「ひとりで外食できますか?」「どこまでひとりで行けますか?」
よく耳にする質問ですが、ようするに「他人の目をどの程度意識していますか?」という二重の意味を感じ取る人も少なくないのでは——? でも実際のところ、「ひとり外食」に抵抗をおぼえる人はどのくらいいるのでしょうか。
『自炊力 料理以前の生活改善スキル』(光文社新書)の著者でありフードライターの白央篤司(はくおう・あつし)さんに寄稿していただきました。
「ひとりで外食=イタい」?
ひとり飲みが好きだ。
まちを歩いて気になった店にふらっと入り、個人的に「当たり」だったときの喜びは大きい。ひとりだと好きなように飲んで食べて、出たくなったらすぐ出られるのもいい。もちろん、「ひとりは嫌だ」という人もいるだろう。誰かと食べる、共に飲むのが楽しいときだってある。両方に違った良さがあり、また何かしらのマイナス面もある。どちらを良しとするかは価値観だけど、私は月5回飲みに行くとして、うち4回は独酌派。1度ぐらいは誰かと飲む、といったところ。
ってなことをツイッターでつぶやいたら、「でもねえ白央さん、『ひとり=イタい』って見方する人は多いんですよ。そういう記事だって世の中にたくさんあるじゃないですか」と、知人のアラフォー女性が漏らした。
「ひとりじゃない=絶対的な幸せ」と信じている人は多い、というのが彼女のご意見。
うーん。
たしかに、私の周囲でも「ひとりでごはん食べるのって、嫌だ」と断言する人はいる。「明らかに時間つぶし的なコーヒーショップとかはいんですけど、しっかり味わうようなレストランや飲み屋さんは絶対に入れません」と語った人もいた。この方は30代の女性だった。
私の印象では、「ひとり飲食=NO!」は男性でも少なくない。「喫茶店ですら嫌だ」という40代の男性もいた。「なんか、かわいそうな人って思われそうで嫌なんだよ」というのが彼の主張。
「誰も思わないよ」「そんなにあなたのこと見てないって」なんて思われるかもだが、この手の人は「誰が見てようと見ていまいと自分が嫌だから嫌」なので、それはそれでひとつ立派な理屈だと私は思う。そもそも自分の好きにしたらいい、という話だし。
ツイッターのアンケート結果は…
うーむ。
ちょっと気になって、アンケートを取ってみた。ツイッターで投げかけたものなので無作為のそれとは違うが、あくまで参考として見てほしい。
【教えてください】外食される女の人にお聞きします。ものすごくざっくりした聞き方になってしまうのですが、飲食店にひとりで入り、食べて飲む(またはどちらかでも)のに抵抗はありますでしょうか。お店にもよるでしょうが、ざっくり印象を教えてくれませんか。
10% 正直抵抗がある
6% 抵抗はあるが生活上しょうがないからやってる
36% 抵抗あったけどやってみたら平気だった・慣れた
48% もともとなんの抵抗もないしなんでイヤなの?
81,424票という投票数にはビックリ。結果、OKという方が84%、基本的にはしたくないという方が14%。
男性にも同じ文言で投げかけた結果、
8% 正直抵抗がある
5% 抵抗はあるけど生活上しょうがないからやる
23% 抵抗あったけどやってみたら平気だった・慣れた
64% もともとなんの抵抗もない
総投票数は7009票、質問内容に対する女性との関心の差がここに出てるなと思いつつ、結果はOKという方が87%、基本的にはしたくないという方が13%。
分母数の桁は違えど、ここまで近似値になるとは思わなかった。注目したいのは「抵抗はあったけどやってみたら平気だった・慣れた」の項、女性が36%、男性が23%という点。
そして「もともとなんの抵抗もない」が女性48%、男性64%。男女における「ひとり外食」への心理的スタンスとか、生まれてから外食をひとりでするようになるまでに植えつけられるもの、刷り込まれるものがこのへんに表れていると思うんですね。
思わず「みじめ」を辞書で引く
「ひとりで外食すること」に関してアンケートを取っていたとき、ある30代の女性が放った言葉が忘れられない。
「できればしたくない。他の人がどう思うかではなく、みじめに思えるから」
というもの。思わず辞書を引く。
「みじめ=かわいそうで見るにしのびないさま。いたいたしいさま」
