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私は今日も「この顔」で生きていく【ぱいぱいでか美】

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「ちょうどいいブス」「女性のほうがコミュ力が高いから…」平成も終わろうとしているのに、いつまで誰かの価値観に振り回されなきゃいけないの?

ウートピでは、女性をめぐる自虐や我慢について、改めて問い直してみるキャンペーンを始めました。ちょうどいいブスをやめた人も、今まさに葛藤している人も。一緒に考えてみませんか?

今回は、『桃色の半生! 〜仲井優希がぱいぱいでか美になるまで〜』(リットーミュージック)を上梓したばかりのタレントのぱいぱいでか美さんに寄稿していただきました。「救われてばかりの半生だった」というでか美さんが、今、思うこととは——?

ぱいぱいでか美さん

ぱいぱいでか美さん

寄せられた容姿コンプレックス

インスタグラムのストーリー機能の中に更にある「質問」機能。使ったことありますか? あのめちゃ楽しいやつ。そこにある日こんな質問が送られてきました。

「人前に出て自己表現する仕事に憧れているのですが容姿が良いわけでもなく自信が持てないでいます……」

めちゃくちゃ分かる、と思いました。私もそのうちの一人だったし、今でも容姿のコンプレックスはあるから。そもそも私は、名前で大々的に主張している大きな胸ですらコンプレックスだったんです。

というのも、胸が大きくて性的に見られやすいから気にしていたわけではありませんでした。顔が可愛くないから、ブスだから、ブスが胸でかいなんて気持ちが悪いことだから。そう思い込んで顔も体も気にしていたのです。

しかし、サークルの先輩がつけてくれたあだ名「ぱいぱいでか美」に出会ってコンプレックスはチャームポイントにひっくり返りました。まぁ、今思えばそんなあだ名をつけるのなんて明らかにセクハラなんですが。先輩と自分の信頼関係とかあまりにもキャッチーな響きとか、あらゆるものが奇跡的に重なって、私はこの名前を心底気に入り、芸名にまでして今現在に至るわけです。

ただ、胸がチャームポイントになったところで「ブス」のコンプレックスまでなくなったわけではありませんでした。別に、誰に何を言われたわけでもないけど、ブスという自覚だけは小さい頃からものすごくありました。

そしてぱいぱいでか美として世に出るようになり、ブスと書かれることもそれを見ることもありますので、やっぱり私はブスなんだなぁと思うのでした。

「誰だって言われる悪口だよ、テレビに出るなら尚のこと」

そんな励ましの言葉を聞いても「ブス」の鋭利さは凄まじいのです。この人にもこの人にもブスって思われてるから、やっぱり私はブスなんだな、そう考えていました。もはや呪いでした。

この顔で生きてきた意味があったんだな

でも、最近じわじわとその呪いがとけていってるのです。街で声をかけていただくことが増えてから、この顔を覚えてくれてるんだ、じゃあこの顔で生きてきた意味があったんだなぁ、と思えて。

結局それも他者からの評価かもしれない。でも誰かに覚えてもらえてることがすごく嬉しかったのです。自分の顔を可愛いと思ったことは、やっぱり未だにないけれど。でも、活動が実を結んでこの顔とぱいぱいでか美をイコールで繋ぐことができているのなら、他でもないこの顔こそが「いい顔」なんだとは最近は思えるようになりました。

そしてその「いい顔」という基準はまさに「ちょうどいいブス」とは対極にあるものだと感じています。他人の物差しの「ちょうどいい」に合わせる必要のない、私の中にしかない価値観での「いい」だからこそ、呪いがとけ始めているのです。美醜というものは他者からの評価を気にしがちかもしれませんが「良い」「悪い」なんて完全に主観ですから。

