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収入減や周囲との温度差…この先、Uターン転職も視野に入れるなら知っておきたいこと

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北海道広尾郡大樹町を拠点に、ロケットの開発を行うスタートアップ企業・インターステラテクノロジズでPR・BizDev・人事を担当している中神美佳(なかがみ・みか)さん。現職は、2度目のUターン転職です。

大学進学で上京し、都会の大企業に就職した中神さん。しかし、安定した仕事を続ける中でこのままでいいのだろうかという迷いと、帰省するたびに過疎化する地元への思いが募り、地元に戻ることを決意。29歳のときに夫を連れて1度目のUターンを果たします。

最初のUターンに挫折した理由や、現職にいたるまでの思いについて話を伺いました。

私の選択が、地元の未来にも影響すると感じて

——中神さんがUターンを意識したきっかけを教えてください。もともと「いつかは戻ろう」と考えていたのでしょうか?

中神美佳さん(以下、中神):いえ。私の出身地である大樹町は人口6000人弱の小さな町で、10代のころは都会への憧れが強く、最初から地元愛が強かったわけではありません。大学に入学するときも、わくわくしながら上京しました。

地元を見る目が変わったのは、大学時代に実家へ帰省したとき、地元のメインストリートに人が全然いなくなっていることに気づいてからです。寂しいと思ったけれど、実際は私のように若い人たちが都会に出てしまうから、町のにぎわいが減っているんですよね。自分の選択が、地元の未来に直に影響しているのだと、はじめて当事者意識が芽生えました。

「いつか地元のために何かしたい」と考えるようになったのは、その頃からです。でも、大学を卒業してすぐUターンしても、役に立てる気がしない。まずは社会人経験を積もうと思って、大手自動車メーカーに就職しました。

——自動車メーカーでは、どんな仕事をしていましたか?

中神:大学でマーケティングを勉強していたので、商品企画部門に採用されました。いろんな車種の国内外の市場を調査・分析し、商品企画や宣伝・コミュニケーションをサポートする部署です。「いずれ地元に帰る私には時間がない」という思いもあったので、大学で学んだことをバリバリ実践できる環境はうれしかったですね。大企業ならではのスケール感も面白かったし、学ぶことがたくさんありました。

——国内だけでなく海外まで視野を広げて働いていた当時、地元のことはどう見えていたんでしょうか。

中神:癒しと少しの罪悪感がありました。お盆やお正月に帰省するたび、おいしい食べ物や雄大な景色に、すごく癒されて。でも、私はそうやって充電した力を、地元のためではなく都会の仕事に使っている。田舎のいいところだけを享受しているような罪悪感が芽生えてきて……少しずつ「これでいいんだっけ?」「いつUターンすべきなんだろう?」と考えるようになっていました。

——でも、都会の仕事もやりがいがあったわけですよね。

中神:そうですね。だけどやっていることのスケール感が大きすぎて、いまいち手触り感が感じられませんでした。私の仕事が顧客にどんな影響を与えているのか、喜んでもらえているのか、実感が持てずにいた部分もあります。大企業なので、会社を動かすことはものすごく難しいし、絶対に私でなければならない仕事ではない気もして……私がいなくなっても代わりがいる、というか。そのうち、面談で「これからどうしたい?」と聞かれても何も思い浮かばなくなり、辞めようと決めたんです。

大樹町(写真提供:中神さん)

地元の大樹町(写真提供:中神さん)

年収6割減が怖くて、踏み切れずにいたら

——就職6年目で、ついにUターンを決意。とはいえ、都会を離れる寂しさや不安はありませんでしたか?

中神:人間関係や暮らしの面では、やっぱり寂しかったです。東京で結婚した夫に打ち明けるタイミングも悩みましたね。彼は熊本出身で、しかも長男なので。

——それは確かにハードルが高いですね……。

中神:昔付き合っていた関東出身の人には、Uターン願望をちらっと話しただけで「絶対にいやだ」と言われたこともあったんです(笑)。だから、夫には地元のおいしいグルメやスノボ、温泉といった楽しいところをたくさん味わってもらったあとで、「いつかここに戻ってきたいんだよね」と話しました。すると、地方出身ゆえに移住のハードルが低かったのか、意外にすんなり受け入れてもらえて、夫を伴うUターンが実現したんです。

——では、地元での就職にはハードルはありましたか?

