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職場を“帰るべき共同体”として描きたくない 『わた定』で描かれるしんどくない人間関係

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2019年に吉高由里子さん主演でドラマ化もされた朱野帰子(あけの・かえるこ)さんの小説『わたし、定時で帰ります。』(新潮社/以下、わた定)の第三弾「ライジング」が4月に発売されました。定時帰りをモットーとする結衣の奮闘を描いた人気シリーズで、「ライジング」では、残業代を稼ぐ目的で必要のない残業をするいわゆる「生活残業」に切り込みます。

生活残業を題材にした理由を聞いた前回に引き続き、第2回は『わた定』で描かれるしんどくない人間関係をテーマに伺いました。

わたてい

職場を“帰るべき共同体”として描きたくない

——結衣が台湾の会社員と、お互いの働いている状況をシェアしあうことでエンパワーメントされる場面が印象的でした。だからと言って「連帯して一緒に闘う」というのではなくて、会ってご飯を一緒に食べたらさっさと自分の持ち場に帰っていく……。「暑苦しくない」横の関係性が描かれています。

朱野帰子さん(以下、朱野):チームは大事だと思うのですが、エンターテインメント作品において、職場が擬似家族というか、“帰るべき共同体”として描かれるのがすごく苦手なんです。

リアルな職場では、何年かごとに異動があるし、みんなサクッと辞めちゃうじゃないですか。プロジェクトごとに集まって「終わったら解散!」ということもたくさんあります。「アットホームな職場です」のような考え方って、若者が搾取されていた時代に会社員をやっていた者としてはすごく怖い。

それよりも一緒に働いた一瞬一瞬を大事にしたいというか、「あの人と働いた時は楽しかったな」という気持ちのほうを描きたいと思いました。きれいな花火のように残っているくらいでいいのかなと。なので、台湾の人たちとも一瞬だけ会って力をもらって別れる感じがいいなあと思いました。

——結衣は、1886年(明治19年)に日本の工場労働者で初めてストライキをした「雨宮製糸工場」の女性たちからも現状を打破するためのヒントをもらいます。台湾の人たちが横のつながりとしたら、雨宮製糸工場の女工たちは縦のつながりですね。

朱野:サラリーマンって歴史上の偉人に学ぶ人が多いんです。結衣はそこまでハマりはしないけど、その時々だけヒントをもらう感じなんですよね。なので、私もあまり調べすぎずに「昔の女性たちも闘ってたんだな」という部分に一瞬だけ触れて、現状を打破する力を得る展開にしています。結衣は1作目からそういう感じですね。

——空間と時間を超えた横と縦のつながりが描かれていますが、「一瞬」というのがいいなあと思いました。

朱野:そのほうがリアルに近いのかなって。ずっと同じ会社で同じ部署にいるのも今の時代は考えにくいですよね。

——つるんでトイレに行くとかもないですもんね。

朱野:むしろ会社員のしんどさってずっと一緒にいる苦しさですよね。もしかしたら、連帯や団結の物語は私みたいなフリーランスの人間が憧れるものなのかもしれないですね。1人で働いていると、みんなで仕事するのいいなと思うんですが、勤めている間はまったくいいと思わなかった(笑)。

影響を受けた海外ドラマ

——そうした人間関係の描き方はご自身の会社経験がもとになっているのでしょうか? それとも影響された作品などがあるのでしょうか?

朱野:会社員経験がもとになってはいるのですが、20代の頃に好きだった海外ドラマの影響はすごくあります。1990年代後半から2000年代にかけての日本のドラマって総合職女性のリアルなドラマがなかった。総合職女性が少なかったのもあるだろうし、描かれたとしてもスーパーウーマンのミラクルな活躍で、普通の総合職女性の労働を描いたものはなかった。

一般職の女性や、派遣社員の女性が主役のドラマはありましたけれど、総合職は無能な敵として描かれるんですよね。私たちは就職氷河期世代だったので、一般職の枠はほとんど残ってなかった。正社員にふさわしい仕事をしろとプレッシャーをかけられもした。そんなときにロールモデルにしたのが、海外ドラマだと『アリー my Love』(1997年〜2002年)や『セックス・アンド・ザ・シティ』(1998年〜2004年)とか、少し後だと『SUITS/スーツ』(2011〜19年)だったんです。

