11月20日(金)に映画『泣く子はいねぇが』が公開されます。本作は、父になることからも大人になることからも逃げてきた主人公・たすくが、過去の事件と向き合い、不器用ながら前進しようともがく物語です。
商業映画初作品ながら世界から注目を集める佐藤快磨(さとう・たくま)監督に、脚本や映像に込めた思いをうかがいました。
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父親ではない自分が描けるもの
——佐藤監督が監督・脚本・編集を務めた本作のテーマは、「父親としての責任と人としての道徳」とのことですが、いつ頃からこのテーマを意識されていたのでしょうか?
佐藤快磨監督(以下、佐藤):この作品は、「自分が父親になれるのだろうか」と考えたことがスタート地点になっています。27歳くらいの頃でした。大学で同じ学年だった友人が2人ほど父親になっていて。その彼らと飲んでいるときに子育ての話になったのですが、「奥さんが妊娠中に父親になる準備をいろいろとしていたつもりだったけれど、いざ子どもが生まれたその夜に何もできなくて呆然としてしまった」と言うんです。
それを聞いて「どの時点で父親になるのだろう」と思いまして。時間なのか、タイミングなのか……。そのようなことを、まだ「父」ではない自分なりの視点で探し、描けたらと思ったのがきっかけです。
——『ガンバレとかうるせぇ』(2014年)でも秋田を舞台にされていましたよね。今回も秋田を選んだのはなぜでしょうか?
佐藤:「父親」というスタートとは別に、商業デビュー作は秋田を舞台にしたいと考えていまして。というのも、僕は秋田県出身なのですが、『ガンバレとかうるせぇ』を撮影して、秋田には自分にしか撮れない物語や風景があると思ったんです。
記憶の中にあった「ナマハゲ」と「親子」の関係
——「父親」と「ナマハゲ」は、どのようにつながったのでしょう。
佐藤:幼い頃に友人宅で体験したことを思い出したのがきっかけです。ひとりで遊びに行っていたので、友人家族の中に僕がいるという状況でナマハゲが来て……。友人が父親に飛びついて号泣する一方で、僕には守ってくれる人がいなくて心細い思いをしたんです。
その記憶がナマハゲと「親子」をつないでくれました。ナマハゲはただ子どもを泣かせるだけじゃなくて、親子関係を可視化させてくれるというか。子どもは「頼れる親がいる」という安心ができて、親にとってもちゃんと親にさせてくれるような体験をさせてくれる。そういう側面がナマハゲにはあるのではないかと思い、男鹿を舞台に父親になる男の話を書き始めました。
ナマハゲの担い手がいない現状を作品で伝える
——その「ナマハゲ」と「親」は、監督の中の新しい解釈の一つとして、ということでしょうか?
佐藤:そうですね。ナマハゲには諸説あって。そのひとつに男鹿では「ナモミ剥ぎ」というものがあります。これは、囲炉裏に当たって怠けている人にできる「ナモミ」という低温やけどを剥ぐことをさします。ナモミを剥ぐことで、怠け者を懲らしめ、災いをはらうという意味合いがあるんです。
けれど、取材を進める中で「人によっては親子関係を作るという意味もあるよ」と教えてくださる方もいました。
——脚本を書くにあたっての取材で、地元に対する見え方など、何か変化はありましたか?
佐藤:見え方というか、通学路の風景も駅前のにぎわいも僕が暮らしていた頃とは全然違うのは明らかでした。5年ほど男鹿に通って、大晦日にはナマハゲに帯同させてもらって。目には見えない部分にも変化があると実感しました。継承する人がいないんです。
今、ナマハゲを担っているのは40代とか家庭を持っている人たち。若い人がどんどん都会に出てしまうけれどもなんとかナマハゲを伝えていきたい、自分たちの代で途絶えさせてはいけない、どうしたらいいだろう、と悩んでいる。
個人ではどうすることもできないような大きな流れがあって、でもそこになんとか抗おうとする姿がそこにありました。
「まだあのおばあちゃん生きてたんだ」「よかったなぁ」
——人が減る影響は大きいですね。
佐藤:そうですね。男鹿市は県内でも人口流出が著しい場所です。特に若者の移動が多くて、高齢化が進んでいます。地方で生きていくことの不安や大変さも、地方出身者だからわかるんですけど、今回取材を重ねて、秋田だから感じられる希望のようなものが描けるのではないかと思って。それは、生活の不安を解消できるものとは違うのかもしれないですけど……。僕としては、人との距離感に希望を感じて。
——人との距離感?
