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明け方に119番通報。あの日、部屋で震えていた自分を抱きしめて気づいたこと【小島慶子】

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恋のこと、仕事のこと、家族のこと、友達のこと……オンナの人生って結局、 割り切れないことばかり。3.14159265……と永遠に割り切れない円周率(π)みたいな人生を生き抜く術を、エッセイストの小島慶子さんに教えていただきます。

実は先月入院していたという小島さん。第40回のテーマは入院をして気づいたことについて綴っていただきました。

お腹に走った激痛

それは突然訪れました。東京の真ん中で、ひとりぼっち。未明にデスクの前で寝落ちしていた時、お腹に走った激痛で飛び起きました。そこからは記憶も途切れ気味なのですが、文字通り叫びながら悶絶し、ついには自分で救急車を呼んで、病院に運び込まれたのでした。

要は過労で、腸が悲鳴を上げたみたい。あのいわゆるお腹が痛い時の差し込むような痛みのマックスさらに倍!の激痛に見舞われ、人生で陣痛の次に痛かった……ここまでで6回も「痛」って字を書いたぐらいもう、本当に辛かった。

運び込まれた救急処置室のベッドで激しい吐き気に襲われ、腹の底から轟音を響かせて嘔吐する私の背中を、看護師さんが優しくさすってくれました。ああそのなんと嬉しかったこと! だって、人の手が体に触れたのは1年ぶりだったから。

去年の1月からずっと家族と離れ離れで、寂しさのあまり猫そっくりの手触りのクッションを買って、抱いて寝ていました。だから温かな人の手が、労りに満ちた慰撫を与えてくれたことがもう本当に嬉しくて、吐きながら泣きました。ナースは天使って本当です。

泣きながら脳腸会議

検査の結果、幸い重篤な病気ではなかったものの、ぬおおおと唸りながらのたうち回っている有様で、即入院と相成りました。

痛み止めの点滴を打ちながら朦朧とすること数日。腸を休めるためにしばらく絶食です。点滴で栄養と水分は足りている。じっとしているからエネルギーも消費しない。痛みが和らぐにつれ、何も飲み食いできないのが地味に堪えました。食の喜びのない生活は実に味気なく、「もう絶対に球根の水栽培はしない。ちゃんと土に植えなきゃかわいそうだ」と思ったほど。

そう言えば倒れるちょっと前に見たテレビで、「生物の進化で、腸は脳より先に出来た」「脳は腸の後輩」みたいなことを言っていたなあ。実はものを考えるとか感じるとかってことと腸は深い繋がりがあるらしいけど、こりゃつまり、ついつい無理をする私の脳に、腸先輩が身を呈してストップをかけてくれたんじゃないだろうか。すみません腸先輩、俺ひとりで頑張ってるつもりになってました……と泣きながら脳腸会議をしていたら、なんだか無性に心細くなりました。

何しろ夫は8000キロ彼方のオーストラリアです。気を揉んでもどうやったって駆けつけることはできません。姉は東京からかなり離れたところに在住。身一つで入院したのでパジャマすらなく、ヘロヘロで歩くこともできないので売店にも行けません。頼れるのは23区内に住んでいるマネージャーだけ。知らせを聞いてすぐに必要な品を揃えて病院の受付に届けてくれた心遣いがしみじみ有り難かったです。

光の速さでお見舞いを届けてくれた仲間たち

入院してすぐに行ったのは、各所への連絡です。横になったまま、予定をキャンセルするお詫びのメッセージをなんとか作成。文字を打つのにも体力を使うんですね。3行書くだけで息切れしました。腸壁が剥がれて救急搬送……という字面が想起させる映像の破壊力を申し訳なく思いながら、次々に送信。仕事に穴を開けてしまった精神的ダメージがさらに腸先輩を追い詰めます。情けなくて、ぐったりとベッドに平たくなってメソメソしていました。

するとそれを読んだ仲間たちが、光の速さで次々とお見舞いの品を届けてくれたではありませんか。みんなとても忙しいのに、ちょっと近くに寄ったからとか、必要なもの言って!とか、ハートが熱くて仕事が早い。激務で倒れて入院した先達も何人かいます。下着やライナーからアロマディフューザー、ハンドクリームに厳選漫画セットまで、痒い所に手が届く品揃えであっという間に病室が快適空間に。看護師さんや医師も「この部屋、なんかいい香りで癒されますね」と喜んでくれました。

