中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。
今回はついに最終回。移植から1年を迎えた今思うことをつづっていただきました。
Contents
私は、子どもを産んで親になりたい
2017年10月、夫婦で夫婦間腎臓移植に向けて着々と準備を進めていたときのことです。「NHKスペシャル選 人体 神秘の巨大ネットワーク “腎臓”が寿命を決める」という番組を視聴した私は、「だよね!」と思わず大きな声を出してしまいました。
タレントのタモリさん、京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥さん、NHKアナウンサーの久保田祐佳さんが司会をつとめるその番組は「腎臓は尿をつくるだけの臓器ではない」「腎臓が体中に情報を発信しながら、さまざまな臓器の働きをコントロールしている」のだと伝えていました。腎臓はまさに「人体の司令塔」である、と。末期腎不全になり、体から魂が抜けたようだと感じていた私は震えるほど共感しました。
夫婦間腎移植後の私の体には、夫の腎臓という「新しい司令塔」がいます。片時も休まず、あらゆる臓器とやりとりしながら、私の体を整えてくれていると知れば、大丈夫、なんだってできると思えてきます。そんな私と夫が、何としても叶えたい野望は、子どもを産んで親になることです。
移植から1年、子づくりを待った理由
移植前、私は子どもを産むことを諦めていました。それは、妊娠しても体内で子どもが育ちにくいから。末期腎不全により腎機能がほとんど失われていたことが要因なのですが、そんな私が妊娠・出産するには、腎臓病の根本的治療法とされている腎移植をするしか打つ手はありませんでした。
「夫婦で長生きしたい」と言う夫と、「子どもを産みたい」と言う私。どちらにしても移植手術をしない理由はありませんでした。
そして昨年3月、私と夫は、自分の意思で手術台にのぼりました。それから1年、夫の腎臓は、問題なく私の体に生着してくれています。
とはいえ、腎移植さえすれば、すぐに子づくりをスタートできるわけではありません。移植したての不安定な腎臓に大きな負荷はかけられないし、妊娠をきっかけに起こる拒絶反応や、早産、低体重児になる頻度が高い可能性があることを示唆する報告もあるといいます。
そのためレシピエント(腎臓受給者)は、移植医と産婦人科医の管理下で、計画的に妊娠・出産する必要があり、私は医師に「子を望むか望まないかの判断は、移植後1年のタイミングでしましょう」と言われました。
精密検査の結果は…
そうした背景があるため、この1年はこれまでの人生の中でもっとも長く感じられました。体感時間としては3年くらい待ちわびた気分です。
私は現在39歳です。健康な人でも妊娠出産にはリスクが伴う年齢なのに、なにもできないまま、また一つ歳を重ねてしまう。もどかしく、ムズムズ……なんだかやるせない気持ちになりました。
ジッと待つことに耐えられなくなった私は、自宅を改善すると決意。まずはすっかり仕事部屋と化してしまった、子ども部屋の予定地を、“原状復帰”。続けて家じゅうのムダなものはすべて断捨離しました。さらに、衛生的な家に赤ちゃんを迎え入れたいので、トイレやエアコンはハウスクリーニングサービスにお願いしてピカピカにしてもらいました。
そんな1年を経て、3月末、私は腎生検という精密検査を受けました。検査の結果、拒絶反応が起きていなければ子づくりにむけて、妊婦でも大丈夫な薬に変えてもらって、そこから3ヶ月経過観察してもらって問題なければ、8月頃から子作りをスタートできます。でも、万が一、拒絶反応が起きていたら……?
DINKS10年楽しかったし、これからもきっと
検査結果は、ゴールデンウィーク直前に出るとのことで、それまでの1ヶ月間、家庭の会話は子づくりや人生設計の話題で持ちきりでした。ある日の夕飯どきは、「もし拒絶反応が起きていたらどうしよう?」と夫に意見を求め、ある日の朝食どきは、「それなら潔く諦めよう。これまでDINKSを10年続けてきて楽しかったし、自由な大人だけの生活も、しあわせじゃないか」と、トーストをかじりながら、夫は答えました。
夢物語のような気の早い話もしました。「もし女の子が生まれたらサクラちゃんて名前はどう?」と、休日、新宿御苑の満開の桜を眺めながら夫は唐突に言い、「妊娠・出産の可能性があるの? 初孫か……、ありがたいね」と義父母は嬉しそうに笑いました。
でも、39歳の私に産めるの?