そして、じゃあ私は何で「いい顔」になったんだろうって、ここはもう自惚れちゃいますけど、紛れもなく自分の力なんですよ。仕事の成果、人間関係、趣味や暮らしの生活の細やかな瞬間に、いい顔になれるポイントがたくさんあって、ちゃんとそこを経過してきたからこうなったんだなぁって。

でか美さ~ん!なんでそんないい顔になっちゃったんですか~? 真面目にやってきたからよ! はぁ、褒めてあげたいです、自分を。

そしてもちろんそのポイントを通る時には信頼している人が側にいて助けてくれていたわけで。自分とその人たちのおかげでこの「いい顔」ができあがってんのか、と思うとこの顔この体で生きてきた自分は最高だなって思えるようになったんです。

この「いい顔論」の良さは他にもあって、もっといい顔になりたいって思ったら思っただけ行動しただけなれるんですよ。単純に見た目を磨くことだけじゃなく、もちろんそれも自分を高めていくことの一種だから含まれますが、私は生きていくことひとつひとつに真摯に向き合っていきたいのです。そしてその成果としていい顔を手に入れたい。

いい顔になっていくの、楽し過ぎる

そりゃあやっぱり、もう少し目がでかかったら、もう少し鼻が高かったら、そんなことは考えます。自撮りアプリも使うし、自虐だって言います。でも、自分が自分である為のいい顔はここにしかない。iPhoneの中でも、鏡の中でも、意地悪な誰かの瞳の中でもなく、今ここにしかないんですもの。そこに気付いたらもう、いい顔になっていくの、楽しすぎるでしょう!

そんな自分の経験や近頃の心境の変化もあり、件の質問にはここまでの「いい顔論」と「自分の表現するものに自信があれば、人前に出てどんどんいい顔になっていくと思う!」と返しました。

これが質問をしてくれた方の背中を押せていたらいいけど、何じゃそりゃ?と思わせてる可能性もある。でもいつか自分の中の「いい顔」を見つけてくれたらいいなと思います。

その「いい顔」という感覚はそれこそ自己表現の豊かさにもつながってくるし、そしてその豊かさがまた明日の「いい顔」を作るから。

でも、これだけは言いたい。ここまで呪いがとけかけてもやっぱり「ブス」の鋭利さは今でもグサっときます。それがいくら「ちょうどいい」という一見ぬるそうな枕詞がついていたって変わらないと思います。

言われて嬉しい言葉では決してない。だって呪いは「私はブスなんだ……」というものですけど、「ブス」という言葉そのものは普通にいつの時も攻撃ですからね。何気なく使う人にはもう少し考えてほしいかな。

ただ、私の中には確固たる自分基準の「いい顔」があります。そして、そのいい顔の根源はやっぱり行いや自信や心にあるわけです。どんなに人前に出てもひとつひとつの言葉に未だに傷つくことの出来る心の純さがないと、いい顔は手に入らなかったかもしれない。そう考えているので、これからもそういった言葉に鈍感になるつもりはないんですよ。呪いがとけるのと、言葉に鈍感になるのとでは、全く意味が違うから。

そして気付けばもう一つの呪いもとけていたんです。私、他人にブスって思わなくなったんですよ。綺麗事に聞こえるかもしれないですけど。そりゃもちろん好みのタイプとかはあります。でも、悪口としての「ブス」って本当に使わなくなりました。別に意識してなかったんですけど、気づいたらそうなってたんです。

呪いから徐々に解放されて「いい顔」になった時、他者にもそれを自然と求めなくなっていたのだと思います。私はこれからも「いい顔」を目指します。今も十分「いい顔」なんだけど、まだまだいける気がするのです。

どこの誰のためかわからないちょうど良さよりも、自分が自分のために手にいれた「いい顔」の方が、価値がある。そんな当たり前のことが、もっと世の中に広まりますように。私は今日も「いい顔」で生きていきます。

(ぱいぱいでか美)

情報元リンク: ウートピ
私は今日も「この顔」で生きていく【ぱいぱいでか美】

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