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34歳の私から“ちょうどいいブス”になりたかった22歳の私へ

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来年1月にドラマ「ちょうどいいブスのススメ」(読売テレビ・日本テレビ系)がスタートすると発表されると、ちょうどいいブスという言葉がSNSを賑わせた。「誰のための“ちょうどいい”なんだろう」とか、「女性の自尊感情を奪うな」と。

ウートピ編集部の編集者である私も、「そんなの目指さなくていいよ!」と憤っていた。女性なめんな、と。すぐに、「ちょうどいいブスなんて目指すな!」という特集を組もうと思った。動機はただただ怒りだった。

しかし企画を出すからには、原作が本当にSNS上で批判されているような内容なのか確かめる必要がある。書店に『ちょうどいいいブスのススメ』(主婦の友社)を買いに行った。作者はお笑いコンビ相席スタートの山﨑ケイさんだ。

「モテない美人より モテるブス」

いやいや、美人のほうがいいだろう。タイトルのちょっと上にあるコピーを見て、私は心の中で毒づきながら、子豚ピンク色をした書籍をレジに持っていく。「これからちょうどいいブスを目指したい人なのね」と店員さんに思われているのかしらと思うと、顔が熱くなった。

カバーをかけてもらって、電車の中で読む。

「ちょうどいいブスとは『酔ったらいける女性のこと』」「客観的認識よりも少しだけ自分を低く見せることで、自分を本来の点数よりも高く見せる」「私もかつて50点のくせに70点ぶって生きていた時代がありました」「ちょうどいいブスなのであれば、すごく基本的なことができなきゃいけないと思うんです」

あ……ツラい……。ページをめくるたびに怒りよりも、悲しい気持ちが大きくなっていった。ケイさん、そんなこと言うなよ。そんな風に思うなよ。

だって、私も昔はちょうどいいブスが最高だと思っていたから。

君、よく見たら可愛いね

「最初はブスだと思ったけど、君ってよく見たらかわいいよね」

12年前、22歳の時に私は沖縄から上京して、人材派遣業の会社に就職した。たたき上げの管理職の多い、体育会系の組織だった。先輩は後輩の面倒を見るべきというおっさんたちに連れられて、居酒屋やキャバクラに毎週のように行った。

そこでは、男性の灰皿がいっぱいになったらさりげなく取り替えるとか、お酒を切らさないようにタイミングをよく見るとか、「さしすせそ」*を駆使して先輩を良い気にさせるとか、謎のテクニックを学んだ。その酒席の場でよく言われたのが上記のセリフである。

*「さすが」「しらなかった」「すごーい」「センスいいね」「そうなんですかぁ」など、相手の自尊感情をくすぐるワード

要するに、その場の華にはならないけど、まぁ気が効くし、愛嬌があるよなというわけだ。「え、よく見なくてもかわいいと思いますけど」と、今なら言う。

でも、当時は社会の右も左もわからないような女の子だった。頼れる人も近くにいなかったし、「この人たちに好きになってもらわないと、あっという間に孤独になってしまう」と怖れていた。だから私はその言葉をあっさり受け入れた。

「私はブスなんだから、せめて気の利く女になろう! そうすればみんなが私を大切にしてくれるはず。仲間に入れてもらえるはず」

ちょうどいいブスになる宣言である。そして、「さしすせそ」力を磨き、切れているトイレットペーパーを次の人のために補充し、裁縫セットや絆創膏や、二日酔い対策ドリンクをカバンの中に常備し、いつ何時も気の利く“ちょうどいい女”を演じ続けた。

「君は痒いところに手の届く、“孫の手”のような女性だなぁ」と部長に言われたときは心の中でガッツポーズをしつつ、「そんな。私なんてまだまだです……」としおらしげに答えたりして。

