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個性はどこに宿る? 私たちが“ジョーカーキャラ”に惹かれてしまう理由

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コラムニストの桐谷ヨウさんによる新連載「なーに考えてるの?」がスタートしました。ヨウさんがA to Z形式で日頃考えていることや気づいたこと、感じたことを読者とシェアして一緒に考えていきます。第9回目のテーマは「J=Jorker(ジョーカー)」です。

西川美和監督の映画『すばらしき世界』を観て思ったこと

少し前に西川美和監督の映画、『すばらしき世界』を鑑賞してきた。素晴らしかった。

何が素晴らしいって題材はもちろん良いんだけど、とにかく主演の役所広司さんが“三上(作中の登場人物)”にしか見えない。ずっと三上として生きてきて、三上でしか生きられない存在をそのまま体現しているんだ……。ラストは映画館にえもしれぬ空気感が充満していて、エンドロールで立ち上がる人はほとんどいなかった。まるで余韻にそのまま包まれていたいとみんなが思っているかのように。

俺は西川美和さんの作品が好きで、どうしたってひいき目が入るんだけど、本当に観てよかったと思える映画だった。普段は映画館に行かない自分だけど、ぜひとも劇場で観てほしい。

一見すると社会派に見えるんだけど、やっぱり西川美和さんの作品は“置き去りにされた人の心”を一貫して描いていると俺は思っていて、埋没してしまう個人の感情、それは周囲との関係性だったり、自主的に蓋(ふた)をしてしまうものだったりするんだけど、それを無視しないですくい上げようと繊細にリアルに表現してて。『永い言い訳』『ゆれる』でも、それを感じたなぁ。そう、社会ではなく、人を通した世界が描かれている。

さて、今回の原稿で書きたかったのは正直これだけなんだけど、観賞後に西川美和さんのインタビューを漁っていたら面白い動画を見つけた*。
*役所広司は切り札(ジョーカー)だ 映画『すばらしき世界』西川美和監督インタビュー

乱暴に要約すると「役所広司さんはジョーカーのような俳優。そりゃ無条件で説得力は出る。それだけ今回は勝ちたいと思ったってこと」という内容の動画です。

リアルタイム世代ではないんだけど、役所広司さんといえば『Shall we ダンス?』のイメージしかない。ので実は演技をそれほど観たことはなかった。しかし、たしかに反則級にエグい力量を持っていることをこの映画で感じさせられた。いや、もう屈服するしかない感じね。身を委ねて作品の世界観に浸らせてくれる名優さんね。

というわけで今回はジョーカー、切り札というのがキーワードである。

ジョーカーキャラに憧れる

漫画の登場人物でジョーカーキャラという存在がいる。ここからは話のニュアンスがガラッと変わりますが。

最近の作品でいえば『呪術廻戦』の五条悟(カッコ良すぎでしょう!)、ずっと読んでる作品ならば『HUNTER×HUNTER』のヒソカ(蟻編あたりで株が下がった気もしますが、、とにかく続きを読みたい!)、福本漫画でいえばアカギなどでしょう。

特徴といえば主人公じゃないんだけど、主人公並みに人気があって、作中で実力もある。なんならそのキャラクターを主人公にしたスピンオフがつくられちゃうような魅力的なキャラですよね。

たくさんの人がジョーカーキャラに影響を受けちゃってると思う。たとえばコミュニティの中心人物になりたいわけじゃないんだけど、なんとなく存在感と発言力は持っていたい、みたいな。リーダー的なポジションじゃないんだけど、なんとなく影響力を持っちゃうような立ち位置でいたい、みたいな。

そう考えてる人、そこそこいない? 役所広司さんのように圧倒的な王道のスキルじゃなくて良い。亜流なんだけど、一芸に秀でた人に憧れちゃう気持ちっていうか。

何を隠そう俺もそう思って生きていたクチなんだけど、そのことを考える際には「個性」を捉えなおす必要があるというのが近頃の考え方である。“人はそれぞれちがって皆素晴らしい”、ほどのスケールを持った考えはまだまだ流行ってない気がするが、”好きなことを仕事に”とか”欠点があっても長所を活かせ”みたいな発想は、だいぶ根付いてきたんじゃないだろうか。

要するにその人の個性というのは、その人にしかできない武器=切り札になりうるという思想なんだろう。これまで重宝されてきた全方位バランス型のスキルじゃなくて、デコボコしててもいいから、秀でた部分を活かしていこうよっていう。

個性はどこに宿る?

で、若いうちは個性とか自分の武器を無邪気に考えられる側面があるんだけど、価値観とか立場が積み上がってくると、余計なものがごちゃごちゃとくっついてきて、結局自分は何が得意だったんだっけ? みたいなことをあらためて考えてしまうのが30代前半のように、俺は思っている。自己の再定義と再構築。いや、全員がそうだとは思ってないですけどね。

俺の定義では、個性というのは「意識しなくてもやってしまう世の中への見方」と「脊髄反射的に取ってしまう行動」のことだと考えている。そして、それがピュアに表出するのが子供の頃だ。なんのしがらみも無意識の強迫観念もないんだもの。

三つ子の魂百まで、とはよく言ったもので、人間の個性は根本的に変わらない。ただ、これまで生きてきたなかで純度を鈍らせたほうがなんとなく上手くいくから、生きやすいから、と考えるようになってしまっただけなんだろう。

騙されたと思って、親や昔の友人に、自分がどんな人間だったかを聞いてみてほしい。まわりがあきれるくらい飽きずにいつまでもやっていたことを再確認してみてほしい。実際にこれをやってみたことがある人は意外に少ない。そして、自分にとって「意識しなくてもやってしまう世の中への見方」と「脊髄反射的に取ってしまう行動」の原点がどこにあるのかを探ってみてほしい。きっと個性のタネ、切り札の原泉が見つかるはずである。

もっと言えば、ここが似ている部分と違う部分が共存する存在、というのが仕事やプライベートにおける重要なパートナーになる相手なんじゃないだろうか。似ているけれど、まったく一緒ではない。ちがいはあるんだけど、その差異が心地いい。そんな人を見つけていくことが、人生の豊かにつながっていくんじゃないだろうか。

他者とはとんでもなく有害な存在になりうるのは事実である。同時に、“すばらしき世界”の媒介になっているのもまた、事実なんだから。幸福も不幸も、人を介して届けられるのである。

情報元リンク: ウートピ
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