佐藤:はい。今は断る家もあるそうなのですが、ナマハゲはその町内にある全ての家に昔から行っています。そこで「まだあのおばあちゃん生きてたよ」「よかったなぁ」って。取材中に泣いているナマハゲを見ると、東京では見られないよな……と。
変な言い方をすると、ある意味「監視社会」なのかもしれません。でも、やっぱり人のつながりというか、町内全体で子どもの頃から大人になるまで見守って、助け合って。ナマハゲにはいろいろなものが受け継がれているのだろうなと思います。
だから、町を愛しているけれども、人がどんどんいなくなってしまう。映画で解決策は出せないかもしれませんが、そういう思いを抱えながら暮らしている人たちがいる男鹿という町を描き、伝えたいと思いました。
キャストと作り上げた登場人物たち
——そんな町で暮らし、子どもが生まれて一応は「父親」になった、たすくという人物。彼は「お金も仕事も自身も自分も何もない」と。すごい紹介だなと思ったのですが、いったいどんな人なのでしょうか?
佐藤:たすくは、子どもの感覚が抜け切れていないまま大人になってしまった人です。背景としては、父親を幼い頃に亡くしていて、父親という存在に対して明確なイメージが持てないでいる。そして、人とのコミュニケーションに臆病で、それが、彼のさまざまな問題点につながっています。
脚本の段階では、どこかズーンと重たくて暗い雰囲気を持つキャラクターをイメージしていたのですが、仲野太賀くんが演じてくれたことで、たすくはいきいきし始めました。「ここでこんな顔するんだ」とか、僕も知らない一面を見つけたような面白さが現場にありましたね。
——印象に残っているシーンはありますか?
佐藤:例えば娘の養育費を稼ぐために密漁しているときに、協力してくれている親友にサインを送る顔。ヘラヘラと笑顔でやっているわけでもなく、自分でも何をしているのかよくわかっていない感じがするんですよ。でも、わかっていないなりに必死なんですよね。
必死なのだけれども、彼の中で父性というものが全く見つかっていないから、ああいうときにさえ大切な人の顔を思い出すことができない。必死なんだけど滑稽。そこを引き出してくれたのは太賀くんの芝居の力だと思いますね。
——吉岡里帆さん演じる、たすくの元妻・ことねについては?
佐藤:撮影前、僕は、女性は妊娠という母親になる準備期間があってだんだん母になれると思っていたんです。けれど、女性のプロデューサーやスタッフに「そうとは言い切れないのではないか。子どもを産んだからといって母になれるわけではない」と指摘されて。
正直、ことねという人物については描き切れていないのではないかという心配もあったので、役者さんと一緒に作り上げていきたいと思う部分が大きかった。だから、吉岡さんへ出演を依頼するとき手紙を書いたんです。「母になるとはどういうことなのか? を吉岡さんと探していきたい」と。
そして、吉岡さんが演じることねに、母になろうともがいている女性の姿が見えた。そこで「産んだから母になるのではない」という指摘が体感できましたね。
切実な思いを抱えて生きる人の姿を見届けてほしい
——作品を撮り終えた今、どんなことを思いますか?
佐藤:そうですね……。脚本が完成するまでに5年かかりましたが、実は当初の構想からラストシーンだけは変えていないんです。あのラストシーンが、父親ではない自分がたどり着けた答えだと思っていて。あの先でたすくがどう生きていくか、想像していただけたら。うれしいです。
たすくのように情けない自問自答を繰り返して何もできない、動けないということもあると思うんですけど、それでもやっぱり何かを諦めきれずに、幸せをつかむために走り出す。切実な思いを抱えた人の姿を最後まで見届けていただきたいです。
今は、僕が父親になって再び「父になる」ことをテーマにしたら、あのラストシーンの先まで描けるようになるのではないかという気がしています。
■作品情報
泣く子はいねぇが
11 月20 日(金) より新宿ピカデリー他全国ロードショー
仲野太賀 吉岡里帆
監督・脚本・編集:佐藤快磨
企画:是枝裕和
エグゼクティブプロデューサー:河村光庸
公式 HP:https://nakukohainega.com/
©2020「泣く子はいねぇが」製作委員会
配給:バンダイナムコアーツ/スターサンズA
(取材・文:安次富陽子、撮影:大澤妹、協力:華井由利奈)
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情報元リンク: ウートピ
父親になるとは? 佐藤監督が「ナマハゲ」に見出したもの 映画『泣く子はいねぇが』