合コン連勝時代と大失恋

会社でこの技術を磨いた私は、合コンでもたいがいは狙った男性とその場を抜け出すことができた。まさに「酔ったらいける女性」だったのである。

当時はそれで、自分はモテると思っていたし、“ちょうどいいブス”ポジション最高じゃん、と思っていた。実際は、都合のいい女にされていたにすぎないのに。

もちろんそんなことはうすうす気づいていた。「あ、この人付き合う気ないな」とか「彼女と別れる気ないな」と。それでも、自分からは男性に文句や、私を大切に扱ってほしいと言えなかった。「こんな私なんかに声をかけてくれてありがとう」と本気で思っていたから。“ちょうどいいブス”を通りこして、この辺りは完全にブスな話で恐縮である。

「私なんか」を使うたび、自尊感情が削られていく気がしていた。そして自尊感情が1ミリくらいの薄さになったとき、私は、仕事、お金、友人……まさに全てを失うような大失恋を経験する。ツラかった。けれどどん底の中で、「自分の人生に責任を取れるのは自分しかいない」と、気づくのだった。

そして徐々に“ちょうどいいブス”からの脱却を目指し、ついでに脱サラ、フリーランスのライターとして活動することになる。そんな私が今ではウートピ編集部で「女性を幸せにするぞー!」と、熱く楽しく過ごしているのだから、人生は不思議だなーと思う。ちなみに、忙しすぎて、自分がブスか美人かなんて気にしている暇もない。

そうそう。ウートピが私に与えてくれたものは大きい。入った当初は「え、スクールカーストのどこにも属さないような透明な私が、キラキラ女子を取材!? 無理無理無理無理……」などと思っていたのだが、取材を重ねるうちにあることに気づいた。

みんな等しく悩んでいるし、挑戦には不安や恐れがつきものだ、と。そこには美人かどうかなんて関係ない。もっと言えば、年齢も社会的ポジションも。どんなに外側から順調そうに見えても、本当のことは相手に興味を持って、対話をしないとわからないものなのだ。

ちょうどいいブスなんて目指さなくていいよ

ちょうどいいブスになりたかった20代前半、私は「私の価値は他人が決めてくれるもの」だと思い込んでいた。かわいいとか、いい人とか、仕事ができる人、とか。そんな言葉が自分の価値だと思っていたのだ。そして同時に「こんなに頑張っている自分は愛されるべき」という驕りもあった。

だから、自分の元から人が去ったり、仕事で他の人が抜擢されたりすると、ひどく落ち込んだ。そして、気ままに生きている(ように見える)人をうらやんでは、嫉妬したり、自分はダメなやつなんだと自己嫌悪のループに陥ってみたりした。

勉強や努力が足りない!とたくさんの自己啓発書やセミナーにも参加した。そして、未熟だった自分に戻りたくないと過去の自分の悪口を言うことで、現在の自分に見栄を張ろうとした。

だけど、今になって思うのだ。愛されたくて、幸せになりたくてもがいていた20代の頃の私がいてくれたから、今の私がある。そう考えると、過去も現在も丸ごと愛しくなってくる。ちょうどいいブスを目指していた日々も、私を成長させてくれた貴重な時間だと思う。悪いことばかりではなかったし、学んだこともたくさんある。

きっと『ちょうどいいブスのススメ』に救われる人もいるだろう。でも、“誰かにとってのちょうどいい”をやめた今は、本当に楽しい。だんぜん楽しい。だから、やっぱり言いたいのだ。

「ちょうどいいブスなんて目指さなくていいよ」と。

(ウートピ編集部 安次富陽子)

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「ちょうどいいブス」「女性のほうがコミュ力が高いから…」平成も終わろうとしているのに、いつまで誰かの価値観に振り回されなきゃいけないの?

ウートピでは、女性をめぐる自虐や我慢について、改めて問い直してみるキャンペーンを始めました。ちょうどいいブスをやめた人も、今まさに葛藤している人も。一緒に考えてみませんか?

情報元リンク: ウートピ
34歳の私から“ちょうどいいブス”になりたかった22歳の私へ

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