いやいやいやいやいや……そんなことないよ! 自分をいじめすぎ!! 誰か友人知人と一緒に歩いてて、ひとりで飲食してる女性を見て「あの人、かわいそうで見るにしのびないねえ」なんて言ったとしたらどう思うだろう。
「こいつ、頭大丈夫かな……近寄らんとこ」
と私なら思ってしまう。けど、先の女性は「自分で自分をみじめに」感じてしまうわけで、社会やマスコミが無責任に彼女に投げかけてきたものの多さ、重さを感じざるを得ない。
ひとりは、みじめなんだろうか。
と考えてみて、自分も30代の頃は「友達がいる」「恋人がいる」ということが人間としての必要不可欠な、いや……もっといえば「当然」の幸福条件なんだと思い込んでいた。
「ひとりでいる=幸せじゃない、人間的に問題がある」なんて他人から思われてしまうのでは……と。そう、怯えていたのだ。かたくなに。
だから、そんなに気が合わない人ともつるんでいた。気が合わないのに「友達」になろうとしていた。あまり居心地のよくない飲み会やイベントにも顔を出して、結局さほどの満足感も得られず、何か「いいこと」なぞ起こりうるわけもなく。帰宅しては、うつろな気持ちを心にふきだめて。でも「なぜうつろなのか」には向き合わず、「何もしない休日」ではなかったことで満足しようとする。その繰り返し。
ひとりでいるほうが疎外感をおぼえない
いやはや、「イタい」ですね。けれど、ある頃から「ひとりでいい」「ひとりを楽しもう」と思えるようになって。「あ、私はひとりで飲んだり食べたり旅行したりするほうが、ラクなんだ。このラクさのほうが私にとっては価値がある。私の場合は、人と一緒じゃないほうが疎外感をおぼえない」と気づいてから、人生の満足度がどんどん上がっていった。
あくまで私の場合だけど、ひとりが向いてるというより、協調性がなくて団体行動がとにかく苦手ということも大きい。30代はそのことを確認するために必要な時期だった。
「ひとりもふたりもそれ以上も、それぞれに楽しさと幸せと面倒くささとつらさがある」なんてのは定番の話だけど、じゃあ「どれが自分に合ってるか・合わないか」を探し、考える期間って人生で必要なんでしょうね。幸せの形、ラクの形も「試着的なもの」が必要なんだろう。何が自分にフィットするのかを知るために。「フィットしないけど流行だから!」「みんなが着てるから!」で無理すると、息苦しいままで心を締めつける。その締めつけをネグレクトしているとやがて心は「鬱血」してしまう……。
人それぞれに「精神的に心地よくいられる他者との時間の共有スタイル」があるんだろう。私の場合は、「主にひとり、月1~2回ぐらいは友人と会う時間をつくる、つくってもらう」ぐらいがベストなんだと、40歳ぐらいでわかった。
「無理な型」をはみ出して見えたもの
「えっ、ひとりで旅行したの?」
「あのレストランにひとりで行ったの⁉」
なんて言われても気にならなくなったし、そういうコメントをしてくる人とは自然に疎遠になって、どんどん生きることが快適になってきた。「無理な型」に自分をはめ込もうとしすぎていたんだな。多くの知り合いがいることよりも、数少ない気の合う友人を大切にする、というほうが私には向いていた。両方できる人もたくさんいるけど、私はそうじゃなかった。
なんかダラダラ書いてしまったけれど、とどのつまりは「ひとり外食」を楽しんでる人、抵抗なくやってる人、実は世の中けっこう多そうですよ、ということでした。先のアンケートに戻れば、やってる人は8割ですからね。
「人の目とか、昔っぽい価値観なんかに縛られてるの、バカバカしい!」って人が増えているのかもしれない。それはすごく、いい方向への変化だと思う。あと、「ひとり=イタい」なんてのを煽るような記事はなくなっていってほしいなあ。
最初にも書いたけれど、自分の好きなものだけ気兼ねなく注文して、食べて、帰りたくなったらいつでも切り上げられるって最高ですよ。各飲食店さんも、ひとり客、またお酒をあまり飲まない人も歓迎するお店、確実に増えています。別に無理にやることもないけれど、興味があれば、ぜひ。人生って、ためらっているうちにどんどん時間だけは経っていってしまうものだから。
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情報元リンク: ウートピ
「ひとりで外食するのはみじめ…」それって、自分をいじめすぎ!【白央篤司】