「ウートピ」で昨年末から続けている「#ちょうどいいブスやめた」特集。
SNSでの炎上から始まりドラマの改題に至るなど、最近クロースアップされている「ブス」というワードですが、本日23時放送のAbemaTV「Wの悲喜劇〜日本一過激なオンナのニュース〜」では「ブスという呪い」と題して、MCのSHELLY さんも「ブス」という言葉に切り込みます。
今回は、昨年12月に『ブスのマーケティング戦略』(文響社)を出版し、番組にスタジオ出演した税理士の田村麻美(たむら・まみ)さんに「ブスの本音」を書いていただきました。
Contents
「理想論を言われても…」ブスを自認する私が思うこと
はじめまして。
炎上ホイホイのタイトルで昨年12月に『ブスのマーケティング戦略」(文響社)という本を出版させていただいた田村麻美と申します。
「ブス」という厳しい現実と向き合い、あきらめず努力をしてきた私自身の実体験から培ったブランディング戦略をテキスト化したものです。このご時世ですので、絶賛、賛否両論炎上中です。
そんな燃えすぎて灰になりかけている私に、先日、女性のためのニュースサイト「ウートピ」さんから、「【#ちょうどいいブスやめた】というコーナーで記事を書きませんか?」とお声をかけていただき、今、こうやって書いているわけです。
すでに、このテーマで「ウートピ」さんに記事を書かれているのは、錚々たる方々です。
読ませていただきましたが、多くの記事が、
「自分の評価は自分で。誰かの目線を気にする必要ないよ」
といった、論調が多いなあとお見受けしております。
まあ、「理想論」で考えたらそうなんだろうなあと思うんです。
ただ、この論調って、ブス問題だけに言えることじゃありません。性別関係なく、誰からもぐうの音もでない能力や経験などがあれば、我が道を突っ走って、幸せを勝ち取れるのだと思います。イコール「他者の評価」もついてくるのでしょう。誰かの目線なんて気にする必要もないのだと思います。
「だーかーらー、他者の評価を何で気にするの?」
とお叱りの声が飛んできそうですが、性別関係なく、生きていくにあたって、会社員だろうが自営業だろうが、恋愛に関してだろうが、自分一人で生きていくことはほぼ不可能ではありませんでしょうか。
ビジネスの世界であっても恋愛の世界であっても、男女問わず、「他者ありき」の世界で生きているわけです。
他者に見つけてもらう、選んでもらわなければ、生きていくことって不可能ではないかと。その基準が、能力なのか、経験なのか、見た目なのか。ブスというのは、その一つの見た目基準というただ、それだけなのに、なぜこんなに世の中は見た目について話題が飛ぶと、なんやかんやいうのだろうかと思うわけです。
辛いけれども、一つの基準として「見た目」があることは、事実として受け入れないと、逆に生きづらくないでしょうか。
何もしてくれない偽善者の声が高まっている
現在、放送されているドラマ「人生が楽しくなる幸せの法則」は、もともとのタイトルが「ちょうどいいブスのススメ」だったわけですが、「ちょうどいいブスとは何事だ!」とSNS上で炎上した結果、自己啓発本にありそうなタイトルに変更されたそうですね。
「人生が楽しくなる幸せの法則」って、冷静に考えれば、性別や年齢や、生き方の目標などにもよって様々なものでしょう? 一体、誰にみてほしいドラマなの?と逆に突っ込みしかおきないタイトルに変更されてしまったことは、マーケティングとしてもいかがなものかと思わざるを得ませんでした。誰がこのタイトルに心を動かされてみるのでしょうか。
そんなハートフルなタイトルのドラマであれば、深夜ではなく、朝の15分ドラマで放送すればいいじゃないですか。誰が、深夜にそんなハートフルなドラマをみるのでしょう。
ドラマが放送される前から「ブス」という単語だけで炎上して、いきなり大衆受けする(かのような)タイトルに変更したことは、それだけ「人を見た目で判断するな」「卑下するな」という偽善者の声が高まりまくっていることを象徴しているのでしょう。
しかし、人を見た目で判断してはいけないという法律はないわけです。どんなに「ブス」って言っちゃダメ!と世間がいい続けたとしても、見た目で判断する人はいるわけで、逆にこの世論に甘んじて「見た目は気にしなくていいんだー」と勘違いして、何も努力をしないありのまま女がはびこるのではないかと、将来の世の中が心配になってしまいます。
本当に「人の見た目」を気にしたことはないか?
