「そうだ、私もしんどかったんだ」―。ページをめくるたびに、「女性」として生きてきたがゆえに降りかかる世の中の理不尽や困難。そんな記憶を掘り起こす韓国文学が注目を集めています。
2016年に韓国で発売されるとたちまち100万部突破の大ベストセラーに。日本でも昨年12月に発売されると、完売する書店が続出。これまでに7刷を重ね、8万部*を売り上げた『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著、斎藤真理子訳、筑摩書房)。*2019年2月18日現在。
韓国の1982年生まれで最も多い「キム・ジヨン」という名前の女性の誕生から学生時代、受験、就職、結婚、育児までの半生を克明に回顧していき、女性の人生に当たり前のようにひそむ困難や差別が淡々と描かれています。その内容は、日本の女性にとってもわが事のように感じられるものばかり。
本作の翻訳を手がけた斎藤真理子さんと、書評家の倉本さおりさんのトークイベントが1月18日、東京・下北沢の「本屋 B&B」で開催されました。イベントの一部内容にインタビューの内容を加え、3回にわたってお届けします。
Contents
韓国で100万部突破の理由は?
斎藤真理子さん(以下、斎藤):この本が韓国で100万部を突破したというのはすごいことで、「100万部」というのは、普段本を読まない人も読まないと出ない数字なんです。
倉本さおりさん(以下、倉本):ちなみに私の知人が、世間的には「リベラルで理解のある男性」で通っている夫にこの本を読ませたところ、「小説としてはどうかな」と言われたそうです。
斎藤:韓国でも、男の人がこの本をディスるときにまず言うのが、「文学じゃない」ということ。韓国のネット書店に何百というレビューが書き込まれているんだけど、「これは小説じゃない」という意見がすごく多いんです。
倉本:たしかに、非常にコンセプチュアル(概念的)な作品ではありますが、このぐらい明確に構造について書かないと、社会の側が反応してこなかったということでもあると思うんです。これまでだって、ジヨンが抱えているのと同じような苦しみをこまやかに散りばめた小説はたくさんあったけど、社会は変わらなかった。これくらいわかりやすい書くことではじめてベストセラーにつながったという部分についても考えなきゃいけないと思います。
“恵まれた家庭”の娘でも報われない無力感
斎藤:この本で面白いのは、実はジヨンさんより、お母さんのオ・ミスクさんのほうがすごいというところなんですね。オ・ミスクさんは、1970年代に女工さんとして働いていた人で、『あゝ野麦峠』みたいな人生なんです。
韓国では1970、80年代の経済発展の中で、使い捨てのように女の子たちが働かされていたんですけど、オ・ミスクさんはその中で、小卒で女工になり、それから夜間学校に通って高校まで行くんです。オ・ミスクさんが働いていた工場は、わりと良心的で工場の中に夜学があったのですが、そこで中学、高校まで出るというのは、ものすごくバイタリティがあって頭がよく、しかも意志が強くないとできない。そういう母親がいてこその、キム・ジヨンさんという設定なんです。
倉本:オ・ミスクさんは、本当は自分が大学に行って教師になりたかったけど、当初は中学にも行けず、働いて貯めたお金をまず兄に注ぎ込む。兄2人*は大学に行って立派なお医者さんと警察署長にまでなるけど、彼らは稼ぎを妹たちに返すのではなく、末っ子の弟に与えるんですよね。
*ジヨンの母、オ・ミスクは5人きょうだい。上に兄が2人、姉が1人、下に弟が1人いる設定。
斎藤:オ・ミスクさんは策士だし、すごくたくましい女性なんですけれど、要するに、そういう頼もしい母がいても、今の時代のキム・ジヨンの悩みを救ってやれないというのが、この小説の眼目なんですよ。その無力感というのも描写されています。
キム・ジヨンさんは、「やや恵まれた家庭の、そんなに苦労はしてない女性」に設定されている。それはなぜかという理由を著者のチョ・ナムジュさん自身がこう話しています。
「経済的に苦労している人を書いた小説は韓国に山のようにある。貧しい家庭の子とすると、ジヨンの苦労は貧しさのせいだということにされてしまう。そういう予見は持たれないように、ちょっと楽な家庭にしたんです」と。
