社会学者の富永京子さんがこのたび上梓した『みんなの「わがまま」入門』(左右社)。
校則や仕事のルールから社会や政治まで、なんだかモヤモヤすることがあるけれど、文句を言うのは「怖い人」って思われそうだし、恥ずかしい。そんな世の中の“空気”を考察し、身近な「わがまま」と社会をゆるやかにつなげるための方法を説いた本です。
それにしても、「わがまま」って何? 世の中への不満を訴えることが「わがまま」なの?――この本を読んで、そう疑問を覚える人も多いはず。著者の富永さんと、東京大学の入学式祝辞も話題になった女性学のパイオニアである上野千鶴子さんのトークイベント(東京・青山ブックセンター)でも、上野さんが舌鋒鋭く、その疑問に切り込む場面が見られました。
社会運動を研究しながらも自身は社会運動をしないスタンスの富永さんと、かつて学生運動に参加し、その闘争の中で「おにぎりを握る」など女としての役割を強いられたことに傷ついた“私怨”からフェミニストになったと言う上野さん。
「社会運動はわがままか?」に対する二人の認識の隔たりから、社会運動に対する世の中の空気の変化と、現在の忖度社会の深刻さ、女性たちにかけられた“呪い”の深さが浮き彫りになりました。対談の内容を抜粋し、4回に分けてお届けします。
過剰適応してた“入院”時代
富永京子さん(以下、富永):上野さんとお話すると決まったとき、東大の院生時代の話題は絶対することになるだろうなと思ったのですが、私もその頃まさに過剰適応していたと思います。
上野千鶴子さん(以下、上野):どんなふうに?
富永:私は別の大学から東大の大学院に入ったのですが、女性では珍しいパターンだった。とにかく、先輩たちが「すべき」とおっしゃったことをやりましたね。
「この時期までに論文を書いて、学術振興会の特別研究員に内定して、国際会議で報告をして……」みたいな。そういうスタンプラリーばかりしていた思い出がある。
院生生活は楽しかったのですが、それを思い出して、今の話を踏まえるとちょっとツラい気持ちでいました。
上野:当時はツラかった?
富永:いや、ハイになってましたね。先輩たちのように優秀でもないので、取りあえず客観的な基準をクリアする必要があると思った。そういうゲームだと思ってたところもあるんじゃないでしょうか。ゲームの結果、過剰適応する。
上野:ずっと観察していて思ったんだけど、東大男子ってタチ悪いんだよね。他大学出身の女子をいじる。「キミ、こんなことも知らないんだろう」って、やたら啓蒙したがる。教えたがり。
富永:私は親切なのだと思っています。いずれにせよ、自分自身はお世話になった先輩たちに報いるような仕事をしなきゃいけないと考えていて。ミスをすると「うわー、教えてくれた先輩たちに申し訳ない」と思うんですよ。
上野:その後、脱洗脳しましたか?
富永:院生を自分の研究室に迎えるのが、すごく怖いですね。同じように「これやって、次はこれやって……」という気持ちになっちゃう時があるから、何とかしないとなと思います。
上野:それはあなただけの問題じゃない。院生にとって、学界というのは業績主義の社会だから。
「観察者」として社会運動を見ている理由
上野:ジェンダー研究とか選んだ途端に、もう学界では主流になれません。社会運動もそうじゃない? どうして社会運動というマイナーなテーマを研究対象に選んだの?
富永:魅力的に感じたんでしょうね。社会運動をやってる人たちを見ていると、こんなに社会の価値観みたいなものから自由になっていいんだ、と思う。自分はスタンプラリー人生を20数年やってきたので、取材をしながらそういう人たちの自由さに触れ、その自由さに魅了され続けたからだと思います。
上野:不思議なのは、あなたは社会運動の「当事者」ではなく、「傍観者」「観察者」であって、この本を出した今でも「運動の中に入ることにはためらいがある」って正直に書いてある。社会運動をしている人たちに何十人もインタビューしてきて、 実際、魅力的な人が多いですよね。ちょっと規格を外れた人とか、とんがった人とか。その魅力的な人たちを、玄関の外からじっと見てるだけ?
富永:そういう自覚はありますね。取材した方からは「この本を書いたことも、大学で社会運動について教えていることも社会運動だ」と言っていただきましたが、それでもなお「社会運動をしていない自分」という気持ちは消えないです。
上野:玄関を入らないあなたを止めているのは何なの?
富永:うーん……。やっぱり、抜けない「普通幻想」みたいなものが自分にあるからなのかな、という気がします。
上野:その玄関から中に入ると、普通じゃなくなるの?
富永:私は大学の研究室にも適応したぐらいの過剰適応人材ですから(笑)、運動を制するマッチョなものにおそらく加担すると思うんですよ。デモの申請とか超がんばっちゃって、「私のおかげでデモができてるんだから」くらいのことを言いかねないと思うんです。それが怖いという気もします。
上野:そっか。「自分が尽くすタイプだとよく知ってるからこそ、怖くて結婚できない」みたいな(笑)。
でも、この本にも書いてあるとおり、運動文化も多様になったし、運動の敷居も低くなりましたね。
これまでもフェミニズムは、「子供が病気になった時、夫と妻のどちらが保育園に迎えに行くのかも政治だ」などと言って運動をやってきたわけだから、あなたも「私、とっくに社会運動をやってます」と開き直っていいんじゃない?
「わがまま」という言葉は消えてほしい
上野:私としては、この本の「わがまま」という言葉が消えてほしい。自己主張して何が悪いの? ノイズを立てて何が悪い?
富永:ポジティブな言葉として「社会運動」が使われるようになるといいですね。
上野:社会運動をやってきた人間としては、ノイズを立てるって楽しいのよ。オッサン転がすのも楽しいし(笑)。
富永:その楽しさは何でしょう? ネガティブでも、ポジティブでも、社会から反響を得られるみたいなところですか?
上野:ポジならうれしいし、ネガならネガで「ワタシがそんなに気になるの? スルーできないのね」みたいな感じ。
富永:それは達人の域ですね(笑)。私は人を傷つけたくないんです。反響みたいなものに対して、「誰かが傷ついちゃったんだ」と思ってしまう。
上野:だって、傷ついている人が傷つけられた相手に反撃するんだから、相手には傷ついてもらいたい。少なくとも気付いてもらいたい。
富永:そうですね……。そういう意味では、私は自分が傷ついていることに相当鈍感なのかも。
優等生は傷つくことに鈍感
上野:それは大問題。ウィークネス・フォビアだけじゃなくて、優等生は鈍感さも問題です。
私は、不登校やメンへラーの子たちを見ていて、「この子たちって不器用なんだな。自分が嫌なことをやろうとすると、体が固まって動かない。なんて正直な子たちなんだろう」と思ってきました。だけど優等生って、人の顔色を見ながら、自分が嫌なことでもできてしまう。嫌なことを嫌だと感じられなくなる鈍感な子たちなんだなと。
富永:自分は傷ついて当たり前で、傷を試練だと思っちゃう変なところがある。
上野:自尊感情がそんなに低い、自虐的な子供たちを育てちゃったのね。富永さんもそうだとは知りませんでした。だったらこの本は、富永さんに共感する同世代の読者には届くかもしれませんね。だといいけど。
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(構成:新田理恵)
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情報元リンク: ウートピ
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