【今週のボヤき】
職場に他人がミスしたときに派手に騒ぐ人がいます。この前、その人がミスしたので同じことをやってみました。でも、次の瞬間「私も落ちぶれたな」と後悔しました。
女友達にその話をしたところ「自分の良いところを引き出してくれる人もいるけれど、自分の嫌な部分を引き出す人もいるよね。その人と一緒にいるときの自分を嫌いになっちゃうみたいな……」と言われはっとしました。
確かに、くだんの人は無駄に張り合ってきたり、いわゆるマウンティングをしてきたりして疲れます。私もつい張り合ったりして「自分ってこんなに嫌な面があるんだな」と思います。だからと言って私が清廉潔白で被害者というわけではなく、私も彼女に嫌なことをしているのかもしれません。相性が悪いのでしょう。
距離を置くのが一番いいと思うのですが、「私の嫌な部分が引き出されている」と思う人と相対する場面では、どのように対処するのがよいのでしょうか?
人を嫌う自分に罪悪感を感じてしまう
感性というか、直感というか、好き嫌いをつかさどるセンサーって、協調性とか世間体とかをあまり反映してくれないんですよね。
どんなに周りの評判がいい人でも、どんなに優しく人当たりのいい人でも、好き嫌いをつかさどるセンサーが「嫌い」と信号を出したらもう嫌いなんですよ。
好き嫌いは損得感情が働かない本能的なものであり、理性によってコントロールすることはできない感情なんですね。
でも、真面目な人ほど人を嫌うことを禁じてしまうもので、人を嫌ってしまった自分を許せずに罪悪感を感じてしまうんです。
そして「嫌い」という感情をなんとか消化しようと理性でアクセスしようとするわけですが、当然「嫌い」という感情は覆ることはなく、多大な精神的エネルギーを消耗するだけで終わってしまうわけです。
その人が許せないから疲れてしまうわけではなく、その人を嫌っている自分が許せなくて疲れてしまうということですね。
自分自身に「完璧」を求めている人ほど自分自身の「汚れ」が許せず、人間関係で葛藤してしまう人が多いようです。
上手な人間関係をつくる人は他人に興味がないだけ
同じコミュニティ内に嫌いな人が一人もいない人っているじゃないですか。
誰とでもそこそこ上手な人間関係を形成できる人。
そういう人ってさぞかし理性的で人格者で聖人みたいな人なんだろうなって思うじゃないですか。
でも違うんです。嫌いな人が一人もいない人って、べつに理性的でもなく人格者でもなく聖人でもなく、ただ単にあまり他人に興味がない人なんですよ。
好き嫌いのセンサーが反応するところまで他人に干渉しないだけ、個人のパーソナリティに触れるところまで距離感を詰めないから、誰が相手でも同じように接して同じような人間関係を形成できるだけなんです。
だから嫌いな人が一人もいない人ってあまり人間味を感じない人に多いんですよ。
人を嫌うのなら健全に嫌おう
そんな無味無臭な人と比べたら、好きな人がいて嫌いな人もいるって、人間味があっていいじゃないですか。
大事なのは人を嫌うことを禁じないこと。
人は嫌いになってもいいし、人から嫌われてもいい、やられたらやり返すくらいの鼻っ柱の強さがあってもいいし、信頼のおける人に愚痴を言ってもいい、たまには言い争いをしたっていいし、たまには負けてもいい。
気をつけなければいけないのは一線を越えないことだけで、そのボーダーラインを理性で死守していれば、人を嫌うことだって案外楽しいんですよ。
人を嫌いにならないことなんてできないけど、健全に人を嫌うことはできる。
人を嫌うのなら正しく美しく嫌いましょう。
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