女性として差別されることもあるけれど、男性と同じ悩みにもぶち当たる。上司を土日に接待するかどうか、セクシャルマイノリティの同僚にどう相対するか、自分がパワハラやセクハラをしないようにするにはどうすればいいのかとか、そういうことに悩んだり乗り越えていく話は海外ドラマにしかなかった気がします。

そして、海外の総合職の女性たちはたとえ友達であってもドライ。『セックス・アンド・ザ・シティ』でも、しょっちゅうケンカしています。「私たちっていい関係よね」ってなっても、すぐに議論が始まる。そんな海外ドラマばかり見ていたので、自分の作品にも影響している部分はあると思います。なんていうのかな、それぞれ生きている感じというか。

——確かに「分かり合えないのが前提」という気がします。

朱野:女性同士だから仲良くなれるわけでもないし、同じ国籍や同じ人種だから仲良くなれるわけではない。仕事関係でもどんどん仲良くなるよりは、距離が縮まったり伸びたりすることもあるほうが私にとってはリアルに感じます。

性別を明かさない「八神さん」

——キャラクターのお話も伺えればと思うのですが、結衣の部下についた性別を明かさない八神さん。オードリー・タンさんのような人をイメージしながら読みました。

朱野:八神は2巻の終わりで登場したのですが、そのときはオードリー・タンのことは知りませんでした。3巻を書く前に台湾に取材に行って、「台湾にも給料が低い問題がある」と聞いたので、八神を「台湾で育った」という設定にしたんです。オードリー・タンだけでなく、台湾の人たちは柔らかくてフレンドリーなので、八神にもその雰囲気を投影させました。

——八神さんは定時どころか午前中のみ勤務で、新卒ながら年収1000万円スタートの契約社員という設定です。結衣と八神さんが初めて出会う場面で「よろしく、八神くん」と手を差し出した結衣に「名前の呼び方が性別で違うの? この会社」と八神さんが返した場面がありました。

朱野:前作で結衣は「男だから」「女だから」という職場における性別問題で悩んでいたのですが、男女二元論にはまらない存在として八神を登場させました。どんなセクシュアリティを持っているか、本人が明かさない以上は、結衣も尋ねません。地の文で「彼」とか「彼女」という呼び方もしませんでした。それでも問題なくストーリーは進行したし、リモート勤務が増えていく世の中ではますます性別をいう必要がなくなっていくだろうなと思いました。

——確かにそうですね。

朱野:『わた定』はプライベートと仕事の話が半々なので、主人公を地の文で「結衣」と呼んでいます。でも、よく考えたら会社では同僚の下の名前って意識しないですよね。昔は男性上司が女性の部下を下の名前で呼んだこともあったと思います。だからか、企業小説を読んでいても男性は苗字で書いてあるのに女性は下の名前で書いてあるパターンが多い。性別をわかりやすくする意図で他意はないとは思うのですが、女性だけ下の名前だっていうのはもはやリアルではないですよね。

——職場で特定の女性だけ下の名前で呼ぶのは問題ですね。

朱野:ドラマのお仕事ものでも苗字で呼ぶのが当たり前になってきてますね。今書いている別の小説では、女性主人公を地の文でも苗字で呼んでいます。それでも女性キャラクターとして十分立ちます。社内恋愛や、家族の問題を描くならなら別ですが、会社で仕事をする上でこの人は男性か女性かとかいちいち判断する必要はないのかなと思っています。

性別を明示しなくても魅力的なキャラクターとして成立するか? という挑戦の結果はイエスです。八神の場合は、帰国子女なので、国も跨いでいます。でも職場で肝心なのは属性ではなく、どんな仕事をするかですよね。そうあってほしいと思いながら書きました。

※第3回は7月8日(木)に公開します。

(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子)

情報元リンク: ウートピ
職場を“帰るべき共同体”として描きたくない 『わた定』で描かれるしんどくない人間関係

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