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世界中にスタバがあるのはラクだけど…職場に苦手な人がいるのも多様性

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イギリス在住の保育士でライター・コラムニストとして活躍するブレイディみかこさんによるノンフィクション『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)が6月に発売され、発売1カ月で累計3万6000部を突破*しました。
*2019年7月24日現在。

本のタイトルにもなっている「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」は、イギリス南部の都市・ブライトンに暮らす、日本人の母(みかこさん)とアイルランド人の父の間に生まれた「ぼく」がノートに書いた言葉。

名門小学校に通っていたものの、元・底辺中学校に進学した「ぼく」が、貧困や格差が絡み合った複雑な人間関係や自らのアイデンティティについて悩んだり迷ったりしながらも軽やかに壁や分断を乗り越え、成長していく姿がテンポ良く描かれています。

ブレイディさんに3回にわたって話を聞きました。

【第1回】子供の「節操のなさ」を見習いたい
【第2回】「いじめられる非があるから」とみんなが思った途端、正義が暴走する…

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「私が私で生きていいよ」が多様性

——「多様性」もテーマの一つだと思います。里帰りのエピソードで、「YOUは何しに日本へ?」と息子さんにしつこく聞いてくるおじさんの話がありました。「日本人であることを」を唯一のアイデンティティにしている排外主義的な人って外国人の友達とかいないんですかね? 友達がいたらとてもそういう態度にはならないと思うのですが……。

ブレイディみかこさん(以下、ブレイディ):やっぱり「多様性」って身を持って学んでいくものなので、いくら本を読んでも身に付かないですよね。いくら本で読んで、「日本人というのはこういう顔をしています」と書いてあっても、実際に目の前に来て、「ああそうか」というのと違うじゃないですか。だから、多様性は身を持って学んでいくものなので、周りにそういう人がいない人は、なかなか分からないのは仕方ないのかも。

私が保育園に勤めていたときも、親が白人のイギリス人で、友達の行動範囲も全部白人しかいないところにいる子供は、慣らし保育で、私のところに連れてこられても泣くんですよ。こんな顔をした人は見たことがないから。「この動物なに?」「この生き物なに?」っていう感じなんですよね。

そうなったら、私が慣らし保育するのは無理だから、白人のイギリス人の保育士にチェンジしてもらうんですけど、その子がずっとそうかっていったら、そうとは限らない。

やっぱり、毎日保育園に来て、最初は泣いたりするけど、笑いかけていくうちにだんだん泣かなくなって、そのうち触っても泣かなくなって、オムツ替えても泣かなくなってという段階を経て慣れていって、卒園のときは互いに抱き合って泣く(笑)。子供を見てると、やっぱり慣れの問題なのかなあって実感します。

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——慣れなんですね。

ブレイディ:人種の多様性に関しては、慣れかなと思います。実際に移民がたくさんいるところの人はいろいろな人種の友達もいるし、ビジネスでもお客さんが移民かもしれないし、それはなくてはならないものになっている。

「たくさん移民が入ってきたらどんなことになるんだろう?」ってビクビクしてビビるのは、いないところの人たちですよね。やっぱり現実で何かしないと、乗り越えていけないのだと思います。いざ移民の人たちと一緒に何かをするようになれば、違うところもあるけど、同じところもあると気付くわけだし。

——軋轢(あつれき)があったり、ぶつかり合うこともあったりするのは仕方ないことだし、それが多様性なんだなって。

ブレイディ:そう。多様性があるところには、分断はあるんですよ。だって多様性というのは、「みんな一緒になりなさい」じゃなくて、「違っていいよ」「みんな私が私で生きていいよ」ということでしょ? みんな考え方が違うから、分断はするんですよね。多様性があるところには分断はあるけど、その中でうまく生きていくには、前回お話しした「エンパシー」が大事になってくると思います。

「あの人と私は考え方が違うけど、あの人の立場に立ったらどう考えるかな?」と想像してみる能力が必要だし、必ずしもそれは相手に同調することにはならないけれど、相手の立場に立って想像してみる力がないと、分断社会は進まなくなるから。分断って必ずしも悪いことじゃなくて、多様性があるところに分断はある。それでも付き合っていけるような社会にするのに必要なのが、エンパシーですよね。

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世界中にスタバがあるのは「楽」だけど…

——軋轢(あつれき)がないほうが、「楽」ではあるけれど……。

ブレイディ:多様性がなくて、みんな一緒のほうが、それは楽ですよね。人種に限らず、例えば世界各地どこに行っても、スターバックスがあれば、オーダーの仕方も分かるし、何が飲めるか分かるけど、私は「それって退屈じゃない?」って思っちゃう。

世界にはいろいろな料理があって、「これ何か分からないけど食べてみようか」と食べてみたら大失敗だったという可能性もある。こんなものにお金を払いたくなかったって後悔するかもしれないけれど、きっと多様性っていうのはそんな失敗や後悔を担保しておくことなのかなって。

だから、グローバリズムで「なんでもかんでも一緒にしちゃえ」「みんなAmazonで買えばいいや」というような、世界各地で同じものが買えて同じサービスを受けられるというのは多様性とは真逆のことだと思うんです。

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それを揶揄(やゆ)るために、私は『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)で、慈善センターの食堂が「ダイバーシティ」を優先するあまり、宗教的理由で特定の肉を食べてない人やベジタリアンの人に配慮して肉や魚を使用できなくなったり、偏ったメニューも出せなくなったりして、昔は国際色豊かでおいしかった食堂の料理が没個性的なまずい食事になってしまったことを書きました。

いや、本当にそうだったんですよね。スパイスもハーブも何も使わない味のない料理になってしまって。個性的な味付けは誰か必ずその匂いや味を嫌いな人がいるからと。

でも、やっぱりそれではダメなんですよね。いつも安定してまずい食事にしかならない(笑)。「私、カレーは苦手だけど、明日は好きなものが食べられるから今日は思い切ってカレーに挑戦してみようかな」というのが多様性だと思います。

——私もご飯に行くときは事前に調べて「食べログ3.5以上だからハズレがない!」とレストランに行くことが多いですが、“思ってなかった出会い”の機会は減ったかもしれません。

職場や学校の人間関係も「多様性」

——多様性というと、人種とか文化とか大きなスケールで考えちゃうけれど、ブレイディさんがおっしゃった食べ物もそうだし、職場の悩みあるあるの「人間関係」もそうなのかなと。気が合わない人やクセのある人などいろいろいるけれど、これも「多様な社会を生きる訓練」なのかなって。

ブレイディ:嫌なやつでも話さないと業務が進まないとかあるじゃないですか。それが多様な社会ですよ。だから何も、みんなのことを愛する必要はないし、嫌なやつは嫌なやつだけど、なんとかやっていくしかないんですよね。それを違う国から来た人とか違う文化とか違う宗教とか、大きなスケールに拡大すればいいだけです。

大人だけではなくて、子供たちも学校で地べたでそうやっているんですよね。だってそうじゃないと、自分が楽しい学校生活を送れないから。

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(聞き手:ウートピ編集部:堀池沙知子)

情報元リンク: ウートピ
世界中にスタバがあるのはラクだけど…職場に苦手な人がいるのも多様性

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