【今週のボヤき】
30代半ばなのですが、私たちが新卒で会社に就職した頃はまだまだ昭和の雰囲気というか、根性論というか、気合いで仕事をしていく感じが残っていて怒られてなんぼの世界で仕事を覚えてきました。そのせいか、この年になっても自分がつらい思いをしていない状態が落ち着きません。人から怒られることも少なくなってきましたが「自分は成長していないのでは」と思ってしまいます。
たまに人からアドバイスを受けた場合も、その指摘がいくらクソな内容でも「この人は私のために言ってくれているんだ」と一度は盲信してしまうフシがあります。最近「怒られることが必ずしも成長につながるわけではない」とある人に言われてハッとしました。
「怒られない環境」=「安心して働ける環境」ではない
職場では特に「怒る」という行為自体がタブー視されている時代ですが、怒られない環境が安心して働ける環境かと言えばそうでもないんですよね。
本来は怒る代わりに話をしなければならないのですが、怒る人というのは元々コミュニケーション能力が著しく低い人であり、話ができないから「怒」という感情で表現していただけなんです。
だから「怒」という感情を禁じられてしまうと表現方法を失ってしまい何も伝えられなくなってしまうわけですが、そうなるともう実力行使するしか手段がなくなってしまうんですよ。
なんの前触れもなくいきなり経済制裁を食らったり、理不尽な部署異動を命じられたり、体のいい後付けの理由を添えて実力行使をするしかなくなってしまうわけですね。
「怒」や「話」のプロセスもなくいきなり結果にアプローチされてしまう環境になってしまうので、ある意味怒号が飛び交う環境よりも不安で過酷な環境なのかもしれません。
「怒」も評価のひとつですから、怒られていないと不安だと言う人は、現時点での自分の評価がいかほどのものなのかが不安なのでしょう。
怒られないと不安な理由
大事なのは怒らないことではなく話をすること。
怒る人も、怒られていないと不安だという人も、双方コミュニケーション能力が低い人であり、感情的なつながりを求めているタイプなんですね。
だから劇場型の根性論や精神論を求めてしまうわけですが、それってコミュニケーションが伴っていない信頼しか生まれないんですよ。
コミュニケーションは信頼が生まれるまでのプロセスであり、コミュニケーションの果てに信頼があるものなんです。
そのプロセスを無視して直接感情的なつながりを求めても中身のない信頼になってしまい、結果それは盲信するしかない信頼になってしまうんですよね。
盲信の関係になってしまうと思考が働かなくなってしまいますので、それはざまざまな問題が発生してしまう環境になってしまうんですよ。
話をしてください、話が通じない相手なんていません。
人は話によってつながるもの、話を軽視しないように、何度も何度も話をしてください。
その先にあなたが求めている「安心」がきっとあるはずです。
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情報元リンク: ウートピ
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