人を見た目で判断することはよくないことです。
しかし、ここで問いたい。
「あなたは本当に、他人の見た目について何も感じたことはありませんか?」「あなたは本当に、他人の見た目について『かっこいい』『タイプだ』などといった感情をもったことはありませんか?」「あなたは自分の容姿について、もっと『鼻が高かったら』『かわいく生まれたかった』などと思ったことはありませんか?」
「他人の見た目も自分の見た目も、気にしたことないわ!」という方は、本当にすごいなあと思います。その生き方、精神論を是非、ご教示いただきたい。
他人の目なんて気にしなくていい。容姿という変えられないものを、指摘するのはいじめにもつながるのではないか。もちろんその通りだと思います。しかし、私たちは、自分一人の世界で生きているわけではありません。様々な感情・価値観をもった人間がたくさん存在する世界で生きています。そして、自分以外の他者と関係性を持つことにより生きています。
そうは言っても、結婚してみたかった
じゃあ、ブスというだけで、損ではないか。見た目が劣っているブスは、誰からも選ばれず、一人で息絶えればいいのか。
私は、小学校の頃に同級生の男子に「鼻が低い」「ブス」と言われ、自分の容姿に自信を持てなくなった女の一人です。しかし、私には夢がありました。「結婚」です。多様な生き方がある時代で、結婚が唯一の女の幸せというわけではありませんが、やはり私は「結婚」をしてみたいというのがゴールにありました。
しかし、冷静に客観的に自分を見つめなおすと、「自分が男性だったら、ブスよりきれいな人がいいと思うはず」と考えたわけです。しかし、それでも結婚という夢をあきらめきれなかった私は、とにかく男性と出会うために「合コン」へ繰り出しました。市場調査です。男性が、どういった女性を好むのか、調査をしたのです。
目線も合わせてくれない人もいれば、お話してくれる人もいる。様々な男性がいることに気付いたのです。そこで、相手が求めているものを冷静に考え、自分の見せ方、売り込み方を考え続け、結果、自分自身も納得する結婚をすることができました。
人間を商品のように語るな。という言葉が聞こえてきそうです。
しかし、どんなにいい商品を作ったとしても、買ってもらえなければ、その商品は売れ残りです。乱暴かもしれませんが、人間もそうです。どんなに性格がいいといっても、選んでもらえなければ、一生独りぼっちです。
「見た目で判断する世の中はよくない」と言う前に
もちろん一人でいる一生もありです。しかし、もしあなたの夢が結婚など、誰かを巻き込んだ夢ならば、当たり前ですが、独りよがりな生き方はできません。「見た目で判断する世の中はよくない」と言い続けるより、自分という人間が、この世の中で生きていくためにはどうすべきか。変えられない他人の価値観を変えるようとするより、どこに自分がフィットするのかを模索していくことの方が、建設的な時間の使い方なのではないでしょうか。
時間は有限。自分が一国の主となって、「ブスと結婚しないと死刑!」という法律を作らない限り、このブス問題は解決しないでしょう。無理でしょう。怒っている時間があったら、この見た目で判断されることもあるという現実を受け止め、自分の売り込み戦略を考えつづけた方が建設的な時間の使い方ではないでしょうか。
なので、私は、「ちょうどいいブスのススメ」というドラマタイトルは、「見た目で判断する世の中はよくない」と言い続けるよりは、よほど建設的な話に見えるタイトルでしたので、高評価でしたけどね。以上、ブスを自認して二十数年、この日本社会で生きてきた一人の女としての本音でした。
(田村麻美)
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■番組情報
男子は見なくて結構!男子禁制・日本一過激なオンナのニュース番組がこの「Wの悲喜劇」。さまざまな体験をしたオンナたちを都内某所の「とある部屋」に呼び、MC・SHELLYとさまざまなゲストたちが毎回毎回「その時どうしたのか?オンナたちのリアルな行動とその本音」を徹底的に聴きだします。
#66「ブスという呪い」
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- 34歳の私から“ちょうどいいブス”になりたかった22歳の私へ
- あなたの憧れの人は「ちょうどいいブス」を目指さないはず【佐久間裕美子】
- 私には「ブスの気持ち」がわかりません。【小島慶子のパイな人生】
- 「よし、今日も可愛いぞ!」で気分と口角を上げていきたい【小沢あや】
- 「ちょうどいい」もホドホドに 安彦麻理絵から今どきの女の子たちへ
- “ちょうどいいブス”だから私と付き合ってるの? 【◯◯って言わない女子】
情報元リンク: ウートピ
結論から言おう、ブスという概念はなくならない【#ちょうどいいブスやめた】