中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。
もろずみさん夫婦と、周りの人たちへの思いをつづるこの連載。今回は、歴代の主治医との関係について書いていただきました。
咳こむ私に背を向けた医師
今でこそ「何があっても医師を信頼する」と腹を決めている私ですが、子供の頃は、医療関係者に対して心を閉ざしていた時期がありました。
その理由は、医師にとって病気だけが医療対象で、患者自身にはフォーカスしていないように思えたからです。
そう思った体験をしたのは12歳の時でした。地元の診療所で何かの注射を打たれた私は、体質に合わなかったのか呼吸困難を起こしたのです。ひどく咳き込み、静かな診療室にゴホゴホゴホゴホ!!!とけたたましい咳の音が響きました。
「息ができない。このままじゃ死んじゃう」と思った私は、注射を打ってくれた医師を必死で見つめたのですが、壁に背を向けたまま無反応。この時、私の中で、何かがパーンと弾けた感覚がありました。
そうか、この医師にとっては、患者が苦しもうが関係ないんだ……。
以来、その診療室に行くことはなかったし、引っ越しに伴い何度か病院を転院しても、どの医師にも心を開くことができなくなりました。
けれども、腎移植を終えた今は違います。医師を心から信頼し、自分の命を預けられるようになりました。それは2人の医師が私を変えてくれたからです。
心の扉を開けてくれたのは
まず出会ったのは、腎臓内科の女医のA先生です。30歳で転院した大学病院で出会いました。当時の私は、人生ワースト3に入るほど心身が疲弊していました。腎臓病の影響で流産し、出産を諦めたばかりだったから。そんな私の気持ちを察してか、A先生は、これまでの医師と全く違うアプローチをしてくれました。
「もろずみさんって、ライターの学校に通っているんですよね。具体的にどんなこと学ぶんですか?」
医療とは関係ない話題を振ってくれたのは、A先生が初めてでした。私という人間に興味を持ってくれたことが嬉しくて、私は水を得た魚のように語りました。
A先生の外来は、まるでカウンセリングのようでした。どの話にも「私が全く知らない世界だわ。興味深いなー」と相づちを打ってくれるA先生。私は「あんな仕事をした、こんな出会いがあった」と子供が母親に報告するように語り続けます。A先生は決して話を遮断することなく「うんうん、それで?」と相槌を打ち続けてくれました。
また、否定をしないA先生に勇気をもらいました。大抵のことは「いいですよ。やってみましょう」と背中を押してくれたのです。
「挑戦したい仕事があるって? いいですね、やっちゃいなよ。あんまり徹夜が続くと困りものですが、もろずみさんなら体をケアしながらうまくやれると信じてます」
「お祝いに焼肉を食べにいきたい? たまにはいいですね、楽しんでおいで。その代わり水分をたくさん摂って2、3日はたんぱく質の摂取を控えること」
「一ヶ月渡米したいって? ぜひ行ってらっしゃい。この先人工透析や腎移植する可能性だってあるのだから、海外行くなら今かもね」
A先生は、無責任なことをおっしゃったのではありません。 私の腎臓はA先生に出会った時点でかなり悪化していて、完治や寛解する見込みはありませんでした。そんな患者が自分なりに人生を楽しめるよう、A先生はあえて肯定してくれたのです。
A先生との別れ。伝えきれなかった気持ち
しかし、腎移植を決めたことによってA先生との別れがやってきました。腎臓内科医は手術をしません。腎移植を選択した患者は、自動的に泌尿器科か腎臓外科に異動するのがルールだからです。
主治医ではなくなりましたが、腎移植を無事に終えた私は、A先生のもとに向かいました。お礼と、いつもの進捗報告がしたかったのです。事前に伝えたいことをまとめていました。なのに、A先生の顔を見るなり気持ちがゆるんで取り乱してしまいました。
「腎移植ってすごいです。泌尿器科の医師も看護師さんも、みなさん完璧でーーーー」。
口から飛び出したのは、移植手術の感想。ああ、またやってしまった。私はどうも思いが強いと、考えられないトンチンカンなことをしてしまうのです。小学生のバレンタインで、マサキヨくんという男の子が好きすぎて、「ヤマグチくんどうぞ!」と違う男の子の名前を呼んでチョコを渡したという前科者です。
ワンワン泣きながら、軌道修正できず、伝えたいところに一向にたどり着かない私にA先生はティッシュを渡しながら、ふふふと微笑みました。「泌尿器科の先生方がベストを尽くしてくださったのね。もろずみさんが元気そうで私も嬉しい」
震える手で差し出した企画書「僕も頑張ります」
そしてもう一人が現在お世話になっている主治医です。その方は、A先生と同い年で旧知の仲だという泌尿器科のベテラン医師です。大きな体と大きな声。いつも豪快に笑い、それでいて細かい配慮を怠らない人。看護師さんにも慕われているのが一目でわかりますし、診察のアポを取るのはいつだって争奪戦です。
当然、その医師は超多忙です。そうとわかっていて、私はあるお願いをしました。昨年末にはじまった読売新聞さんの医療コラムを監修してくださらないかと直接お願いにあがったのです。お相手は、名医な上に、教授です。緊張で声が上ずりましたが、持参した企画書片手に必死に想いを伝えると……黙ってじっと私の目を見る医師。そして、「いいよ。良い連載にしましょう。僕もがんばります」と快諾してくださいました。
この瞬間、25年前の診療所でパーンと弾けた“アレ”がシュルシュルと元どおりに修復されていくのがわかりました。ああ、こういう人間がいるんだ。なんて立派で、美しいんだろう。
それ以来、次々と、よく知らない人を信頼しては、たまに傷つく私。夫は「はるかさん、またあ?」と困り顔。それでも「まったく……。おいで」と言って、浮腫んだ私の足を揉みほぐしてくれる夫もまた見返りなしの人です。
トンチンカンで、単純。私のこういう性格はスマートではないし、時におバカに見えるかもしれません。でも、私としては、心を閉ざすより相手を信じるほうが、ラクに生きられる。相手を誠心誠意信頼するって、案外気持ちいいものです。
(もろずみはるか)
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情報元リンク: ウートピ
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