に思うようになったんです。
——どうしてでしょうか?
オッティモちゃん:職場にいると絶え間なく誰かのグチが聞こえてくるなど、雰囲気はお世辞にもいいとは言えなくて……。そしてなにより、10歳ほど年上の先輩の姿を見て「私の10年後ってこうなの?」という絶望を感じたんですよね。
そんな折、東京に出張する機会があって。渋谷のスクランブル交差点を歩いていたら、声優の金田朋子さんを偶然お見かけしたんです。声をかけると、立ち止まって親切に話してくれました。
実は、金田さんも過去に銀行員として働いた経験をお持ちなんですよ。それで、私が今銀行で働いていて、このままでいいのか悩んでいると伝えると共感してくださって「でも、今声優の仕事をしていて、毎日とても楽しいよ」と。金田さんの言葉に背中を押されて、声優を目指す決意をしました。
後日、すぐに声優養成所を見学に行きました。その場で養成所の特待生オーディションに申し込んで、その翌週には審査を受けて合格。結果を受けてすぐに銀行を辞め、上京を決めました。
——すごく思い切りがいいですね!
オッティモちゃん:もちろん不安はありましたよ。周囲からは猛反対されたし、安定がほぼ約束されている仕事を辞めるなんて「私は人生の敗者になるのでは」とさえ思いました。
——その不安をどう克服したんですか?
オッティモちゃん:地元の友人との連絡を絶ちました。詮索されたり、「夢があってすごいね」などと言葉をかけられたりするのが嫌だったので……。外野の声を遮断して、自分を信じて銀行を退職しました。
自分が天使になればいいと閃いて
——特待生オーディションに合格した後、声優業は順調に?
オッティモちゃん:いえ、残念ながら苦労の連続でした。特待生として養成所に入ったものの、授業の内容は物足りなく、お金ばかり請求されるようになり、「これではダメだ」と思ってその養成所はすぐに辞めたんです。それから1年ほどは、マッサージの仕事をして生活していました。その後は別のオーディションを受けて、なぜか声や演技力ではなく特技の占いを評価してもらって事務所に入ったんですが、事務所の経営が傾いてしまって……。
——つらい時期が続いたんですね。
オッティモちゃん:悪いことは重なるもので、養成所を辞めてから間もなく父親が末期がんと宣告されました。しかも、そのショックで母が重度の認知症になり、両親を支えるために多額の仕送りをしなければならなくなったんです。そこでお金をつくるために始めたのが、紹介制の占いでした。以前から趣味程度には占いをしていましたが、稼ぐために占いを始めたのはこの頃でした。
——ちなみに、占いはいつから?
オッティモちゃん:学生の頃から友達を占ったりはしていたのですが、本格的に学ぶようになったのは、20歳の頃ですね。知り合いに、その方の知人の引っ越しの手伝いを頼まれたんですけど、なんとそれが“原宿の母”で(笑)。その出会いがきっかけで、弟子入りして占いを勉強するようになりました。当時は「就職が決まらなかったら占い師になるか」くらいの軽い気持ちだったんですけど。
——芸は身を助けるですね。占いで稼ぎながらも声優業は諦めなかった?
オッティモちゃん:はい、そうですね。でも、やっぱり紆余曲折があって。「私って必要とされていないんじゃないかな」っていう思いはすごくあったんですよね。そんなときに、ある方に「自分が必要とされていないことに気づいたほうがいいよ」って言われて、あまりにショックで寝込んでしまいました。自分でも薄々感じていたことだったので、余計にダメージが大きかったんですよね。
でも、苦しんだ挙げ句にたどり着いた答えは、「この心の痛みは世界初の痛みじゃない」ということでした。
——世界初の痛みじゃない……?
オッティモちゃん:これまでも、今も、これからも、同じような心の痛みに苦しむ人はたくさんいるはずだって気づいたんです。そして、私ならその痛みをわかってあげられることにも。これが、「占い天使オッティモちゃん」誕生のきっかけです。
——そこからなぜ現在のようなスタイルになったんでしょうか?
オッティモちゃん:ひどいことを言われて苦しかったとき、誰かに相談したかったのにできなかったんですよね。カウンセリングなんかも検討したんですが、なかなか高額で……。無償で私の話を聞いてくれる天使のような存在がいればどんなにいいかと思っていました。
それで、私が天使になることにしたんです。天使になって、得意の占いを無料で行って、苦しんでいる人たちの支えになりたいって。
占いで悩める人の背中を押したい
——なるほど……そんな背景があったとは。現在はどんな活動をしていますか?
オッティモちゃん:人間界を「ハピネスエナジー」でいっぱいにするために、頑張っています!
オッティモちゃん:具体的には、中高生をメインに原宿で無料の占いをしています。ほかには不登校の子どもたちが通うフリースクールにお邪魔して、ボランティアで占いをすることもあります。
——オッティモちゃんになって、稼ぐための占いから、子どもたちを支える占いに変わったんですね。悩める若い人たちを占って、気づくことはありますか?
オッティモちゃん:家庭環境に問題がある、人とうまく接することができない、障がいをもって生まれた……さまざまな“生きづらさ”を抱えている人がたくさんいることに気づきました。そして、その多くの方は自分に自信がなく、未来に希望をもてないと感じています。
特に学生さんは、家庭や学校がすべてになりがち。どこかのコミュニティーの誰かに非難されたら、それだけで「自分はダメな人間なのでは」と思ってしまうんですよね。本当はそんなことないのに。
でも、そんなみなさんを占って「あなたにはこういう才能がある、こんないい未来が待っている」と伝えると、目の輝きが変わるんですよ。私の占いで背中を押せるんだとわかって、本当にうれしかったです。
——うれしいですね。
オッティモちゃん:はい。暴力事件を起こして退学になった元不良の子を占ったときは、「あなたは将来社長になれる器だよ」と伝えました。ちょうど農業の仕事に誘われていたそうで、「仕事、頑張ってみます!」という力強い返事をもらえましたよ。
精神的なダメージが原因で声が出ない子を占ったこともあります。でもその子、占いのときは相づちを打ったり質問したりしてくれて。様子を見ていた先生が驚いて「いつもは声が出ないの」と教えてくれて、私もびっくりしましたね。
——声優業との両立はなかなか大変だと思いますが、占いはこれからも続けますか?
オッティモちゃん:はい、続けていくつもりです。私が占いで誰かを救いたいと思ったのは、自身のつらい経験も大きな理由ですが、占いに恩返しがしたいという気持ちもあって。父が病に倒れたとき、占いのおかげでなんとかお金を稼げて、親孝行ができたので。
これからも自分と同じようなつらさを抱える人たちに寄り添い、かつて私を救ってくれた占いで、たくさんの人の支えになれたらと思っているんです。
(取材:安次富陽子、構成:中島香菜、撮影:大澤妹)
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情報元リンク: ウートピ
「この胸の痛みは、世界初の痛みじゃない」占い天使が誕生したきっかけ