しかも仲間達が選んでくれたのは、偶然私が愛用しているハンドクリームだったり、あったらなあと思っていた夜用マスクだったり、お気に入りの漫画だったり、一番好きな香りのアロマオイルだったりしたのです。もう、奇跡ですよね。これはきっと腸先輩が「仲間たちとのご縁に感謝したまえ。そしてなんでも自分で抱え込まずに、もっと上手に頼るんだよ」と言ってくれたのではないか。

そこへさらに電子版の寄せ書きまで届いて、テクノロジーと人情のありがたみで涙が止まりませんでした。ほんの一言の励ましでも、弱っている時には、命を潤す恵みの言葉。感謝って、心身を癒す何よりの薬かもしれないなと思います。

「iPadの画面に足から入りたいと思った」

姉からも心配するメールが届き、老いた母は毎日見舞いの電話をくれます。ああそうだった、私はひとりじゃなかったんだと改めて家族の存在を感じました。

さてそんな中、夫と息子たちはどうしていたか。日本との時差は1時間。早朝にいきなり「ううう今、救急車の中…病院に行く(ピーポーピーポー)プツッ」という電話で叩き起こされた夫は、さぞ心配したでしょう。結局、連絡できたのはその日の夕方ごろ。息子たちとビデオ通話で会話を試みるも痛くて話せません。家族に会えない私よりも、遠く離れてなす術もない夫と息子たちの方が辛かったでしょう。夫は後日「あの時は、iPadの画面に足からぎゅうっと入りたいと思った」と言っていました。

それにしても本当に、ビデオ通話の有難いことよ。入院中もオーストラリアの家族と繋いで一緒にご飯を食べたり(私は流動食だけど)おしゃべりしたり、いつも通りに過ごすことができました。今、一人暮らしの部屋でこれを書いている横でも、画面の向こうでは夫がデスクに向かっています。パンデミックで自由に行き来ができない世界で、一体どれほどの人がこの技術で孤独を和らげていることでしょう。

退院して気づいたこと

でもね、これまでの私はちょっと無理をしていました。オーストラリアに家族の拠点を移して7年余り、私だけ東京で働く生活を続けてきましたが、昨年からはパンデミックで子どもたちの夏休みや冬休みにオーストラリアに戻ることもできず、ずーーっとひとりぼっちです。

退院後10日ぶりに帰宅して、倒れた時のままの部屋を見た時、初めて自分を可哀想だと思いました。こんなところで1人で頑張って、倒れて叫んで震えながら119番して運ばれて行ったなんて、あんまり慶子が可哀想だ、と泣けてきました。

その瞬間、私はあのうずくまって痛がっていた自分の傍に立って、そっと抱きしめたのです。過去の自分を労ることができた時、人は傷から回復するのだと聞いたことがあります。私は何から回復したんだろう。それはまだわかりません。腸壁と一緒に、何かが私の中で再生したはずなのです。

会いたくてたまらないから、近く感じる

もう無理をするのはやめよう。ビデオ通話があるから寂しくないんじゃない。寂しいからビデオ通話をするんだ。会えなくても家族を近くに感じるんじゃない。会いたくてたまらないから近く感じるんだ。そういう弱りきった自分にうんと優しくしてやってもいいじゃないか。周りに頼って、弱音を吐いて、ああ人生って思うようにならないなあと涙目になってもいいんだよね。鼓舞し続けてボロボロになった心が、腸から滲み出たセロトニンとオキシトシンに浸されて、ちょっとずつ修復されていく感じがします。

退院してから1ヶ月。もう生活はいつも通りに戻ったけど、ひとつだけ戻らないものがあります。ご飯の硬さです。ずっと硬めに炊いていたのに、退院直後は水分を多くしたご飯を食べなくちゃいけなくて、そしたら初めて分かったんです。私、ほんとはうんと柔らかいご飯が好きだったんだ……弱い自分になってみると、いろんなことが見えてくる。自由は強者が手にするものだと思っていたけど、そうじゃないんですね。腸先輩には本当に、感謝しかありません。

情報元リンク: ウートピ
明け方に119番通報。あの日、部屋で震えていた自分を抱きしめて気づいたこと【小島慶子】

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