すごく自然に書かれているようで、実はその設定には結構な企みがあるんです。
韓国の女性の二重構造
斎藤:オ・ミスクさんは不動産を転がして儲けていくんですが、そこが韓国の女性のすごいところで、彼女の世代には都市再開発のときにチャンスをつかんで小金を貯めた女性が山のようにいるんです。夫が会社に行っている間に、奧さんは、たとえばサウナに行ったりして、近隣の女性たちから情報を集める。韓国の女性は全然大人しくないんです。発言権もあるし、旦那にもガンガンものを言う。
倉本:ジヨンの通う中学校に露出狂が現れて、女の子たちが「ヤバいやつがいる」といった感じで騒いでいたら、なぜか彼女たちが生徒指導室で叱られるというエピソードがありますが、その女の子たちは気が強いから、後で協力してとっちめるんですよね。
斎藤:韓国の社会は、女性がそれだけ動けるということを知っているんだけど、公には認めない。二重構造なんです。
ただ、女性の力は凄まじいと思う。1997年の通貨危機で国家財政が破たんしたあと、オ・ミスクさんみたいな女性たちが、小金を集めてでもお店を始めたり、事業を起こしたりした。そういうときの機動力には凄まじいものがあって、そのおかげで韓国社会は持ちこたえることができたと言っても過言ではないと思う。
でも、この本は、そういった社会的背景にはあまり踏み込みすぎずに書かれています。
韓国の小説には、どれを読んでも「格差問題」が当然のように影を落としているんだけど、『82年生まれ、キム・ジヨン』はそこには踏み込まず、物事を単純化している。全部格差の問題に集約されるのを巧妙に避けているんですね。
セックスや「恋愛を経ての結婚」が描写されていない
斎藤:他にも避けていることがいっぱいあって、たとえば、この本を読むと、女の一生を描くとしたら本来とても重要なポイントが二つ抜けているんです。
一つはセックス。初体験の描写がないんです。生理のことは書いているけど、セックスの描写は一切ない。
もう一つは、いつの間にか結婚していること。結婚の経緯は後出しで少し説明しているけど、恋愛が成就して結婚に至るところは切っている。これはすごく面白いので作家に直接聞いてみたいと思っているんですけれど、考えられる理由としては、「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」に集約させる部分は全部切ったのかなって。
倉本:なるほど……。「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」って、愛しあう二人が結婚し、家族になることを良しとする価値観ですよね。そこでは恋愛と結婚、そして生殖がセットにされることで正当化されると同時に、人びとを「家族」というシステムに組み込むための口実になってしまう。つまりこの本の中では、セックスや恋愛の成就の延長としてジヨンの結婚を描かないことで、そのシステム自体の異常さをさりげなくあぶり出しているっていう。
『82年〜』で描かれた個人の限界
斎藤:著者のチョ・ナムジュさんが言いたいのは、どんなに夫が良い人でも、お母さんが素晴らしい女傑でも、それだけではジヨンを守れないということ。ジヨンさんを診る医者がよくても悪くても、カウンセラーがよくても、それだけではどうにもならないことがいっぱいあるということを示しているのだと思います。
倉本:ジヨンの夫のチョン・デヒョンも、平均的な男性像のリテラシーと比べると、だいぶ「理解がある」ほうなんですよね。ジヨンの職場の女性課長もすごくいい人。ただ、課長1人ではどうにもならない。
斎藤:個人がどんなに努力をしても限界がある。これは、「限界はこういうものだよ」って可視化してくれた本だと思います。
※次回は2月22日(金)公開です。
(取材・文:新田理恵、構成:ウートピ編集部・堀池沙知子)
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情報元リンク: ウートピ
“理解がある夫”がいても限界がある…話題の小説『82年生まれ〜』の巧妙な仕掛け