2019年に吉高由里子さん主演でドラマ化もされた朱野帰子(あけの・かえるこ)さんの小説『わたし、定時で帰ります。』(新潮社/以下、わた定)の第三弾「ライジング」が4月に発売されました。
定時帰りをモットーとする結衣の奮闘を描いた人気シリーズで、「ライジング」では、残業代を稼ぐ目的で必要のない残業をするいわゆる「生活残業」に切り込みます。
生活残業をテーマにした理由は? 朱野さんにお話を伺いました。全3回。
生活残業をテーマにした理由
——生活残業をテーマにした理由は?
朱野帰子さん(以下、朱野):私は新卒で入った会社が裁量労働制で、勤務時間は自由だけれど残業代は出ない会社だったんです。逆に2社目では残業代は出たのですが、労務管理が徹底されていて、残業する場合は上長の許可を取らなければいけませんでした。残業は極力させない会社だったので、残業代で生活費を稼ぐという感覚が私にはありませんでした。
でも、ドラマが放送されたときにTwitterの感想を見ていたら、「残業代の話を扱っていない」という指摘があって……残業代を稼がないと生活できない給料の人もいるのだとも書いてありました。そういう人たちにとっては、定時退社イコール給料減なのか、と気づかされました。
同じ頃、女性雑誌の取材を受けた後、送られてきた雑誌を見たら私のインタビューと並んで、「夫が早く帰ってきたらローンが返せないから早く帰ってきてほしくない」という主婦の方の声が紹介されていました。「家計のためにしなくてもいい残業をするのはおかしいのでは」とは思いつつ、一方で、今までより給料が減るのであれば、定時退社へのモチベーションが上がらないのも当然だと思いました。
また、とある企業の人事部の方が主催したイベントに参加したときに、働き方改革のおかげで過労死をするまで働く人は減っているけれど、1、2時間程度の残業をする人は減っていないと伺ったんです。1人当たりの残業代は月2、3万程度だとしても合算すればかなりの人件費になる。それが減らない以上は給料を上げられないと聞いて、どうすればそれが実現するかを新作のテーマにしようと決めました。
——小説でも人事側の事情として語られていましたね。
朱野:管理する側からしたら、その人の仕事が遅いだけなのか、生活残業なのかは判断しづらいですよね。決めつければパワハラになってしまう。そもそも、上司からいっぱい仕事をもらっていっぱい残業する人が評価されて出世していった時代においては、定時退社させることこそがペナルティだったこともあったわけです。
——どういうことですか?
朱野:いわゆる窓際族。あれって仕事を干される苦しさだけじゃなくて、残業代を奪われ家計も苦しくなる、というペナルティでもあったのだと。そんな時代を経てきた人たちがいきなり定時で帰ってくださいって言われるのは衝撃ですよね。残業と給料というのは、切っても切れない関係。そこが面白いなと思い、生活残業をテーマにしました。
——結衣の部下の本間が「将来がすげえ不安」と吐露する場面がありますが、すごく切実だと思いました。確かに結衣の「そもそも残業代をあてにして暮らすこと自体が間違ってない?」というのは正論なのですが……。
朱野:バブル崩壊以降、消費税は上がり、社会保険負担も増えているのに、新卒の初任給はそれほど変わっていません。おかしいと思いつつもお給料やお金の話ってなかなかない。豊かな時代を過ごした人たちの中には、お金の話をするのは卑しい、という感覚の人もいます。
20代の頃から思っていたのですが、上の世代の人たちは、バブル崩壊以降に社会に出た人たちの貧困に無関心すぎやしないでしょうか。自分たちの退職金や企業年金の話はしても、若年層が心配だという話はなかなか出てきません。
“会社員あるある”は友達から
——シリーズを通して、さまざまな立場にいる働く人の心情がリアルに描かれていますが、題材やテーマはどんなふうに練っているのでしょうか?
朱野:1作目は自分の会社員時代の経験のみをもとに書きました。2作目は新潮社の社員で大学まで野球をしていた方に体育会系の世界について取材しました。あとは会社員の友人との会話からです。友人の9割が会社員なのですが、たまに会った時に愚痴をきかせてもらっています。想像を超える話がたくさん出てきて、本人は笑い話として話しているのですが、結構ヒントをもらっています(笑)。
とはいえ私の周りのごく一部の話なので、他の人もそう思っているのか? とか、「今」の話になっているか? とすごく緊張しながら書いてはいます。
今回の新作を書くにあたっては、大企業の人事や労組の方々や、結衣くらいのポジションについている会社員の女性に話を聞かせてもらいました。
——シリーズも今回で3作目ですが、感じている変化などはありますか?
朱野:ドラマが放送される前は、「わたし、定時で帰ります。」というタイトルを見ただけで怒り出す人がいたんです。「残業しなかったら絶対成長できない」と主張する文章をブログに書いている方もいました。
私も晃太郎のようなワーカーホリックだったので「そう思われるだろうな」と予想の範囲内ではあったのですが、それから1、2年たつと、来栖君のような「定時退社が当たり前」の人の感想が増えてきたんです。「企業って残業あるんですか?」という感想を書いていた学生の読者もいます。
「定時で帰る」なんて、テーマとしてもう古いのかなと思い始めていたのですが、実際に企業に取材してみると、「いや、残業はしぶとい」と。定時退社が根づくにはもう少し時間がかかりそうだなと思いました。
「チャットで長文を送ってくるおじさん」も取材から
——リアルと言えば、定時後の居酒屋など、やたら密室で話したがる池辺さんのような人もいますよね。
朱野:密室談義大好きな人、まだいるのかなあとは思いつつ書いたのですが、山田真貴子元内閣広報官が「飲み会を絶対に断らない女としてやってきた」と述べていたニュースを見て、やっぱりまだいるんだって思いました。
——コロナ禍でだいぶ減ったとは思いますが、喫煙所で大事な話をしたり……。
朱野:コロナで飲み会ができなくなり、喫煙所も封じられつつある今、ダイレクトメールでくるようになったというのも聞きます。オンラインでもなんとかして密室を作ろうとする。オープンな場で話し合えない人がまだ多いですね。
——池辺さんではないですが、社内チャットで長々とメッセージを送ってくるのも「あるある」だと思いました。
朱野:あれも取材で出てきた話なんです。メールをやめて社内チャットに切り替えても、使う人たちが古いままだと、レガシーなシステムが再生産されてしまうという……。
——私もくらったことあります。
朱野:私も古い人間なので編集者さんとやっているSlackでもつい長文を書いてしまうんです(笑)。切り替えようと思ってもなかなか変えられない悲しさがあって……。これを会社でやってたら「うっせぇわ」の対象になるんだろうなって……。なので、池辺さんに対しては他人事ではないというか、すごく思い入れがありますね。
※第2回は7月6日(火)に公開します。
(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子)
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情報元リンク: ウートピ
残業しないと生活できない…『わた定』第3弾で“生活残業”をテーマにした理由