そうして臨んだ検査発表の日。でもなんだろう。さんざん、この話題を語り尽くしたせいか、どんな結果が出ようとも受け入れる心の準備ができていたように思います。医師も、私も、たんたんとしていて、でもどこかやわらかな空気もあって、心がくすぐったくなるような緊張感がそこには漂っていました。そして、医師は私を見て検査結果を教えてくれました。
「拒絶反応は起きていませんね。予定通り、妊娠を希望されますか?」
私は静かに「はい」と頷きました。
テレビを見ていても大声をあげてしまう私です。こんな時「ヤッター!」と叫んで病院中のみんなに「ありがとうございます!ありがとうございます!」と言って回りたくなるんじゃないかと思っていましたが、予想に反して心は静かでした。次なる不安が押し寄せてきたせいです。
だって、「女性の妊娠率」なんてデータを見れば、精神衛生上よろしくない感情がわきあがります。そのデータは、39歳の自分はもう若くないと告げます。私の身体は、産めるの? 生殖機能は大丈夫なの——?
そんな時、同級生の幼馴染からLINEが入り、そこには「妊娠しました。令和元年の子になりそう」と書いてありました。聞けば彼女は自然妊娠したのだと言います。旦那さんも夫より年上です。
「アラフォー、まだまだイケるじゃん!」
彼女からのメッセージは今の私にとって何よりも心強いものでした。
想像妊娠? 1週間で体重4キロ増!
さて、妊婦でも安全な薬に変えてもらった私は、数日で体に異変を感じるようになりました。寝起きは、異様に顔がむくんで、とても人前に出られる顔じゃないし、夕方になると、足がゾウのようにむくんで痛い……。
「ひょっとして薬の副作用?」と、疑った私は、ゴールデンウィーク明けに早速医師に状況説明。すると、「薬の副作用ではない」と医師。じゃあ、1週間に4キロも太るってどうゆうこと? 答えは単純明快でした。
「はるかさん、異常な食欲だったから。ゴールデンウィーク中、すごかったよ」と夫。「はるかさん、想像妊娠しちゃったの?」とケラケラ笑われました。
普段ならそこでムキになったり「痩せなきゃ!」と思ったりするのですが、今回は自然と「まぁ、いいや」という気持ちに。それは、もう妊娠・出産が諦めるものではなく、追いかけてもいい目標に変わったからかもしれません。
「子ども用に必要だよね」と、IKEAのプラスチック皿を一式揃えてしまったのは5月の終わり。いかん、どうかしてる。まだ変更した薬の経過観察中で子づくりの許可すらおりていないのにと思うけど、夫は、妻の暴走を止めようとはしません。
「よかった、よかった。はるかさん、本当に元気になったんだね」
10年前、私は妊娠し、死産を経験しました。まだ息のある息子を胸にだき、彼の呼吸を感じた私は、以降、何年も笑えなくなりました。どん底の中を這うような気持ちを経て、少しずつ這い上がり、いまではすっかり、子ども用のグッズに胸を踊らせている。そんな妻を、夫は、笑顔で受け止めてくれています。
私はこれまで、どんな人生でも受け入れると覚悟をしていました。けれどそれは、常に何かを失うことや諦めることが前提にありました。夫の腎臓をもらった私は今、妊娠・出産という人生の選択肢を得ました。それは、これまでとは確実に違う。言葉にするのなら、愛、のようなものだと思います。
この愛を胸に、これからも夫や家族、友人たちと生きていきたい。生き続けたい。それが私の願いです。
今回で「夫の腎臓をもらった私」は、最終回です。これまでお読みくださった全ての方に感謝します。もし、妊娠が叶えば、「妊活編」でお会いできますことを、心からたのしみにしています。もろずみはるかより。
(もろずみはるか)
- 目標は夫婦で長生き。いつか、ドナーになってくれた夫の最期に立ち会いたい
- 「移植したら僕はもういいの?」夫に言われてハッとした”距離感”
- 苦しむ12歳の私に背を向けた医師。固く閉じていた心をほぐしてくれたのは…
- 眠る私のとなりで泣いた夫。気づけなかったドナーの喪失感
- 「夫=支える側」に慣れきっていた私 立場が逆転してわかったこと
- 夫の腎臓をもらった妻の話「削ぎ落とされても残るもの、それは愛でした」
情報元リンク: ウートピ
39歳、子づくり解禁へ。私は親になりたい【夫の腎臓をもらった私・最終回】