中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。
今回は、移植後にキャラが変わったという夫を観察して気づいたことをつづっていただきました。
結婚11年目の自己開示
前回、「病人×病人」の関係になった夫と私が、身体の快復とともに「男×女」に戻れたというお話しをしました。この話には続きがあります。「男×女」という恥じらいを飛び越えて、さらに「オープンな関係」になったのです。オープンと言ってもお互い自由に遊びましょう、ではなく、何もかもさらけ出す自己開示のオープンです。
自分をさらけ出すコミュニケーションをとっていると、自分の本質が丸裸になるようで、私たちは「親×子」のようでもあり「友×友」のようでもある、多彩な関係になっていきました。
突然、変顔をはじめた夫
最初は、夫が変わったのだと思っていました。移植して5ヶ月目あたりから別人になったように私にも映ったからです。
それまでの私が知る夫は、内気で人見知り、おまけに恥ずかしがり屋でした。
妻である私の前でも鼻歌すら歌えず、カラオケで歌っている姿なんて見たことありません。浮ついたところがなく、使う言葉も行動もかたい人で、例えば「食う」とは言わず、「いただく」と言います。ちょっとコンビニに行くだけでも、ヒゲを完璧に剃るなど隙がありません。
そんな夫が、らしくない行動をしたのです。
その日、私と夫は、新宿伊勢丹に新規オープンしたコスメブランド「Celvoke(セルヴォーク)」の人気リップをゲットするために、長蛇の列に並んでいました。夫にはなんの関係もない買い物です。私の肩をトントン叩いてくるので、なにか用事でも思い出したのかと思って、振り向くと、すかさず「みゅっ」と鼻をすぼめる夫。
え、なに?
状況がつかめず目をパチクリさせていると、夫は「あれ」とセルヴォークのポスターを指差します。「あのモデルさん、キレイだわぁ。ポイントは鼻よね、シュッとした高い鼻」と私がしつこかったせいでしょうか。夫の鼻がシュッと高くなってるのです。
夫の変顔なんて人生ではじめて見ましたよ。「もう一回やって」とおねだりすると、恥ずかしげもなく「みゅっ」とやってくれます。盛り上がっているうちに「次の方~」とあっという間に順番が回ってきました。
あれがスイッチだったのかな? それ以来、夫は変顔をしたり、冗談を言ったり、大きな口を開けて「わはは!」と笑うユニークな人になりました。
「~しなさい」が口癖になった夫
もう一つ、夫に変化がありました。父親のように振る舞うようになったのです。
「21時になったよ。薬を飲みなさい」
「0時過ぎたよ。もう寝なさい」
「食べ過ぎですよ。それくらいにしておきなさい」
まるで子を諭すような口調なので、人によっては煩わしく思うかもしれません。けれど、私にとってはありがたい。夫が、協力してくれているからです。移植した腎臓を1日でも長く持たせるために。
「ノンアドヒアランス(服薬不遵守)」という言葉があります。患者が治療に関心を持つことができず、薬の飲み忘れが頻発し、しっかり治療できていない状態を指します。患者は、医師や薬剤師に「移植した腎臓を悪くする一番の原因は、このノンアドヒアランスである」と指導されており、移植腎を長持ちさせるためには、免疫抑制剤の服用がマストであると私も夫もよく理解しています。夫は、スマホのアラーム機能を使って、「薬の時間だよ」と、毎晩アナウンスしてくれるようになるばかりか、私の睡眠時間や食事にも気を配るようになってくれました。
これって、大きな変化なのです。以前の夫は、「聞いてもよくわからない」といったスタンスで、診断結果を見せても、「で、この数値は良いの、悪いの?」と気の無い返事。けれど、今の夫は、外来の日に「検査結果はどうだった?」とLINEをくれるようになったし、帰宅するなり診断結果をチェックして、「クレアチニンの数値はこれ、CRPはこれ、総コレステロールはこれ、中性脂肪はこれ」とくまなくチェックして、「腎機能は順調だけど、コレステロール値と中性脂肪値を少し下げないとね」なんてコメントまでくれるようになりました。
病は一人で戦うものだと思っていたけど、移植腎を一緒に守るんだという戦友ができてとても心強いです。
どん底の私の手を離さなかった夫
仲間内で飲んでいると、「夫が(妻が)浮気してたらどうする?」という、たらればに発展することがあります。うちはどうだろう……と想像するのですが、「浮気はないな」とすぐに答えが出ます。「なぜ断言できるの? そんなのわかんなくない?」と言う友人たち。おそらく、夫がどうのというより、私が夫を信頼したいのだと思います。なぜなら、移植前の私が本当にひどい妻だったからです。
まず、倦怠感に負けて、家事を一切しなくなり、家は荒れ放題でした。「消えてなくなりたい」と夫の前で醜態を晒す日々を送っていました。そんな弱い私に愛想をつかして離婚するタイミングはあったはずですが、夫は私の手を決して離さず、世界中の人間がそっぽを向いても、夫だけはずっとそばにいるからね」と言って、腎臓を一つ分けてくれました。そんな夫のことを、私はどこまでも信頼しています。
夫が笑うから私も笑う。私が笑うから夫も笑う
最初に、「変わったのは夫である」と言いました。いいえ、変わったのは私でした。
先日、資料整理をしていると、「腎臓移植のメリット」という資料を見つけたんです。
腎臓移植のメリットが色々書いてある資料で、例えば、寿命が伸びる(心血管合併症の低下)、QOLの向上、食事制限や水分制限からの解放、社会復帰など、本当にたくさんのメリットがあるのですが、ふと、「生きる喜びがある」という言葉にたどり着きました。これは、実際に腎臓移植を行った患者さんの言葉だったのですが、妙に共感したんですね。
思い当たる節は山ほどあります。
毎日が遠足の前夜のようにワクワクしてついつい夜更かししてしまう。人のギャグに3割増しで笑えるので、人と会うのが楽しい。
移植前は、朝起きて身支度するだけでヘロヘロだったのに、今は疲れにくく、どこまでも歩けてしまう。4日前は革靴で17キロも歩きました。感性が豊かになって、なんども訪れたことがあるはずの丸の内の夜景が宇宙のように美しく感じて、交差点でぐるぐる回ってしまう。アートや音楽に心動かされる幅が広がり、フォーク・クルセダーズさんの「悲しくてやりきれない」の開始15秒で涙が溢れてくる。味覚が敏感になり苦手だったワインが「こんなにおいしい飲み物がこの世にあったのか!」と大好きになった。どんな人にも、やさしい人間であろうと思える。
こう言うと、不謹慎かもしれませんが、ほろ酔い気分と似ているのです。ほろ酔い気分で血流がどくどく流れると、感情もどくどく揺れ動いて、生きるのが楽しくなったのです。
コロコロ表情を変える私を見て、「はるかさんは忙しい人だねぇ」と、夫もなんだかうれしそう。その時、思ったのです。移植後、変わったのは夫ではなく、私だったんだ。
移植前の私はとにかくひどかった。だから、夫は心を閉ざして、本来の自分を表現できていなかったのです。「今はなにを言っても仕方ないわ」そんな気持ちだったのかもしれません。夫は冗談など言わなかったし、いつも憂鬱な顔をしていました。けれど、今の夫は冗談を言って、変顔をして、大きな声で「わはは!」と笑います。本来の自分を、豊かに表現してくれます。
そんな夫の笑顔が私は大好きなので、今夜もとびきりの笑顔で、夫の帰りを待ちたいと思います。
(もろずみはるか)
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情報元リンク: ウートピ
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