中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。
今回は、前回のぎっくり腰になった話の続きについてつづっていただきました。「僕は病人になった感覚がある」とこぼした夫の本心とは——?
不機嫌になった夫
前回、腎移植して5ヶ月目に夫がぎっくり腰になったことを書きました。ぎっくり腰になった夫はひどく落ち込むようになりました。
もともと夫は、365日、上機嫌な人です。もちろん落ち込むことはあるのでしょうが、表には出すことはほとんどありません。
「1年前のちょうど今頃、仕事がうまくいかなくて自暴自棄だったなぁ(笑)。はるかさん気づいてた?」なんて、終わったこととして話してくれるのです。
そんな夫を誇りに思っていました。けれど、ぎっくり腰になった夫が見たこともない顔をして落ち込んでいます。ただ事じゃないと思いました。
単純に腰痛がツラいのなら、回復とともに、いつもの上機嫌な夫に戻ってくれるだろうと期待しました。しかし痛みが緩和しても夫の不機嫌はなおりません。
ある時、夫がこんなことを言いました。
「移植後、僕は病人になったという感覚がある」
「私のせいだね、ごめん」と言えないもどかしさ
誤解のないようお伝えしたいのは、医学的には、ドナーになっても日常生活に支障はないとされています。ドナーの安全が保証されていないと、生体腎移植は成り立ちません。
例えば、2つある腎臓が1つになれば、腎機能も「半分」になるとイメージしますが、一時的に腎機能が落ちたとしても徐々に70~75%まで復活するのだそうです。
それについては夫もよく理解していました。ただ、夫が落ち込んでいたのは、そういうことではありませんでした。フィジカルというよりもメンタル。健康な腎臓を一つ失ったという喪失感と、その喪失感を家族にすら真に理解してもらえないという虚無感に、夫は悩まされていました。
そんな夫にかける言葉が思いつきません。
「私のせいだね。ごめんなさい」と謝ったところで、夫は喜びません。ドナーになったことを悔いたことは一度もないと、夫は言ってくれているのだから。かといって、「元気出して」とか「大丈夫だよ」というありきたりな声がけも、しっくりきません。
悩んだ結果、私はこんな言葉をかけました。
「あなたの気持ちを理解できないかもしれないけど、良い時も悪い時もどんなあなたも受け入れたい。2人で乗り越えよう」
この時、夫の表情が少しだけ緩んだ気がしました。
ぎっくり腰は、約1ヶ月で完治しました。痛みが完全に消えると、夫は少しだけ気力を取り戻したようでした。そして、こう言ってくれました。
「もう一度、フルマラソンを走りたい」
42.195kmを走った夫が取り戻したもの
その日から、私は夫のトレーニングに自転車で付き添うようになりました。先回りして、夫のフォームを動画に撮るのが私の役目。トレーニング後、2人で動画を見て、こうかな、ああかなと議論。そもそも夫がぎっくり腰になったのは、「腎臓が一つになったせいか、ランニングフォームが決まらない」と言って、変な走り方をしたせいです。
ちょうどその頃、シカゴマラソンで大迫傑選手が日本新記録を樹立したという嬉しいニュースが届きました。どんな時も自分を信じて前を向く大迫選手の姿は、夫の希望になりました。何度も大迫選手のランニングフォームを見ては、理想的なランニングフォームを研究しました。
そして、腎移植から8ヶ月目、夫は、「つくばマラソン」に出場しました。大会当日のつくばエクスプレスの中で夫は「心配でたまらない」と、弱音を吐きました。
「腎臓が一つしかない体でどこまで耐えられるかな。ぎっくり腰というハプニングのせいで、走り込みも全然足りてない……」。私は黙って夫の弱音を受け入れました。
レースが始まり、序盤からスピードを落として走る夫。「よかった冷静だ」と安心したのは、「最初から飛ばすと、後が持たない」と、いつも夫が言っているからです。順調に進んでいた夫の足が止まったのは33km地点でした。足がつったかな? 腰が再発したかな? 見守ることしかできない私は、気が気ではありませんでした。
けれど、38km地点でまた走り始めます。ゴール付近で夫の姿を見つけた私は、夫の名を呼びます。悲鳴に近い声で何度も。夫はチラリとも私を見ませんでした。何かを取り戻すように、鬼のような形相でゴールに吸い込まれていきました。
ネットタイム 4時間00分14秒
これは、移植前の体で走った記録と10分程度しか変わりません。夫は腎臓一つでも十分戦えるのだと証明してみせたのでした。
今日も力強くゴールに向かって走る夫
怪我なく終われてよかった。安堵から、私は帰りのつくばエクスプレスでグッスリ。その隣で夫は泣いていたそうです。
「腎臓一つでも十分戦える」と身をもって証明したことで、これまでの不安や恐怖を打ち消す手応えになったのでしょうか。数日後、夫は本格的に走り込みをするようになりました。
「つくばで4時間を切りたかったわー。あの14秒は僕の弱さだよね!」
なんて悔やむ夫が、生き生きとして見えました。
そして先日、夫は「新宿ハーフマラソン」に出場しました。生まれ育った街を走る、夫にとっては特別な大会。市民ランナーになって以来、一度も欠かしたことがない大会でもあります。
ゴール付近で夫の姿を見つけた私は、大きな声で夫の名を呼びます。夫は私の方を見て手を振り、力強くゴールに向かって走って行きました。
(もろずみはるか)
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情報元リンク: ウートピ
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