中神:これまでのキャリアを活かせるような仕事がなかなか探せなくて、苦労しました。ようやく見つけたのが「地域おこし協力隊」。地方自治体からの委嘱で、地域に関わるさまざまな取り組みをする仕事です。観光振興や地域資源を活かした商品開発など、田舎ではめずらしい企画系の仕事もできる。3年の任期もあって、滑り出しにはぴったりだと感じました。でも、世帯年収は6割くらい下がる計算になって……。

——それは、念願のUターンといっても厳しい……!

中神:そうなんです。だから、都会でもう少し貯金をつくってからUターンする計画も考えました。でも、うだうだ悩んでいたら夫に「美佳にとって、お金ってそんなに大事なの?」と聞かれ……。確かにお金より、地元への貢献ややりがいを持って働くことのほうが大事だと気付かされました。その言葉が後押しになって、まずは地域おこし協力隊にチャレンジしてみようと気持ちが固まったんです。

地域おこし協力隊として働く“リアル”

宇宙の森フェス(写真提供:中神さん)

宇宙の森フェス(写真提供:中神さん)

——地域おこし協力隊には、どんなメリットがありましたか?

中神:自治体によって仕事内容はさまざまですが、地元・大樹町の協力隊はかなり自由なフリーミッション型だったので、自分でやりたいことを考えて取り組めました。かつ、地方では大きな信頼がある“役場の名刺”を持てたのは、大きなメリットでしたね。働き方の面でも、週4勤務・複業OK。行政らしい書面作成や報告などの作業も、極力やらずに済む形にしてもらえました。

——意外と融通がきくものなんですね。

中神:そうですね。同じタイミングで着任した人が制度に詳しかったので、働きやすいようにどんどん交渉してくれたんです。協力隊に興味を持っていて、やりたいことや働きたい環境に希望がある方は、役場と話し合ってみることをおすすめします。

——それだけモチベーション高く働きはじめて、周囲との温度差はありませんでしたか?

中神:地元の人たちが“意外と困ってない”ことにはびっくりしました。今は地元でも面白い動きがいろいろとありますが、当時は「人が少なくてこれができない」「空き店舗を活用してほしい」みたいに漠然とした悩みが出てくるくらい。なのに「誰かがなんとかしてくれたらいいのに」と、みずからアクションを起こす人は限られている印象を持ちました。協力隊に「地域の悩みならなんでもやってくれる人」というイメージがあるのか、口は出すけど手を動かさない人もいるし、自分の熱量が空回りする感覚はありましたね。だけど、数は少なくても一緒に立ち上がってくれる人がいたから、地元への想いが消えることはなかったです。

——たとえば、協力隊としてどんなことを実現できましたか?

中神:役場に勤める若い女性の発案で生まれた「宇宙の森フェス」は、私たちがちゃんと行動すれば地元を変えていけるという自信にもつながった野外フェスイベントです。1980年代から「宇宙の町」というコピーを掲げている大樹町で、広い芝生に寝っ転がり、星を眺めながら音楽を聴いて……地域に当たり前にある資源をうまく使って、宇宙や星空に想いを馳せるフェスを作り上げられました。

——心配していた収入や生活のほうは、いかがでしたか。

中神:私の地元の協力隊は家賃の補助が出たし、たくさんお金を遣うような遊び場もないので、金銭的には案外大丈夫でした。友人と飲むにも、自分たちでチーズを熟成させたり、獲れたての鮭をちゃんちゃん焼きにしたり、豊かな地元食材を使って宅飲みするんです。最先端のカルチャーが恋しくなったら、東京に行っちゃえばいい。朝9時の飛行機に乗れば昼前には東京に着くんですよ。思ったより遠くないんだなというのも一つの発見でしたね。

宇宙の森フェス(写真提供:中神さん)

宇宙の森フェス(写真提供:中神さん)

後編は3月30日(火)公開予定です。
(取材・文:菅原さくら、編集:安次富陽子)

情報元リンク: ウートピ
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